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「白銀の輪舞」第二章「人喰い」


 第二章 「人喰い」


 病室の中は、鬼が放つ異様な臭気に包まれている。

 入り口のふたりを振り返った巨漢の鬼は鋭次郎の足を放し、コンクリートの塊を手に、涙をこぼしながら呻く。

「うウウ。貴様ラ……『一族』ノ者タチか?」

 耳まで裂けた大きな口から涎を垂らしながら、鬼が尋ねる。

「我を退治しにきたノカ?」

「ご名答です。貴方を封印しに参りました」

 背の高い女性が爽やかに微笑んだ。

「わたくしども守嶺の一族と会われるのは、かれこれ三百年ぶりかと思いますが……どうぞ先祖同様、よろしくお付き合いくださいませ」と、帽子を取って恭しく頭を下げる。

「わたくしは華多岡と申します。以後、お見知りおきを」

 隣の少女は腕を胸の前に組み、無表情に鬼を見上げている。

 ――かみみね家!

 ベッドの上の鋭次郎は、左足の痛さを忘れて目を瞠った。

 ――この人たちが、その『一族』なのか?

 黒いコートの大柄な美女と、白いコートの繊細な顔立ちの少女。対照的なふたり組は、まるで一枚の絵のように姿勢良く立って、臆することなく巨大な鬼に相対していた。

 ――鬼狩りの一族……? このふたりが闘うっていうのか?

 守嶺家の女性たちは、特に武器のような物を持っている様子は無かった。容姿も含めて、ふたりとも、とても荒事に向いているようには見えない。

「フン……」

 血のような紅い目で女たちを見つめていた鬼が、遠い地響きのような声で呟く。

「オ前タチ、守嶺一族ノ頭の中ダケは、ドウヤッテモ覗ケナイ……」

「わたくしどもは鬼や悪霊に心を読まれないよう、日頃から訓練をしておりますから。精神的な結界のようなものです」

 全身黒ずくめの華多岡が、穏やかな口調で言った。

「ダガ……ドウやらカツラギの方は、オマエに見覚えガあるヨウダゾ?」

 桂木の動揺に気づいていた鬼が、白いコートの美少女を指差す。

「そんな男、わたしは知らない」

 少女は長い髪を右手ではらい、事も無げに返した。その声のトーンは、先程の看護師のフレンドリーな雰囲気とは、まさに対極の冷たさ、厳しさであった。

「女、オマエが、今ノ『守嶺魅雪』カ?」

「さあ、どうかしら」

 ――『かみみねみゆき』? 

 鋭次郎の知らない名前だった。ということは、やっぱり幼馴染ではないのだろうか。

 ――それに、俺のことを知らないだなんて。

 だが少女は、看護師と同じ右手に包帯を巻いているし、どう見たって同一人物である。それに鬼の言う『今の』とは、どういう意味なのだろう? 一体全体、何がどうなっているのか。

「お前なんかを封じる為に、わざわざこんな田舎まで来てやったの。感謝しなさい」

 絵に描いたような美少女だが、口を開けば、身の丈二メートルの鬼を相手に、随分と容赦のない高圧的な物言いであった。

「お前たち鬼は、存在そのものが害悪だわ。ハエやゴキブリ以下の薄汚い存在なの。無駄な抵抗は止めて、さっさと封印されなさい」

 少女に強い関心を抱いていた鋭次郎は、自分も鬼と一緒に、冷水を浴びせられているような様な気分になっていた。

「ククク……ダンダン分かってキタゾ、守嶺魅雪」

「何が?」

 呆れたような口調で、鬼を嘲笑する。

「どうせ、単細胞で馬鹿な鬼の考えることなんて、タカがしれてるけど」

「ソノ毒舌……オマエは『相変ワラズ』ダナ」

「初対面だけど」

「ンン?」

 鬼は丸い目を見開き、少女の表情をしばし窺った。

「フム。ソウカ。成ル程……ソウだったナ。人間トハ不便ナモノダ……マア良い……」

 ベッドの鋭次郎を振り返って、ニヤリと笑う。

「イズレニシロ。この男を助ケタのハ、オマエたちノ『罠』ダッタとイウ訳だ……瀕死の警察官をワザト『守嶺ノ秘術』デ助けて、ワレをオビキヨセようと思っタンダナ?」

 ――どういうことだ?

