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「白銀の輪舞」第一章「蘇生」その1


 第一章「蘇生」その1


 桂木鋭次郎が目を覚ますと、夜の続きだった。
 だが、やがて場所が違うことに気づく。
 彼が寝ているのは、冷たいアスファルトではなく、暖かいベッドだった。
 枕もとの小さなライト。
 薄暗い天井。
 規則正しい電子音。
 薬品の匂い。
 点滴。
 ――ここは……。病室……?
 鋭次郎は、注意深く周囲を見回した。
 ――俺は。助かった。のか……?
 ゆっくりと自問自答する。
 ――それとも。すべてが……夢……?
 まだ頭がよく働かなかった。銃で撃たれたことが、つい先程の様でもあり、何日も前の様でもある。
 鋭次郎は、ため息とも深呼吸ともつかない長い息を吐いた。とりあえず、自分が生きていることだけは確かなようだ。
 見回すと全部で四つベッドがあるが、他のベッドには誰も寝ていない。
「あ、桂木さん、気がつきました?」
 白いナース服の看護師が、病室の入り口からパタパタと駆け寄って来た。
「気分はいかが? 気持ち悪くないですか?」
 高く透き通った声。つい最近、どこかで聴いた……。
「あ……」
 自分を覗き込んだ看護師の顔を見て、鋭次郎は思わず声を上げた。
 ――琥珀色の瞳!
 彼が気を失う間際、夜空に浮かんだ女の子と同じ瞳の色だった。顔立ちもよく似ている。
 だが、大きな違いがあった。
 ――このひとは、子供じゃない。
 女の子とよく似ているが、年が違いすぎた。
 ――別人……だよな?
 ふたりが出会っていたのが子供時代だったとすれば、当然、少女もその分成長している筈だ。だが、まだ思考回路がスムーズに働いていない鋭次郎は、その可能性に気づくことが出来なかった。
 ――本当によく似てる。
 ベッドの上の鋭次郎は、看護師の横顔をぼんやりと見ていた。睫毛がとても長い。黒い髪は後ろでひとつに束ね、ナースキャップを被っている。
 看護師はベッドサイドのインターホンのスイッチを入れ、マイクに話しかけた。
「八〇二の桂木さん、目を覚まされました。当直の先生、病室までお願いします」
『はい了解』
 ほどなく、実直そうな中年男性の声がスピーカーから聞こえた。
『すぐに行きます』
 看護師はインターホンから手を離し、鋭次郎に微笑みかけた。
「先生、すぐにいらっしゃいますから。もう大丈夫ですよ」
 看護師と医師のやり取りを聴きながら、鋭次郎はすっかり目が覚めた気分になっていた。
 ――やっぱり間違いない!
 ピアノのように澄んだ、ソプラノの声。この声は、確かにあの時……自分を「鋭次郎くん」と呼んだ、あの声であった。
 鋭次郎は、あどけない幼女が一瞬にして成長し姿を現したような、不思議な戸惑いを感じていた。
「わたしの顔に何かついてますか?」
 きょとんとした顔で、看護師が聞いた。どうやら、顔をじろじろ見すぎたらしい。
「え?……いや、あの……」
 とっさに言葉が出てこない。そもそも、比較的女性が少ない警察組織の中で働いているので、若い女性と話すことにあまり慣れていないのだ。
「ああ。ここはN大学病院の、A棟の八〇二号室ですよ」
 鋭次郎の疑問を勘違いした看護師が答える。
「いえ、そうじゃなくて……」
「なんでしょうか?」
「あのう、その……以前、僕とどこかで、会ったことがありませんか?」
「……」
 一瞬の沈黙の後、看護師は口に手を当てて、クスクス笑った。右の手のひらに包帯を巻いているのが目立った。
「目を覚ましたら、いきなりナンパですか?」
「いや、そうじゃなくて。ナンパじゃありません!」
 鋭次郎は慌てて訂正した。仕事柄、男性患者からアプローチを受けることに慣れているのかもしれない。だが、誤解されては堪らなかった。
「あの、僕が撃たれたとき、助けてくれたのは……」
 看護師は首を傾げた。
「お仲間の警察官の方が倒れている桂木さんを見つけたって、聞きましたけど」
「いや、そうじゃなくて……」
 うまく言葉が出てこなくて、自分でももどかしい。
