見出し画像

「白銀の輪舞」第十四章「あいしてる」②


「おやおや、号泣だね」

 鋭次郎が涙を革ジャンの袖で拭うと、目の前に、滝沢キョウイチが立っていた。

「え……」

「そんなにオレの歌を気に入ってくれて、ありがとう」

 周囲を見渡すと、自分以外の全員が座席に座ったまま眠っていた。

「オレの歌を聴いて寝ないのは、アンタだけだよ。桂木巡査……」

 眉間の古傷が疼く。

 鋭次郎は確信した。

「滝沢キョウイチ……あんた、鬼が取り憑いてるのか……」

 滝沢が微笑を浮かべてサングラスを取ると、瞳は血のような赤色だった。

「お馴染みの大羅刹、號羅童子様さ」

 にやりと笑う。

「貴様……」

「まあ待ちなよ。多少の霊能力は身に付けたようだが、アンタは所詮、普通の人間だ。そして実はオレも、かなり消耗していてね。いま闘うのは、お互い得策じゃないと思わないか?」

「……」

「この時代の守嶺魅雪、確かに強かったぜ。他の時代の雪姫に引けをとらない……いや、それ以上だな。オレが今、ここにこうして立っていられるのは、運が良かったとしか言い様がない。ま、鬼なだけに、悪運って奴だ。大羅刹には重要な要素さ」

 ニヤリと笑う。

「もしもアンタが、あの時、あの雪女の能力を最大限に解き放つ呪文を唱えていたとしたら……いや、そんなことを言ったら、落ち込んでるあんたを益々追い詰めちまうかな?」

 號羅童子は、滝沢の声でけらけら笑った。

「それにしても魅雪のおかげで、オレは大変なダメージを受けた。完全復活までには、何十年かかるか分からないくらいだ。これだから、守嶺の連中は侮れないって言うのさ……」

 鬼が、筋張った細い顔に苦笑を浮かべた。

「だがな桂木。オレも、お前を銃で撃った後の二ヵ月間、ただ震えて隠れてた訳じゃない。ちゃんと手駒を用意しておいたのさ……」

「それが……」

「そう。コイツ、滝沢キョウイチだ。コイツなら、こうやって歌で客を眠らせて……憑依しているオレは、ちょっとずつ後ろから客どもの精気を吸い取ればいい……時間はかかるけどな」

 魅雪と華多岡がいなくなった安堵感からか、號羅童子はよく喋った。

「……」

「滝沢は、これからメジャーデビューして、もっともっと大きなホールでコンサートをする。そしたら、会場に集まったたくさんの客から、こっそりと、守嶺の連中に気づかれないくらい少しずつ、精気を吸い取る計画さ……どうだい? 人畜無害だろ。だからさ、魅雪のことも鬼狩りのことももう忘れて、俺のことは見逃してくれよ」

 鋭次郎は、滝沢の目を覗き込んだ。

「滝沢キョウイチ、あんたはそれでいいのか?」

「あ? いいに決まってんだろ」

「鬼のお前じゃない。宿主の滝沢、本人に聞いてるんだ」

「なに……」

「いいか滝沢さん」

 鋭次郎は、鬼の紅い目の向こう側にいるであろう、滝沢の精神に話しかけた。

「鬼に取り憑かれたのは、あんたの弱さだ。だけど二ヶ月前、節分の夜に、俺は死にそうになりながら、あんたの歌を聴いて感動した……そのときもう一度、あんたの歌を聴きたいと思ったんだ。そしてそう思ったのは、俺ひとりじゃない……俺の、大切な友人……恋人もだ」