 鋭次郎は再び混乱していた。鬼に握りつぶされそうになっていた足首が疼く。

 ――俺が、鬼をおびき寄せるための罠?

「ウウウ……」

 鬼の紅い目から、いきなり大粒の涙がこぼれだした。

「怖いヨ、怖いヨ、ズルイヨ、ヒドイヨ……可哀想ダ。罠にダマサレタ我モ、エサにサレタ桂木も、カワイソウダヨ……!」

 鬼の体が、泣きながら小刻みに震えている。泣きながら、笑っているのだった。

「うフフフフ。気ヅイテイタ……気ヅイテイタさ。ソンナ事だロウと、オモッていタさ。ダガ、ドノミチワレは、ココニ来るしかナカッタ……」

 鬼は泣き止み、舌なめずりをした。

「罠とワカッテイテモ、ココに来れば、憎い憎いオマエタチニ会える。ソレに……」

 鋭次郎を見ながら、舌なめずりをする。

「コンナ美味そうな若者ヲ、食サナイ手ハ、アルマイテ……」

「ちょっと違いますわ」

 黒いコートの美女が、鬼の長広舌に割って入る。

「桂木巡査の応急手当にわたくしどもの秘術を使ったのは、あくまで緊急を要したからです。桂木様は多量の出血により瀕死の状態で、救急車では間に合いませんでした。決して、貴方をおびき寄せる罠に利用しようと考えたからでは、ありません」

 ベッドの鋭次郎に上品に微笑みかけながら、言葉を続ける。少女とは真逆の、極めて礼儀正しい態度だった。

「ただ、秘術を使ってしまった以上、桂木巡査のところに貴方が現れるであろうことは、簡単に予想出来ました。それで病院に網を張っていたことは、事実です。結局は、桂木様の安全の為にも、それがベターな作戦でしたので」

「ナンデモイイ……」

 鬼は、荒い息遣いで言った。

「三百年ブリの娑婆ダ。封印ナドサレテ、ナルモノカ……ソレドコロカ……」

 嘲笑を浮かべる。

「オ前らも喰ウ!」

 鬼が力任せに投げつけたコンクリート塊を、ふたりはコートを翻してかわした。瓦礫は背後の壁にぶつかり、白い煙となって粉々に砕ける。

 鋭次郎は、常軌を逸した鬼のパワーに絶望を感じた。鬼狩りの「かみみね一族」がどんな人たちかは知らないが、どう考えても、この桁外れな怪物に普通の人間が敵う筈がなかった。

 一撃目はかわすことが出来たが、こいつと真正面から闘うには、拳銃どころか重火器が必要かもしれない。だが女性たちは丸腰で、どこかに強力な武器を隠し持っているようには見えなかった。

 鋭次郎は、ベッドから鬼の背中越しに、守嶺家のふたりを見た。

 ――このふたりも、殺される?

 凶暴な鬼への恐怖が再び湧き上がり、際限無く膨張していく。

『怖い』

 その感情は、脆弱な草食動物が凶暴な肉食獣に抱く恐怖心と、よく似ていた。逃げようとしても、足がすくんで身動きが出来ないほどの圧倒的な恐怖。捕食者と被食者。揺るがし様のない、絶対的な彼我の関係。

 だが、目の前の女性たちの存在が、鋭次郎の職業意識を呼び起こした。

 ――怖いけれど……。

 ――俺は、警察官だ。

「逃げてください!」

 鋭次郎は右足でベッドを蹴って立ち上がり、後ろから鬼の背中に跳び付いた。そのまま羽交い絞めにしようとするが、人外の腕力に敵うはずもなく、あえなく跳ね飛ばされてしまう。床に落下した鋭次郎は、苦悶の表情を浮かべた。

「馬鹿メ」

 鬼が愉しげに笑う。

「心が読メルッテ言っタロ? オマエはソコデ大人しく、我ニ喰われる順番ヲ待っテオけバ、ヨイ」

「待ちなさいよ」

 それまでポーカーフェイスだった魅雪に、怒りの表情が浮かんだ。美しい琥珀色の瞳に青白い光が灯る。

「ナンダ守嶺魅雪、怒ったノカ?」

 耳まで裂けた口で、鬼がニンマリと笑う。

 少女の足元の床が瞬時に凍りつき、パキパキと音を立てて、白い氷が病室全体に広がっていく。

「ホウ……ナカナカノ『凍気』ジャナイカ」

「うるさい」

 少女の吐く息で病室の温度は急激に低下し、空気中を漂う水分が凍ってダイヤモンドダストになって、夜空の星々のように輝いた。

 ――な、なにがどうなっているんだ!?

