[読書メモ][Kindle]『私とは何か』(平野啓一郎)

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分人は、こちらが一方的に、こうだと決めて演じるものではなく、あくまでも相手との相互作用の中で生じる。

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そんなわけで、私は自分の切実な疑問を、小説を書くことを通じて、考えていくことにした。ある意味で、私は仕事場に「引きこもり」、また様々な主題を巡る「自分探しの旅」に出たようなものだった。

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私は森鷗外が大好きだが、彼は「仕事」を必ず「為事」と書く。「仕える事」ではなく、「為る事」と書くのである。私はこの発想を気に入っていた。

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自傷行為の複雑なところは、本当に死んでしまわないように、自殺的な振る舞いをする点にある。

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自傷行為は、自己そのものを殺したいわけではない。ただ、「自己像(セルフイメージ)」を殺そうとしているのだと。だから、確実に死ぬ方法を選択しない。いや、むしろ逆じゃないのか?いまの自分では生き辛いから、そのイメージを否定して、違う自己像を獲得しようとしている。つまり、死にたい願望ではなく、生きたいという願望の表れではないのか。

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分人化は、相手との相互作用の中で自然に生じる現象だ。

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私という存在は、ポツンと孤独に存在しているわけではない。つねに他者との相互作用の中にある。というより、他者との相互作用の中にしかない。

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この時にこそ、私たちは慎重に、消してしまいたい、生きるのを止めたいのは、複数ある分人の中の一つの不幸な分人だと、意識しなければならない。誤って個人そのものを消したい、生きるのを止めたいと思ってしまえば、取り返しのつかないことになる。

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閉鎖的な環境に置かれると、誰でも苦しくなる。

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世の中のことが大嫌いで、社会に絶望していても、自分が好きであれば、生きていける。逆に、自分のことを好きになれなくても、世の中が楽しければ、生きていけるのかもしれない。問題は、そのどちらもが我慢ならなくなることだ。

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嫌いというのは、不合理な感情だ。単に好きになれと言われてみても、ハイそうですか、 とはならないだろう。

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愛とは、 相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。そして同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。

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今つきあっている相手が、本当に好きなのかどうか、わからなくなった時には、逆にこう考えてみるべきである。その人と一緒にいる時の自分が好きかどうか? それで、自ずと答えは出るだろう。

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京都やパリ、東京に住み、作家となり、自分の個性が、様々な分人の集積だと思えるようになってから、私はやっと、故郷に対する愛着を素直に認められるようになった。


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