 鋭次郎は、力を込めて言った。

「鬼の力なんか借りなくても、あんたは十分、素晴らしいアーティストなんだ」

「……」

「目を覚ますんだ、滝沢さん」

「……俺は……」

 一瞬、滝沢の瞳が、血のような紅色から黒に戻った。

「オイオイ、桂木巡査! 余計なコトを言うナヨ」

 瞳の色が再び紅く変化する。

「なあ桂木。オレに協力すれば、色々と美味しい目に会わせてやるぜ?」

「……」

「守嶺魅雪も、華多岡って女も相当な美人だったが……世界は広い。世の中には、他にも、いい女がいっぱいいるんだぜ?」

 涎を垂らしながら笑う。

「もう魅雪のことは忘れな。オレと手を結べよ。真面目な警察官じゃあ、とても相手にしてもらえないような美女が、毎日毎晩よりどりみどりの選び放題さ……」

「悪いけど」

 鋭次郎は革ジャンのポケットの、ペンダントの感触を確かめた。

「俺はもう生涯、守嶺魅雪以外の女性には興味が無いんだ」

「ヤレヤレ、オカタイ奴ダ……セッカクコノ號羅童子様が、友好的な態度を取ってヤッテルノニ」

 鋭次郎は、茶色くなりかけた瞳で、滝沢に取り憑いた號羅童子を睨みつけた。

「俺は、お前だけは絶対に許さない!」

「……やっぱ桂木、お前ダケは、ココで殺スシカナイナ!」

 どす黒く変化していく鬼の顔面に、鋭次郎は魅雪から託されたペンダントを、思い切り投げつけた。

「ギャアアアアアアアアアアアアッ!」

 號羅童子は絶叫を上げた。

「俺もこの命、砕け散るまで闘う!」

 鬼の顔に張り付いたペンダントは、シューシューと音を立てながら、凍気の白煙を上げている。

「冷タイ! ツメタイイイイイいいいいイッ!」

「號羅童子! お前が何と言おうと! 俺は! あの子を! 守嶺魅雪のことを! 絶対に『わすれない』! 忘れてたまるものか!」

 鋭次郎が期せずして叫んだ『呪文の言葉』が、引き金になった。

 白煙は急激に密度を増し、見る間に猛吹雪となった。水族館の中を吹き荒れた暴風の、さらに数倍、数十倍ものエネルギーだ。台風並みの猛威で、ライブハウス内を縦横無尽に吹き荒れる。

 次の瞬間。

 いったん広がった吹雪が螺旋状に収束し、鬼に突き刺さった。

 鬼は白目を剥いて客席の通路に仰向けに倒れ、ひとしきり痙攣すると、口から赤く光る玉を吐いた。以前も見た、號羅童子の魂の塊りだ。

 鋭次郎は、その赤い玉を革靴で何度も踏みつけ、粉々に砕いた。もう二度と復活できないよう、執拗に踏み続ける。

 すると、まだ天井付近に残っていた吹雪が舞い降りてきて、欠片のひとつひとつを包み込んでいく。

 赤い光は完全に消滅し、鋭次郎には鬼の断末魔の絶叫が聞こえた気がした。

 ――これで……本当に終わったのか……。

 ライブハウスの中には白いもやのような、吹雪の名残が立ち込めている。

 満席の観客は眠ったままだ。不思議なことに、あれだけの暴風が吹き荒れたにもかかわらず、観客たちは全く被害を受けていない様であった。

「魅雪ちゃん、華多岡さん。俺、やったよ。號羅童子は今度こそ、ちゃんとやっつけた……だから、安心しておやすみ……」

 白いもやに向かって呟く。

『……ありがとう……』

 もやの中から、鈴が震えるような声が、はっきりと聞こえた。

「魅雪ちゃん!?」

『……鋭次郎くん……全部、思い出したのね……?』

「思い出した! 思い出したよ、魅雪ちゃん!」

 姿は見えないが、鋭次郎は必死で呼びかけた。

「魅雪ちゃん!」

『……さすが鋭次郎くんね……』

「魅雪ちゃん、遅くなってごめん! でも、今から呪文を言うよ!」

 鋭次郎は大きく息を吸って、力の限り叫んだ。

「魅雪ちゃん、俺は君のことを『わすれない』! そして……『あいしてる』!」

 立ち込めた白いもやが、少しだけ動いたように見えた。

「聞こえたかい? 俺は絶対に、君のことを『わすれない』し、君のことを『あいしてる』!」

『うん……』

「それから……魅雪ちゃん、きょうは十八才のお誕生日、おめでとう!」

 微かに、少女の笑い声が聞こえた気がした。

 白いもやは、いつの間にかすっかり消えていた。

「魅雪ちゃん! 魅雪ちゃん!」

 何度名前を呼んでも、もう返事は無かった。

「魅雪ちゃん……」

 だが、鋭次郎は確信していた。

 呪文は、間に合った。

 間に合ったのだ。

 きっと魅雪は、もう一度、この世に生まれてくる。

 鬼狩りの一族の女性として。

 通路に倒れていた滝沢キョウイチが、軽く首を振って起き上がった。呆然とした顔で鋭次郎を見る。会場のあちこちで、伸びをしたり、隣の人を揺り動かす姿が見えた。

 ライブハウスに「日常」が戻って来たのだ。


…………………………………………………………………………………………………………………………


いかがでしたか?
この物語も、次のエピローグでお別れです。
12万8000文字、厚い文庫本サイズの長編にお付き合いいただき、ありがとうございました。
皆様のご感想をおまちしています。

では、明日アップするエピローグでまたお会いしましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?