 鋭次郎は寒さに凍えながら、少女の周囲に展開される現象の美しさに目を見張った。

「お嬢様……」

 黒ずくめの美女が、若き主人に穏やかに声をかけ、黒い皮の手袋を嵌めた手で鋭次郎を指し示した。

「どうぞ、心をお鎮めください……このままでは、お嬢様以外の全員が凍死してしまいますわ」

 少女は、床に倒れた鋭次郎の周囲までが、氷に覆われているのに気づいた。ゆっくりと深呼吸し、感情をコントロールしようとしているようだ。

「華多岡……もう大丈夫」

「さすがです。では」

 華多岡は目を閉じ、呪文を唱えながら九字を切り始めた。

「臨・兵・闘・者……」

 形の良い紫色の唇から軽く息を吐き出しながら、両手を規則正しく動かしていく。その度に、魅雪の『凍気』とは質の違う冷気が、ゆるやかに病室に充満していく。

「結界……今度はワレを、病室にトジコメル気カ?」

 忌々しげに鬼が呟く。

「その通り。結界を作り、鬼の足止めをするのが、わたくしの役目でございますれば」

 長い睫毛を伏せたまま、手を緩やかに動かしながら華多岡が応える。

 鋭次郎は、冷気とともに病室が仄かな青い光に包まれていくのを感じた。さっき看護師が退室した時に見た青い光と同じ色だ。

「もう逃げられないわよ。一族の中でも、華多岡の結界は、蟻が這い出る隙間もないくらい精緻で強力なんだから」

 魅雪が腰に両手を当て、鬼を睨みつける。

「ましてや、お前みたいに無駄に大きな体では、絶対にこの結界を抜け出せない」

「守嶺風情が、生意気ナ……!」

 鬼の全身を包む灰色の毛が、怒気とともに膨らみ、一層その巨躯を大きく見せた。

「卑しい人間ノ分際デ、最凶の大羅刹、魔界の王として君臨シタ、この『號羅童子』(ごうらどうじ)様を、一度ナラズ二度マデモ封印シヨウト言うカ……?」

「魔界の王が笑わせるわ。自分の名前に『様』をつけるなんて、小物の証拠よ」

 少女が冷たく言い放つ。

「三百年どころか、遥かな大昔に酒呑童子(しゅてんどうじ)に負けて、やっとこさ地獄に逃げのびたって聞いてるけど。どうなのかしら、號羅童子『さま』?」

「己、おのれ、オノレ……!」

 鬼は激昂して、赤く濡れた目を大きく見開いた。

「返り討ちにシテ、ソノ肉体ヲ、生キタママ骨の髄マデ、食い尽クシテクレルわッ……!」

 涎の飛沫を撒き散らしながら、低音にところどころ高音が混じった不快な声で喚く。

「凄んでも無駄よ!」

 魅雪が一喝する。

「お前がまだ、本来の力の十分の一も取り戻していないことくらい、分からないとでも思ってるの? お前の強がりなんか、お見通しよ!」

 鋭次郎は床から身を起こしながら、唖然としていた。

 ――これが本来の十分の一以下、だって?