「桂木さん、まだちょっと意識が混乱してらっしゃるんじゃないでしょうか?」
「違います!」
 鋭次郎は慌てて起き上がろうとして眩暈を起こし、ベッドに倒れこんでしまった。左手につながれた点滴の針が、ひきつれて痛んだ。
「ほらほら……随分長い間、目を覚まさなかったんですから、急に動いちゃだめですよ」
 看護師が鋭次郎に布団を掛け直しながら言った。
「長い間?」
「はい。桂木さん、首からたくさん血を流していて、命が危なかったんですよ」
 撃たれた首の左側を触ると、わずかに肉が盛り上がったような感触があった。
「傷の跡、分かります?」
「はあ、少し……」
「桂木さんが眠っている間に、怪我はすっかりよくなってますから」
 首から離した自分の腕を見ると、まるで別人のように細くなっていることに気づく。そういえばベッドに寝たきりだと、たった数日でも驚くほど筋肉が衰えると聞いたことがある。
「あの、僕はどれくらい……?」
 看護師は、包帯を巻いてない方の手首を見た。繊細な手には似つかわしくない、ヘビーデューティー仕様の大ぶりな腕時計を着けている。
「あと五分で日付が変わって、四月一日の午前零時です」
「……四月!?」 
 予想外の日時に、鋭次郎は再び思考停止状態に陥った。
「……じゃあ、僕は二ヶ月も眠って? まさか」
「嘘じゃないわ」
 看護師が笑いながら言った。
「エイプリルフールまでは、あと四分三十秒ありますから」
 茶目っ気たっぷりな性格のようだ。鋭次郎の手から点滴を外しながら、喋り続ける。
「本当なら、そろそろ春本番で花の季節……の筈なんですけどね。今年は冬が長くて、外はまだ雪が降ってるんですよ」
 看護師は、何故か嬉しそうに言った。
 鋭次郎はといえば、点滴を手際よく片付ける看護師の姿にすっかり見とれていた。
 雪のように色白で、黒髪とのコントラストが見事だった。短く切り揃えられた前髪の下の睫毛は長く、瞳は琥珀色。
 彫りの深い顔立ちと瞳の色から見て、外国人とのハーフかクォーターなのかもしれない。
 年はいくつなんだろうか。自分よりは年下……二十才くらい?
 ――そうか。
 看護師の年齢を考えることで、鋭次郎はようやく気がついた。
 ――あの女の子は、この人の幼い頃の顔で……それを俺が知ってるってことは……その時、俺も子供だったってことじゃないかな。やっぱり、幼馴染? でも……。
 何故、名前すら思い出せないのだろうか。
「桂木さん。音楽、お好きですか?」
「え……?」
 思いがけない質問に、鋭次郎は必要以上にドギマギした。
「あ……はい、まあ」
 看護師がインターホンの横のスイッチを押すと、ギターの演奏が静かに流れ出した。曲名は分からないが、メロディアスなスパニッシュ・ギターだ。
「この病院、音楽療法を取り入れてるんですよ。音楽を聴くと、心も体もリラックス出来て、治療効果が高くなるって研究報告があるんです……ご存知ですか?」
「はあ……」
 気もそぞろな鋭次郎に、看護師はにっこりと微笑んだ。
「いくつかチャンネルがありますから、後で色々聞いて見てくださいね。この部屋は今、桂木さんだけだから、多少は大きな音でも大丈夫ですから」
「あの、すみません」
 彼は勇気を出して、一番聞きたい事を、聞いてみることにした。
「なんでしょう?」
「失礼ですが、子供の頃に僕と……」
 看護師から笑顔が消え、琥珀色の瞳が見開かれた。
 だが鋭次郎の質問を、病室に現れた男が遮った。
「やあ桂木さん、良かった! あんまり目を覚まさないから、正直、心配していましたよ」
 ふくよかな体型の中年の医師だ。先程のインターホンの相手だろう。人の良さがにじみ出ているような、柔和な表情だった。
 看護師が医師に会釈をする。
「先生、よろしくお願いします」
「うんうん。君も二ヶ月近く、桂木さんの面倒を付きっ切りでよくみたねぇ」
 まさに相好を崩すと言った表情の、中年医師である。
「今夜はもういいから、ゆっくり休みなさい」
「お言葉に甘えて、これで失礼します」
 お辞儀する姿勢も美しい看護師に、鋭次郎は慌てて声をかける。
「あ、あの!」
