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「白銀の輪舞」第五章「鬼狩り」


 第五章「鬼狩り」


「桂木様。退院早々鬼を見つけるとは、なかなか優秀でございますわ。ね、お嬢様?」

 黒いコートの華多岡が満面の笑みを浮かべた。

「ふん。見つけたのはいいけど、手も足も出ないじゃない。みっともない」

 白いコートの魅雪は腰に手を当てて吐き捨てるように言った。

「まあまあ」

 大柄な従者が、若き主人に微笑む。

「取り憑いた人間との同化が進むほど妖気が薄まってしまうのは、ご承知の通り。ここまで宿主と同化されてしまいますと、わたくしども守嶺一族でも、鬼を見つけ出すのは至難の業。ただ見つけていただくだけでも、大変な収穫でございますよ」

「まあいいわ。早速鬼を仕留めるわよ」

 魅雪は鋭次郎のことなど全く興味が無いという顔で、華多岡に言った。

「はい、喜んで」

「あハハハハハっ!」

 ふたりのやり取りを聞いていた鬼が、大声で笑った。

 笑いながら大きな口から涎をぼたぼた落とすのを見て、魅雪が顔をしかめる。

「ダレカト思ったラ、守嶺家の、間抜けな御ふたりサンじゃナイ!」

「貴方も、相変わらずお元気なようですわね」

 華多岡が慇懃無礼に答える。

「ハッ! 昨日は、セッカク封印したのにトリニガシテ、残ネンだったネ!」

 小柄な鬼がふんぞり返って言った。

「ご心配なく。今夜こそは、きっちりと封印させて頂きます」

 あくまで丁寧な口調を崩さずに華多岡が答える。

「それにしても二ヶ月近くも大人しくしていたのに、今回はたった一晩で角が二本とは。凄い成長ぶりでございますね」

「アンタラのチカラハ、見せてモラッタカラね。モウ遠慮スルことナイじゃん?」

「かつて魔界の王とも呼ばれた貴方が慎重なことで……つまり、わたくしたちの力量はもう、見切ったと?」

「ウひひ」と鬼は笑った。

「桂木ノ存在が不気味ダッタんダケドさ……結局ソイツは、単ナル『鬼探知機』ダロ? 気の毒なオトコ!」

「お前には関係ないわ。無駄口は止めて、大人しく封印されなさい」

 魅雪がクールに返す。

「……生意気ナ……」

 鬼の髪がふわりと浮き上がり、ゆらゆらと蠢く。

「カビが生エタ時代遅れの連中が、何をイウか!」

「おやおや。そう言う貴方も、三百年ぶりにこの世に出て来たのでしょう?」

 華多岡が目を閉じ、黒い革手袋をはめた手で九字を切り始めた。軽く息を吐きながら、両手を規則正しく動かしていく。

 鋭次郎は、周辺の空間が次第に仄かな青い光に包まれ、冷気が充満していくのを感じた。

「マタ結界ヲ作って、アタシの逃げ道を塞ごうッテのネ……?」

 鬼の体も、稲妻のような白い光を周囲にまとっている。取り憑いた鬼のエネルギーが光となって漏れ出しているのだろうか。

 鬼との間には十メートルほどの距離があったが、大気に満ちた邪気がぐっと濃くなり、直接肌を圧迫してくるような強いプレッシャーを鋭次郎は感じていた。

 ――凄い圧迫感だ。

「オモシロイ……逆にアンタたちも、逃ゲラれなくナルカラね……」

 鬼が嘲笑うように言う。

「結界に閉じ込メラレたノハ、アンタタチの方カモよ?」

「さあ、どうでしょう……」

 華多岡が琥珀色の瞳を開いた。

「お嬢様、結界完成でございます」

 端正な顔に微笑を浮かべた華多岡だったが、次の瞬間、驚きの表情に変わった。

「!」

 すぐ目の前に鬼が立ち、華多岡を見上げていたのだ。

「油断大敵ッテネ」

 鬼が移動する姿は、鋭次郎には全く見えなかった。病室に現れた時にも同じような場面はあったが、今回は移動距離が桁外れである。十メートル以上の距離を、どうやって瞬間的に移動したのか? パワーだけでなく、スピードもかなりの進化を遂げているようだ。