 では、力を全部取り戻したら、一体どんなことになるというのか。全身の毛を逆立てた鬼の迫力は相当なもので、地響きのような唸り声を聞いているだけでも、恐怖で胸が圧しつぶされそうだというのに。

「華多岡、どう?」

 黒ずくめの従者が、琥珀色の瞳を開いた。

「……お嬢様のお見立て通り。余程慎重に行動したせいか、まだそれほど、力を蓄えてはいないようです。今の段階では、見た目はともかくとして、そう大した魔力もありません。まあ、いずれにしろ、まだ通常の方法で何とかなりそうですわ」

 天井に頭が届きそうな巨漢の鬼を見上げながら、華多岡が淡々とした口調で言った。

「そ。じゃあ、さっさと済ませるわよ」

 鬼の顔が醜く歪んで、大粒の涙を両目からボロボロとこぼした。

「ソンな……ヒドイ、酷いヨ……数アル羅刹の中でも最高に強いこの我に対して、大シタことがナイなんて……」

 鬼が両腕で涙を不器用に拭い、よろよろと一歩踏み出した。その一歩で、病室全体が大きく震える。

「ジャア、試してみるカ……!」

 鬼は突如、巨体からは予測し難いスピードで魅雪の目の前に移動した。

「アンマリ早くて、驚イタダロゥ?」

「別に」

 美少女は腰に手を当て、平然と鬼を見上げた。本当は鬼の顔を睨みつけてやろうと思ったが、身長百六十センチそこそこの魅雪の身長では、残念なことに鬼の顎だけしか見えなかった。

「お嬢様。わたくしがお相手を」

 華多岡が、魅雪と鬼の間に静かに割って入る。踵のあるブーツを履いていることもあり、身長百八十センチ近くはありそうな華多岡だが、それでも二メートルの鬼と相対すると、大きさがまるで違う。すらりと脚の長いモデル体型の華多岡と鬼では、身長以上に横幅のボリュームに相当な差があるのだ。

 鬼は、だらしなく顔を突き出し、涎を垂らしながら下品に笑った。

「順番はドッチデモイイ……俺は、オオキイ女モ、嫌いジャナイ……ジャア、オ前から食べようか……ナ!」

 華多岡がにっこりと微笑んだ。

「それはご勘弁を」

 その刹那、鬼の巨体が病室の端まで吹っ飛び、轟音とともに壁に激突した。病室全体が揺れて天井から埃が落ち、壁材の欠片が舞う。

 あまりの出来事に、鋭次郎は開いた口が塞がらなかった。華多岡が微笑むが早いか、鬼の顔を殴りつけたのだった。左のストレート。思いがけないスピード、人間離れしたパワーだった。

「ククク……」

 壁にもたれた鬼は、体を起こしながら、楽しそうに笑った。あれだけの打撃を受けたのに、ダメージは全く感じていないようだ。パラパラと落ちる壁の欠片を片手で払う。

「ヤルジャナイカ……」

「それほどでも。ご挨拶代わりですわ」

 華多岡が優雅に笑って返す。

「今度はオレノ番ダ」

 ゆっくりと華多岡の前に戻り、右のこぶしを大きく振りかぶる。

「避けるナヨ……」

「お手柔らかに」

 気合とともに鬼の全身の筋肉に力が漲り、一回り大きく体が膨れ上がった。瞬間、渾身の力を込めて、華多岡の顔面を殴りつける。その迫力に、鋭次郎は思わず身を縮め、目をつぶった。

 だが華多岡は、丸太のように太い鬼の腕を、拍子抜けするほどあっさりと、黒い革の手袋で受け止めていた。

「アレ?」

「こう見えて実はわたくし、結構、力持ちなのです」

 涼しい顔で言う。手に力を込めている様子は、微塵も感じられなかった。

「小癪ナ……」

 鬼はこめかみに青筋を立てて拳を振りぬこうとするが、華多岡の優美な手は、微動だにしない。鬼は、残った左手で華多岡を殴りつけようとするが、こちらも簡単に受け止められてしまった。灰色の体毛に覆われた巨体に汗が噴き出し、白い湯気となった。

 ヒグマのような巨体の攻撃を、ふたまわりも体の小さな美女が、口笛でも吹きそうな気軽さで封じ込めている。常識を遥かに超える両者の闘いに、鋭次郎は頭がクラクラする思いだった。