 退室しかけた看護師は振り返り、「おやすみなさい」と職業的スマイルを浮かべ、病室を出て行った。
「おやすみー」
 中年医師は、満面の笑みで看護師の後姿を見送った。
「先生、あの看護師さんは……」
「うんうん、気になるのは分かるよ」
 医師は振り返って笑った。
「あの子、綺麗だもんねえ。まだ十七か十八だっていうけど、清楚で凛としたところもあって……いやあ、いいよねぇ。研修が終わっても、是非ウチに来てほしいなあ」
 医師がうっとりした声で言った。
 鋭次郎は、思ったよりも若い看護師の年齢に少し驚きつつ、中年医師に質問を続けようと声をかける。
「先生、あの看護師さんなんですけど……」
「キミ、一目惚れかい?」
 医師のストレートな突っ込みに、鋭次郎はしどろもどろになった。
「え? いや、あの、そうじゃなくて」
「隠さないでいいよ。あれだけの美人なんだからさぁ。お? 顔が赤くなってるじゃないか。でも競争率高いよ」
 話し好きの明るい性格に加えて当直の気安さもあるのか、医師はよく喋った。
「わたしだって、独身だったらねえ……あはは、冗談だよ!」
 ぽっちゃりとした手で膝を叩いて大声で笑う。
 その時。鋭次郎は、廊下からひんやりと冷たい空気が入ってくるのを感じた。同時に、頭上の照明が少し青っぽく変化したように見えた。
「……あれっ?」
 医師が目を丸くした。
「そう言えば、あの子の名前、なんだったっけ?」
「え……?」
 医師は腕組みをして、顔をしかめる。
「ていうか、この病院に、あんな看護師いたっけか?」
 ――どういう意味だろう?
 今度は鋭次郎が目を丸くする番だった。
「まあいっか」
 医師は独り言を言うと、ベッドサイドの丸い椅子に腰掛け、鋭次郎の右手を取って脈を数え始めた。
「……うん、正常。いい感じだ」
「あのう先生、今の看護師さんは……」
 医師がカルテに記入している手を止め、怪訝な顔で鋭次郎を見る。
「何言ってるんだい? 看護師なんかいないよ」
「え?」
 意外な返答に、鋭次郎は呆気に取られた。
「でも……さっき、看護師さんがインターホンで先生を呼んで……」
「この病室には、初めから君と私しかいない。さっきは君が自分で、インターホンで私を呼んだんじゃないか」
 医師は真顔だった。
「いや、でも……だって先生が、あの看護師さんが僕のことを二ヶ月、付きっ切りで面倒を見たって……」
「そんなこと言ってないよ? おかしなことを言い出すもんだなぁ。第一、この病院で、ひとりの患者に二ヶ月も看護師を付きっ切りにさせるなんて余裕は、とてもないよ」
「でも先生、研修中の看護師だって」
「研修中の看護師なんか、今いないよ」
「そんな……」
 医師は首を振り、膝を両手でポンと叩いた。
「やっぱりまだちょっと、意識が混乱しているのかな?」
「いや、僕は」
 医師は得意の人懐こい笑顔を浮かべた。
「だいじょぶだいじょぶ、じきに元に戻るよ。随分長い間、目を覚まさなかったんだ。焦ることはない。まあ、ゆっくり構えたまえ」
 目の前の医師は、いかにも誠実そうで、嘘をついているような表情にはとても見えなかった。
 ――この人、看護師さんのことを本当に忘れてしまってる?
 鋭次郎は、すっかり狐につままれた気分だった。
 ――一体どうなってるんだ?
 コンコン、と小さく壁を叩く音に、ふたりで病室の入り口を見る。
 小さく開いた戸から、紺色のコートを着た痩せぎすの男が顔を覗かせた。

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いかがでしたか?

序章の少女と、看護師は果たして同一人物なんでしょうか???
(そらぞらしい)

なぜ当直医は看護師のことを忘れてしまったのか?

最後に訪れた痩せぎすの男は・・・???

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次回、第2章その2は、女性看護師パートです(確か)。
お楽しみに!!

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