[読書メモ]『「一体感」が会社を潰す』(秋山進)

p21
組織や人のネガティブな点を見つけて批判することには熱が入るのですが、それがまるで他人ごとであり、自分たちが抱えている欠点を直そうという意識がありません。当事者意識がまったく欠落しているのです。

p21
こういう組織にいる人は、よほど心しておかないと、いざ自分が当事者として実行する立場になっても、相変わらず「できない理由」をあげつらうばかりで、やるべきことを一向に前に進めることができません。

p34
正月三が日に毎年自宅に社員を呼ぶ経営者もいれば、深夜に突然電話をかけてきて呼び出す経営者もいます。来るかどうかで、自分の子分かどうかをチェックするのです。

pp35-36
私が大学を卒業して仕事を始めた一九八〇年代後半と比べると、現在は無理に飲み会に誘えなくなったという時代の変化もあって、会社は仕事をする場に変わってきたような気がします。が、その一方で根本的なところはそれほど変わっていないようにも思います。とくに上層部になればなるほど変わっていません。すなわち、ボスの覚えがめでたいことのほうが、仕事ができるよりもはるかに優先されるということです。

p51
会議は成果を出すために行うものです。

pp52-53
会議を何回も開いて多くの人の意見を集めました、議論に議論を重ねました、努力しましたというアリバイのために会議を開いているだけで、結論はあらかじめ決まっていて、それをすぐに出すと仕事をしていないように思われるので、いかにも時間をかけて検討した結果であると言わんがための会議なのだと言うのです。

p58
会社の急成長に合わせて、自分もステージを急激に上げていく、そこに賭けるのも一つの手です。経営者は資金面などで大きなリスクがありますが、一社員であればリスクはそこまで大きくありません。ただ、会社が潰れてしまう可能性があるのと同様、自分が潰れてしまう、潰されてしまう可能性があることは考慮に入れておくべきです。

p60
部長の言うとおりに動くイエスマンは、普段は守られていますが、いざ大きな失敗をしてしまうと、なんだかんだと理由をつけられて矢面に立たされ責任をとらされます。もちろん、その失敗の原因は部長にあるのですが、失敗の責任はイエスマンがとらされるのです。何と理不尽なことでしょう。/どちらにしても、結局、責任は下に降りてくるというのが、権限と責任が不釣り合いな組織の特徴です。

p61
権限は与えられず、責任だけとらされる組織にいるメリットはゼロです。

p62
権限と責任が不釣り合いな組織では、誰もリスクをとりたがりません。誰もリスクをとらないのですから、当然、リターンもない、じり貧の組織になります。/経営者やマネジャーが「挑戦しよう」「新しいことにチャレンジしよう」といくら掛け声をかけたとしても、思ったとおりに自由にやらせてもらえず、失敗したら責任をとらされることがわかっているのですから、誰もそんな挑戦などしません。

p69
実質的な責任者を誰だかわからなくしてしまう「たらい回し」は、多くの日本の組織で見かけられる現象です。

pp83-84
毎日、仕事をしているなかで、上司の指示や職場の慣習となっている行動を除いたときに、自分の独自の判断でやっていることはどのくらいあるでしょうか? 自分なりのやり方というのはどのくらいあるでしょうか? あらためて考えてみると、本当に自分が律している行為というものは驚くほど少ないものなのです。

p91
仕事においても、基本は上司や先輩から学ぶのが効率的ですが、基本を身につけた段階からは自分で試行錯誤を繰り返して、自分なりの仕事のやり方なり、仕事に対する意識なりを確立していかなくては一流にはなれません。/これがまさに「自律する」ということなのです。/したがって、「勝手なことはするな」と言われがちな組織であっても、一流になるためには「勝手なことをする」必要があります。自ら考え、自ら判断し、自ら動き、試行錯誤し、成功体験も失敗体験も積んで、ようやく一流への足がかりがつかめるからです。