「では」

 華多岡は鬼の両腕をあっさり持ち替えると、頭上でひねり上げた。

「ウオッ?!」

 次の瞬間、鬼の巨体は轟音とともに倒れ、病室の床に押さえつけられていた。その動きはあまりに早すぎて、鋭次郎には目で追うことが出来なかった。

 結界を作る霊力よりも余程魔法じみた、華多岡のパワーと格闘テクニックであった。

「イデデデでで・・・!」

 鬼は、顔から脂汗を流しながら間抜けな声を上げた。

 華多岡が鬼の腕をひねったまま、その背中に右足を乗せ、澄ました顔で言った。

「痛いですか?」

「イ、痛イ! ……カ、肩ガ外レル!」

「そうでしょうね」

 華多岡がにっこりと笑った。

「柔よく剛を制す、と言います。ま、守嶺の体術は柔道とは違いますし、今の貴方とわたくしとでは、わたくしの方が力も上のようですが……」

「グワッ!」

 隙を見て逃れようとした鬼の腕を、華多岡が思い切り捻り上げた。

「逃げようとしたって、無駄ですよ?」

「グググ……貴様ッ!」

 床にうつ伏せになった鬼が、横目で華多岡を睨みつける。

 華多岡は、諭すように言う。

「貴方が人間に取り憑いている以上は、わたくしの関節技からは逃げられません。諦めなさい」

 鬼が必死で抗おうとするほど、華多岡は容赦なく、鬼の肩間接を痛めつけた。

「ウウウ。コンナ馬鹿ナ……コンナ馬鹿ナ事デ!」

「意外ですか? でもね。貴方が三百年眠っている間に、守嶺一族も色々と研究を重ねているのですよ。力任せにボカボカ殴りあうだけが、格闘ではないってことです……ではお嬢様、どうぞ」

「マ、待テ……ワレヲ封印シテモ無駄ダ! キット後悔スル事ニナルゾ!」

 苦悶の表情を浮かべた鬼が、床から懸命に頭をもたげて言った。

「ハ、ハナシヲ聞ケ!」

 鬼の紅色の目が、卑屈に歪む。

「華多岡、こんなこと言ってるけど」

「そうですわね」

 華多岡は鬼を見下ろし、感情を交えない声で言った。

「単なるこけ脅し、あるいは時間稼ぎの可能性が高いと思われます」

「同感。一応は歴史に名を残すほど有名な癖に、残念な奴」

「ではお嬢様」

「了解」

「エッ! マ、待ッテ……」

 魅雪は左手を自分の口元に近づけ、軽く息を吹き出した。ちょうど投げキッスをするようなポーズである。少女の形の良い唇の前に、ピンポン玉くらいの白いガス状の塊が出現した。

「『凍気の宝珠』……この美しさ、エレガントさは芸術品と言えましょう」

 華多岡が感じ入ったように呟く。

 魅雪が軽く息を吹きかけると、白い冷気の塊は、ふわふわと鬼の顔の辺りに漂っていき、鈴が鳴るような音を立てて弾けた。

「グ……」

 冷気を吸い込んだ鬼が、カッと目を見開き、白目を剥いた。華多岡が鬼の手を解放すると、鬼の口元から薄い氷が顔に広がり始め、やがて体全体を覆ってしまった。

 しばらくして「ごぽっ!」という濡れた音と共に、鬼の口から、赤く発光する小さな玉が出て来た。光る玉は、やはりピンポン玉くらいの大きさであった。

 ――あれは何だ?

 鋭次郎にとって、またしても初めて見る現象だった。鬼の灰色の体毛が抜け落ち、皮膚の色も青銅色から肌色に戻っていく。

 ――つまりあの赤い玉が、男に取り付いていた、鬼の魂ということなのか?

鬼の口から転がり出た小さな玉は、規則正しいリズムで赤く点滅している。ちょうど心臓の鼓動に合わせるような感じだ。

 さっきまで鬼だった大男は、体格がいいだけの普通の人間に戻った。うつ伏せに倒れたまま、大きな鼾をかいている。床に落ちた体毛は、雪のように全て溶けてしまっていた。

 華多岡はコートのポケットから透明の小さな瓶を取り出すと、金属製の蓋を外し、光る玉を中に入れた。瓶全体が、ぼうっと淡く赤い光を放つ。

「この瓶は爆薬の直撃を受けても壊れないほど丈夫で、紫外線その他、様々な光線を遮断する特殊なガラスで出来ております。その上、お嬢様の凍気を半永久的に保つのだそうで。科学技術の発達も役に立つものです」

