[読書メモ]『解読「地獄の黙示録」』(立花隆)

p38
そこから抜け出すには、少し失敗し、少し死んで、少し狂わなければいけない。

p42
初号試写というのは、相当未完成の段階で行われ、その手応えによって、まだまだ手直しが行われていく。

p54
この旅は、ウィラードがカーツの気持にどんどん接近していく旅でもある。

p68
映画の場合、翻訳者が内容の理解を欠いたまま、単なる職人芸としてスーパーを入れる結果、翻訳者の理解の欠如がそのまま観客の理解の欠如として結果することになるわけだ。

pp90-91
聖杯伝説にはさまざまのバリエーションがあり、そのバリエーションのタイプに従って、それぞれ一群の物語があり、パルシファル物語群、ランスロット物語群、アーサー王物語群などがその代表的なものにかぞえられる。これらのさまざまの伝説、物語は、ヨーロッパ文学の源流であり、そこからインスピレーションを受けて成立した文学はあまりに数多い。

p118
では、人間にとって、何が真の掟となりうるのか。ことばの上で議論を繰り広げていくと、それは無限の循環的問答になっていく。しかし、コッポラは、ことばの論議には深入りせず、作品を通じて、イメージと寓話によって答えたのである。

p148
アメリカ兵を麻薬づけにしてしまうことは、ベトコン側の意図的戦術であり、実際それは見事に成功した(戦争の恐怖や苦痛を逃れるために、アメリカ兵たちも麻薬を必要とした)。アメリカが救いがたい麻薬汚染国家になってしまい、いまでもそこから抜け出せないのは、ベトナム戦争がアメリカ社会にのこした最も深刻な後遺症である。

p149
「特殊部隊の兵士は、みんなナルシストなんだ。任務を遂行するときは、自己陶酔のかたまりになってやるんだ。連中が鏡で自分の姿を見ているところを見るとすぐ、連中がナルシストだということがわかる」

p151
「分ってるだろうが、この任務は存在しない。現在も未来も」

p186
戦争の本質は人を殺すことである。戦争で勝つために最も重要なことは、人を殺すことをためらわないことである。

p189
「カラマーゾフ」は、小説としての完成度からいうなら、決して高いものではない。いたるところ破綻している部分がある。無理に無理を重ねている部分がある。もっと完成度が高い小説を書く人は他にいくらもいる。同じドストエフスキーの作品でも、「罪と罰」「貧しき人々」など、小説として完成度がより高い作品は他にある。それにもかかわらず多くの評者から「カラマーゾフ」がドストエフスキーの最高傑作とされているのは、そのスケールの大きさ、問題意識の深さと鋭さにおいて、これ以上のものはないと考えられているからである。それだけスケールの大きなものを作るためには、完成度がある程度犠牲にされても仕方がないと考えられるからである。


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