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「白銀の輪舞」第一章「蘇生」その2

 
 鋭次郎の病室を後にした看護師は、真夜中の病院の暗い廊下を弾むように歩いていた。

「奇跡だわ。奇跡が起きたんだ……!」

 笑顔がこぼれてしまうのを抑えられない。自分で自分の体を抱きしめた。

 彼女はナースステーションの手前で廊下を曲がると、突き当たりの重い扉を開けて屋外の非常階段に出た。雪混じりの冷たい風が吹き付けてくる。

 吹きさらしの鉄の階段には、十五センチほどの雪が積もっていた。白いナースシューズを履いた足も、すっぽりと雪にはまってしまう。十一階だけあってかなり強い風が吹いているが、むしろ心地良く感じた。そもそも暖房の効いた病院の中は、彼女には暑過ぎるのだ。

 ふたフロア上の屋上まで階段を昇ると、黒いコートの大柄な女性が待っていた。

「二か月ぶりね、華多岡」

「はい。少しばかりお時間を頂きましたが……街中に張り巡らした結界の点検、及び強化は、全て終了でございます。どの結界にも異常は無く、正常に機能しておりました。つまり『奴』は、まだこの街におります」

「ご苦労さま」

 華多岡は恭しく頭を下げた。

「魅雪お嬢様。桂木鋭次郎様のお目覚め、おめでとうございます」

 ナース服の主人に、祝福の言葉を贈る。

「ありがとう。さすがにいい勘をしているわね」

 若く可憐な主人は、上気した顔で答えた。

「お顔を拝見すれば一目瞭然」

 華多岡がウインクをして見せた。

「これも全て、あの夜お嬢様がとっさに行われた止血処置と、献身的な看護のおかげかと……そのナース服も、大変お似合いでございます」

 少女はその言葉を聞いて、少し俯いた。

「わたしね。もしもお役目が無かったら、本当は医者か看護師になりたかったの……命を救う側の仕事に。だからたった二ヶ月でも、たとえそれが真似事でも……看護師として働けたのは、本当に嬉しかった」

 主人がおずおずと話すのを従者は温かな眼差しで見つめ、次いで微笑んだ。

「でも、他にも嬉しい理由があったのでは?」

「え……お役目の為に決まってるじゃない!」

 年若い主人は目を泳がせながら、いつもの強気な口調で答えた。

「それにいたしましても」

 いつの間にか、背の高い華多岡が腰を折り曲げて少女の顔を下から見上げていた。

「そのように華やいだお顔を、わたくし初めて拝見いたしました」

「やだ、見ないで!」

 魅雪は両手で自分の頬っぺたを押さえた。頬が上気して、熱いくらいだった。

「ところでお嬢様。桂木様のご記憶については……」

「分かってる」

 魅雪は華多岡を真っ直ぐ見て言った。

「わたしから彼には何も言わない。鋭次郎くんが自分で思い出すのを待つわ」

「さすがはお嬢様です。余計なことかとは思いましたが……老婆心ながら、それが掟でございますれば」

「心配要らないわ」

 華多岡は魅雪の手に目を留めた。

「お嬢様。その手は、まだ治らないのですか?」

 二カ月前のあの夜以来、魅雪の右手には、白い包帯が巻かれている。

「うん……」

 少女は包帯の上から、愛しげに傷をさすった。 

 華多岡は再び微笑を浮かべると、屋上から見える景色に視線を移した。

 ここからは、雪に覆われたN県N市の街並みが一望できる。ネオンサインや街灯が降り積もった雪に反射し、幻想的な眺めとなっていた。鋭次郎が撃たれた繁華街は、病院からは目と鼻の先の距離である。

 N市の観光名所である小高い山と展望台の夜景は、今夜は雲に隠れて見えない。その左側には港があり、海が広がっている筈だが、今は暗くて見えない。遠くに光が見えるのは、漁船の灯りだろうか。

「しかし思ったより、鋭次郎様のお目覚めには時間がかかりました。今年は季節外れの雪が残っているおかげで、わたくしたちも助かっておりましたが……」

「大丈夫だってば」

 魅雪は楽天的に言った。

「どのみち鋭次郎くんが目を覚ましたってことは、気配を察して向こうからやってくるだろうし」

「そうですわね……」

 華多岡は長い睫毛を伏せて頷いた。

「雪が溶けて春が来る前に、ぎりぎりセーフで、わたしたちの勝ち」

「しかし」

 楽観的な主を前に、華多岡は深刻な表情を浮かべた。

「もしも春が来れば、お嬢様は……」

 華多岡は首を大きく横に振った。

「いや……そのようなことは考えますまい」

「そう!」

 魅雪は忠実な従者の背中を、後ろから思い切り叩いた。 

「悪いことを考える前に、手を尽くすだけだわ」

「さすがは守嶺家ご当主。感心至極……お蔭様で目が醒めました」

 華多岡は、スナップの効いた平手打ちに痛む背中をさすりながら、頭を下げた。魅雪の平手打ちには、本人の想像以上に威力があるのだった。

 病院前の幹線道路を、タイヤチェーンの音をシャリシャリと鳴らしながらタクシーが走ってきて、停車した。

「おや」

 ベージュのロングコートを着た男がひとり、病院の玄関前で降りる。

「お嬢様。こんな夜中に訪問者ですわ」

「誰が来たの?」

 遠くの雪雲を仰ぎながら魅雪が訊ねる。

「あれは……N県警察のトップ、田森本部長でございます。あの方がここにお見えになったということは……」

 華多岡の表情が引き締まった。

「始まったわね」

 魅雪は、後ろで束ねた長い髪を解き放った。ストレートの黒髪が強風に煽られて広がり、粉雪と踊る。

「華多岡、セカンド・ミッションよ」

「御意」

 少女はゆっくりと天を見上げ、包帯を巻いた手を胸に当てた。

 いつものように華多岡が跪き、深々と頭を垂れる。瞳に青白い光を宿し、体が武者震いするのを自覚する。

 いよいよ『奴』と闘う時が来たのだ。この地上に三百年ぶりに現れた、人類最凶の敵と。

「行くわよ、華多岡」

 戦闘態勢に入った魅雪の体温は急速に低下し、冬の凍てついた大気と一体となった。


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いかがでしたか?

今回は少し短めでしたね。

このストーリーは基本このような感じで、「鋭次郎パート」と「魅雪パート」が交互に進んでいきます。

次は「鋭次郎パート」です。病室を訪ねてきた警察トップは、鋭次郎に何を語るのでしょうか???

お楽しみに☆

あ、感想を語って頂けると喜びます☆☆


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