 華多岡は、ハンカチで皮の手袋に付いた鬼の涎を丁寧に拭いた。

「封印終了です。お嬢様、お疲れ様でございます」

 恭しくお辞儀をする従者に、主人は頷いて見せた。

 その短い間に、瓶の中の赤い光が徐々に弱々しくなり、ゆっくり数回点滅すると暗くなって消えた。

「封印した鬼の魂が、活動を停止したようです」

 瓶の中には、燃え滓の様な黒い塊が残っている。

「宿主から離れた為、急速にエネルギーを失ってしまった……と考えるのが普通ではございますが……」

 華多岡が瓶を目の前にかざし、片目を閉じて中を凝視する。

「ふむ……やはり、完全に活動を停止しています。しかし……」

 封印に成功したというのに、華多岡の表情は優れなかった。

「そうね」

 魅雪は、瓶を一瞥して言った。

「伝説の大羅刹にしては、ちょっと簡単過ぎたわね」

「お嬢様の凍気は、一族の中でも最強ではございますが……」

 華多岡は、何故か鋭次郎をちらりと見て言った。

「華多岡の考えを聞かせて」

 従者は、コートのポケットに瓶を仕舞いながら答えた。

「守嶺家の封印技術も、かつて鬼どもが猛威をふるった時代からすれば、遥かに進歩しております。一方『奴』も、まだ本来の魔力ではありませんでした。これらの状況を鑑みれば……我々一族の数世代にわたる研鑽の勝利だと考えたいところです」

 華多岡が病室を見回しながら言った。

「ちょうど結界も時間切れです。お嬢様、ここはひとまずお暇しましょう」

 床に倒れていた鋭次郎は、部屋を包み込んでいた青い光が次第に薄まっていくのを感じながら、ベッドの手すりにつかまって体を起こした。

「あの……」

 よろよろと立ち上がりながら、魅雪と華多岡に声をかける。

「あなた方は、一体……?」

 鋭次郎は壁に叩きつけられたせいか、少し背中を痛めているようだった。左足も引きずっている。

「あの、失礼ですが……」

 守嶺家のふたりが黙っているので、鋭次郎が再び声をかけた。

「うるさい」

 少女が、氷のように冷たい言葉を返した。

「ひ弱な人間は黙っといて。どうせ何も出来ないんだから。わたしたちの邪魔をしなければ、それでいい」

「あ……」

 言葉を失った彼に、少女は畳みかけた。

「何? 何か文句でもあるの? 大体、助けてもらったくせに、お礼の言葉のひとつも言えないのかしら?」

「あの……」

 鋭次郎が神妙な面持ちで口を開いた。

「何よ」

 つっけんどんに返す。

「助けていただいて、ありがとうございました。正直、今、目の前で起きたことを自分自身、まだ頭の中で整理出来ないでいるのですが……確かに、おふたりにお礼を申し上げるのが先でした。本当に申し訳ないです」

 鋭次郎は、少しふらつきながら、頭を下げた。

「分かればいいわ」

 魅雪は両腕を組んで、ふんぞり返って見せた。

 その時、小さな金属音とともに病室のスライドドアが開き、廊下から暖房の暖かい風が入ってきた。

「ふうむ……何というひどい匂い。これが魔界の臭気というものか……」

 鋭次郎は目を見開いた。

 病室に姿を現したのは、田森県警本部長、その人だったからだ。


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いかがでしたか?
個人的に「女性が強い」っていうのはカッコいいことだと思っています。
子供の頃に読んだ、和田慎二さんや柴田昌弘さんの影響なのは間違いないですねw

さて、あんまり同じ絵がサムネイルに続くのもどうかなあと思い、今回新しく絵を描きました。まさに自己満足の世界ですが、結構気に入っています(;'∀')。

良かったら感想を聞かせて頂くと、喜びます。noteでもTwitterでも構いません。喜びます(誉められて伸びますw)。

ここまでで、全体の四分の一くらいです。
更新が早すぎますでしょうか???
まあ、お好きなペースでお楽しみいただければ!!(;'∀')
ではまた、次回更新でお会いしましょう。


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