 鬼は嘲笑を浮かべ、背伸びして華多岡の頭を掴むと、足元のアスファルトに顔面から叩き付けた。鮮血が飛び散る中、今度は彼女の体を空中高く放り投げる。

「華多岡っ!」

 魅雪の叫びも空しく、長身の華多岡の体は人形の様に空を舞い、七階建て雑居ビルの側壁に激突した。

 ビルの壁にひびが入り、彼女は照明やバルコニーに引っかかりながら、にぶい音を立ててアスファルトに落下した。あっという間の出来事だった。

 うつ伏せに倒れた華多岡は、ピクリとも動かない。

 鋭次郎は息を呑んだ。昨夜、病室で鬼を圧倒した華多岡が、今夜は何一つ反撃することが出来なかった。七階の高さから落ちたのだ。助かる筈が無かった。

「アはははハハっ! アンタラ、油断しすぎ! 死んだ! 死ンじゃっタよ、カタオカ!」

 鬼が大声で笑う。

「あたしネ、昨日ノ夜、ちゃんと見てたノヨ。アンタが封印の術を使うのには、時間がカカル。だから、華多岡の体術で時間を稼いで、その間に凍気を練り上げてた。アンタたちはフタリでひとりの、出来損ナイ」

「ふん」

 魅雪が鋭い目で鬼を睨みつけた。

「お前なんか、わたしひとりでも……」

「アラ。今から凍気を練ろうって?」

 呼吸を整えようとした魅雪を、何の前触れも無く、鬼の回し蹴りが襲った。まるで高速回転するプロペラのようなキックだ。

「ぐっ!」

 脇腹を蹴られた魅雪の体は、地面と平行に宙を飛び、街灯の鉄柱にぶつかって歩道に落ちた。体をくの字に曲げて横たわる。

「ヨワイナぁ」

 起き上がる間も無く、一瞬で追いついた鬼が魅雪の顔を覗き込む。

「マダ生きてるのはサスガだけど……アンタ、守嶺家当主のクセに、弱スギ。江戸時代の魅雪も、ソノ前の魅雪モ、皆、ニクラシイ程、ツヨカッタよ?」

 魅雪は返事をするどころか、呼吸することも出来ず、パクパクと口を開けるのが精一杯だった。

「アンタってサ、カタオカがイナイト、シモベがイナイと、何もデキナイじゃん……当主としての覚悟が足りないんジャ?」

「う、あ……」

 魅雪は両腕で喉を押さえ、何とか呼吸を整えようと必死だった。

「美人は、苦しそうな顔も美人ダヨね……」

 女子高生の制服を着た鬼は、感心したように言った。

「でも、ウツクシイ女って大っ嫌イ」

 鬼は、路上の魅雪の顔に紅い唾を吐きかけると、右足を大きく上げた。

「んじゃァ、マズ、ソノ顔カラ潰スネ?」

 まだ動けない魅雪の顔面に、鬼は容赦無く足を踏み下ろす。

 魅雪の耳元で轟音が響いた。

 鬼の足はわずかに魅雪の顔をそれ、すぐ真横のアスファルトにめり込んでいた。続いて、魅雪の体がふわりと抱き上げられた。

「フウン……」

 鬼は、ゆっくりと振り返って、鋭次郎を見た。鬼が足を踏み下ろした瞬間、走りこんで来た彼が鬼に体当たりをし、魅雪を抱き上げたのだった。

「ちょっと。邪魔シナイでって、サッキカラ言ってるデショ?」

「……」

 鋭次郎は鬼から距離を取り、魅雪を舗道に優しく下ろすと油断無く警棒を構えた。

「桂木サンはコノ女を片付けたアト、ゆっくり足から食べテアゲルってばサァ……アタシ、自分は短気ダケド、せっかちな男ってキライなのヨ。ワガママでゴメンね?」

 鬼が舌なめずりしながら笑う。

「ダカラ、黙って見てナよ……ホラ。守嶺ノ女ヲ、コッチニ渡シテ」

「駄目だ」

 鋭次郎はきっぱりと言った。

「この人の護衛をするのが、俺の任務だ」

「護衛!? タダノ人間のアンタが!?」

 鬼が心底意外そうな表情で聞くと、鋭次郎は大きく頷いた。

「そうだ……この人は、俺が命に代えても守る。だからもう諦めろ。お前が取り憑いているその女の子から、今すぐ離れるんだ」

 魅雪は歩道で呼吸を整えながら、鋭次郎を見上げていた。

 結界の青い光の中、恐ろしい鬼と対峙していても、彼は臆しているようには全く見えなかった。きっと、警察官としての強い職業意識がなせる業なのだろう。

「ギャハははハッ!」

 鬼が弾ける様に笑った。

「この状況で、守嶺家でもないタダのニンゲンのアンタが、ソレを言うワケ!?」

 鬼は腹を抱えて笑い続ける。

「守嶺家当主の化ケ物女を護衛!? ワカッテンノ? ソイツ、見た目はカワイイケド、中身は怪物ダヨ? 人間ヨリも鬼に近いクライヨ!? 無理ムリ! 護衛ドコロカ、アンタが氷漬けにナル方が先」