p108
自らよい人を見つけて協力者になってもらうことが必要です。仕事がやりやすい環境もまた自らがつくり出していく必要があります。待っていても誰もそうしたことはやってくれないのです。/最初は、「協力者がいない」「環境が整っていない」のが当たり前で、それを嘆いているだけでは他律で動かされている人と同じです。/自らが重要人物を見つけて協力を仰ぎ、自らが働きやすい環境を整えていくこと。これも広い意味で、いや真の意味での自律にほかならないのです。

p128
まさに「組織も人もよく間違う」のです。ですから、「間違ったら、そこから学ぶべきことを学んで、やめるべきは早期にやめる」ということを当たり前に行うことが、目的合理的になります。これができるのが、大人の組織です。/失敗をなかったことにして、ウヤムヤにすると、何も学べません。総括することなし知恵は生まれないのです。損切りや撤退といった失敗をしたのであれば、それを率直に認めて反省し、次に活かすための知見を蓄積します。/失敗をウヤムヤにしていては、いつまでたっても素人がビジネスをやっているようなもので、組織にも個人にも何ら知識も技術も蓄積されません。

p144
コドモの組織のマネジメントと大人の組織のそれが大きく異なるのは、ルール主義ではなくプリンシプル主義であること。そして、プロセス制御ではなく結果制御であることの二つです。

p152
もうそろそろ、そういうサラリーマンごっこをやめてはどうかと思うのです。/そのためには、一人ひとりが言うべきことを言い、言わないことを不作為の罪として非難する。そうした、みなさん一人ひとりの行動が必要なのです。

pp167-168
周囲と同じことを同じようにしているだけでは一流にはなれません。一流になるには、とにかく多くの時間をそのために使う必要があるのです。/コドモの組織では、仲間意識からムダな残業を強いられますし、早く仕事が終わったとしても「飲みに行こうか」「食事にでも行きませんか」と誘われます。残業しないで帰ると「何でアイツだけ帰るんだ」と言われ、お誘いを断って帰ると「付き合いの悪い人」と言われてしまいます。/コドモの組織のために使っている時間を、自分を磨くための時間に変える。時間の使い方を変えることができるかどうかが、一流になれるかどうかの最初のポイントになります。

p169
たとえば、飲み会などの集まりや社内の会議にしても、「MUSTの会」と「WILLの会」があります。どれがMUSTの会で、どれがWILLの会かを見極める目をまず養い、MUSTの会だけは欠かさず出席し、WILLの会はすべて遠慮します。

p169
「一緒に残業はしてくれないけど、困ったときには頼りになる人」といったポジションが組織内で得られると、変人でもコドモの組織で生きていくことができます。

pp171
一流の技術者になる道は平坦ではありません。山あり谷ありです。だからこそ、内発的動機づけである「好き」や「やりたい」という気持ちがとても大切になるのです。

p172
なかなかやりたいことが見つからない人も多いと思います。そこで、まずは自分の担当している現在の仕事のなかに好きな一分野を見つけるところから始めるのはどうでしょう。

p181
アウェイな状況に行くような話があれば、それは大チャンスの到来です。積極的に挑戦してみてください。

p207
お金をもらえないにもかかわらず、自分自身の満足のために、一生懸命に考えたことや発見したことは、その時点ではお金にはならなくても、長期的には必ず何らかの役に立ちます。自己で掲げた基準をクリアするための努力を続けていると、毎日が楽しく知的にも満たされるのです。/自分が成長するためには、自分の基準を上げていかなければなりません。競争や損得のインセンティブがなくとも、自分で自分の基準をどんどん上げて、より高い基準をクリアし、それを楽しむ人生こそが技術者の人生です。

p208
失敗したくないからと目標を下げる、つまり成功するために自分の基準を低く設定してしまっては成長が止まってしまいます。もし毎回、自分が立てた目標を達成できているのだとしたら、それは基準が低いからなのかもしれません。


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