 ふと鬼が真顔になる。

「ナンダカンダ言って、美人はトクってコト? ナンカ、頭にキチャッタ……ヤッパまず、桂木サンから食べちゃおうカナ」

 鬼のまとったどんよりとした空気が、益々その密度を濃くしていく。低い唸りと共に、鬼の二つの目が紅い光を眩しく放ち始めた。

 異様な迫力に圧され、鋭次郎は思わず後ろに下がった。

「ウふふ……やっとコワガッてくれたのね?」

 ゆっくりと歩を進めながら、鬼は嬉しそうに笑った。

「やっぱ鬼は、人間に怖がってモラッテナンボっていうの? んジャぁ御礼に、痛くて怖ーいキモチが、ナルベク長く続クようにイタブッテあげる……それじゃあ、イタダキ……」

 鬼の歩みが停まった。

「アレ?」

 いつの間にか、鬼の後ろから、華多岡が羽交い絞めにしていた。

「アンタ、さっき死んだんジャ……」

 華多岡の額と口元には大きな傷があるが、すでに出血は止まり、血も赤黒く固まり始めていた。

「貴方がゆっくり楽しんでくださったおかげで、すっかり回復できました。油断大敵ですわ」

 澄ました顔で答える華多岡に、鋭次郎は唖然とした。

 ――七階の高さから落ちたんだぞ!?

 鬼から顔面を道路に叩きつけられ、天高く放り投げられて落下した時、確かに「死んだ」と思った。

 この女性もまた、鬼ほどではないにしろ、人間離れした回復力を持っているということか。

「フン。卑しい下僕ごときが……」

 鬼は華多岡を力任せに振り払おうとしたが、彼女は背中に吸い付いたように離れない。

「アレ?」

「昨夜も申し上げましたが、たとえ貴方が世界中のあらゆる生き物より力持ちでも、人間に取り憑いている以上、わたくしの関節技から逃れることは決して出来ません」

「フン……オマエノくだらない体術ナド、ナンテコトハ……」

 華多岡は抗う鬼の両手をあっさり捻り上げ、冷え切った道路に押し付けた。

「嘘!? アリエナイんダケド!」

「ではお嬢様、どうぞ」

「ア! チョット待ッテ……!」

 すでに凍気を練っていた魅雪の唇から、絶対零度の冷気の塊が勢い良く飛び出し、鬼の口に吸い込まれる。

 華多岡が鬼から手を離すと、病室の時と同じように鬼の全身が凍り付き、口から赤く発光する玉を吐き出した。

 ピンポン玉ほどの大きさの光球は、アスファルトを照らしながら、赤い光の脈動を続けている。

「さて、ここまでは前回も辿り着きましたが……」

 喋りながら、コートのポケットから、強化ガラス製の瓶を取り出す。

「では今度こそ封印を」

 だが華多岡が瓶の蓋を開けようとした時、光球が突如、打ち上げ花火のように天高く飛び上がった。

「なっ!?」

 赤い光球は上空でたちまち結界の青いバリアに捕まり、激しく音を立てながら白い稲妻を発した。さらに、再び地面に落ちたかと思うと、今度は縦横無尽にアスファルトの上を転がって周り、あちこちで結界の壁にぶつかって赤や青の火花を散らす。まるで、異常にエネルギッシュなネズミ花火のような動きだった。

「……!」

 鋭次郎は、周囲を包んでいる結界の精緻な青い光に、次第にほころびが生じ始めているのを感じていた。

 華多岡の表情が険しくなり、激しく結界の中を動き回る鬼の魂を、目で追いながら言った。

「お嬢様……ひょっとしてこれは、まずいかもしれません」

 光球のスピードと勢いは、衰えるどころか増していくばかりである。

 赤い光球がひと際大きくジャンプし、上空のビルの谷間で青い結界に捕まった。しばらくすると光球は地面に落下し、再び飛び上がって同じ場所にぶつかることを繰り返す。次第に、結界に氷河のクレヴァスのような暗い亀裂が生じるのを、鋭次郎は見た。

 次の瞬間、大きな破裂音とともに結界が消滅して青い光が消えると、赤い光球もどこかに消え失せてしまった。

 光球――號羅童子の魂は、強力な結界を自力で破り、突破してしまったのだ。

「まさか……このようなこと、長い鬼狩りの歴史の中でも、記録にすら残ってはおりません」

 呆然と夜空を仰ぐ三人の頭上には、冬の星座オリオンが静かに輝いていた。


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いかがでしたか???

次回更新をお楽しみにー。明日ですけど(;'∀')

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