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馬鹿息子とパイオニアは紙一重(#創作大賞2024#エッセイ部門)

49才の時の悲壮な自社売却決断は、馬鹿息子と卑下しながら悩み続けましたが、71才となった現在、22年前の売却決断が先見の明と評価され、現在ではḾ&Aのパイオニアと自負しながら明るい老後を迎えています。


私が会社を売った理由


経営者が会社の存在意義を考えるときに、福利厚生の充実や社内の環境整備以上に配慮しなければならないのが社員の給与です。社員は生きるために働いているのであり、給与は社員と家族の生活設計の基盤になるものです。当たり前のことですが、経営者たるものは、いかなる理由があろうとも、社員に対して給料の遅配や未払いがあってはなりません。

私が売却した会社では創業以来、売却決断までの38年間、給料の遅配や未払いなど一度もありませんでした。賞与にしても8月と12月の定期賞与、そして3月の決算賞与と、年3回の賞与を遅配なく支給してきました。

しかし・・・・

会社経営には3つの坂があります。
上り坂、下り坂、そして「まさか」です。

私の会社経営にはこの「まさか」がありました。私の右腕と思っていた幹部社員が、価格破壊を武器に進出を企てる新興企業に寝返ったのです。会社の営業内容と様々な経営上の機密を知っている幹部の離反ですから、価格競争は目に見えていました。終極、ダンピング競争で自社体力を消耗する前に自社売却を決断したのです。

社員の生活向上も、生きがいも、精神的余裕も、全ては満足な収入が根底にあることは間違いありません。万一、経営者の責任で社員の収入の道が閉ざされたたなら、社員はたちどころに生活の基盤を失い、家族ともども路頭に迷うことになります。

私が売却した会社は社員50名ほどのリネンサプライを営む会社でした。病院やホテルの寝具、シーツなどのリネン製品をクリーニング付きでレンタルする事業です。役員構成は私を含め創業者の父、そして母と妻の4人でした。

役員報酬を極力低額に抑えながらも、内部留保(社内積立預金)を心がけてきた経営でしたが、その姿勢は離反していった幹部社員に伝わらなかったようです。同族の経営陣だけがいい思いをしていると、とらえたのでしょう。離反していった幹部社員からの「報告・連絡・相談」は密であり、仕事以外の懇親も常に心がけ、コミュニケーションに問題は無いと自負していたのですが、単なる私の驕りであったようです。

幹部の人材育成は社長である私の使命とふまえ、私自身が幹部の人材育成を担当していたのですが、仕事の面白さや、やりがいを私と共有できなくなっていたのでしょう。社長であった私が会社にいなくとも、幹部のリーダーシップで順調に仕事が進行していく組織になっていると私は思っていました。離反した社員が退職してから気付いたのですが、組織が機能しているどころか、この幹部社員のワンマンさが判明しました。幹部社員の職務能力を私自身が完全に把握しておらず、過大な権限を与えていたようです。

私が売却した会社は、創業38年目で、経営権とその株式を他社に譲渡しました。売却決断の前年は税務署から優良申告法人企業として表彰された優良企業でしたが、社員の裏切りを機に経営内容を見直したところ、経営圧迫を予知させるさまざまな兆しが見え始めてきていたのです。業界全体が横這いとなり、創業時の事業内容だけで経営を維持していくことにも限界が見えてきました。

会社を手放すことになりましたが、いち早い自社売却決断で会社は起死回生を図る事が可能になり、また私自身は、売却で得る事の出来る資金によって新天地を求め、新たな第2創業の道を歩み始めることにしたのです。

社長は社員の人生を預かっている


社長が社員と約束したものは必ず実現しなければなりません。約束とその実現は相互のコミュニケーションと信頼性から生まれます。社長と社員のコミュニケーションの重要性に異議を唱える社長はいないはずです。いつの時も、中小企業の社長は積極的にコミュニケーションをとろうとします。そして、無差別に社員とのコミュニケーションを行おうとしがちですが注意が必要です。

体力の弱い中小企業が、コミュニケーショをただ単に無防備に行い本気で取り組むと、会社がおかしくなってしまうこともあるということです。社員とのコミュニケーションを本気で行なっていくと、様々な要求を背負うことになります。要求が実現すればよいのですが、実現しないと無言で経営者に不審感を覚えるようになり、経営者と社員の間で対峙が始まります。

私は幹部離反の際社員との約束すべきことを朝礼で発表しました。私からの一方的な内容でしたが、社員の仕事環境と生活設計の向上を実現させるための公約でした。

1. 給与体系と昇給条件を社員全員が理解し、納得できるように整備すること。
2. 夏季のクリーニング工場は、朝から温度が上昇し、一日蒸し暑さの中での作業を余儀なくされているが、冷房効果の高い工場環境を作りあげること。
3. 各職場に余裕のない社員数のため、有給休暇が取りにくい労働であるので有給が取りやすい環境を作ること。
4. 年間休業日を増やすこと。
5. 様々な福利厚生を充実させること。

以上5項目の公約を社員に告げ、この公約に対し半年後に実現又は何らかの目処が立たなければ、私は社長の座を降り、この公約を実現できる第三者に社長の座を譲るという考ええが根底にありました。社長の私が自らの社長人生を捨てるという背水の陣で経営に臨むので、社員も会社の要求する目標の実現に貢献してほしいという訴えだったのです。

私の売却した会社の朝礼は休業日以外、毎朝8時30分から全ての社員が工場内に集まり行なっていました。私はこの公約の浸透を目指し、必ず自ら機会を見つけスピーチを行っていました。大手企業に勤務する社員にとっては、前述5項目は当たり前のものととらえるかもしれません。しかし、私が売却した会社においては、前述5項目を実現させる資金調達の壁が立ちはだかり、当たり前でなくなっていたのです。

社員の人生を預かる社長として、公約を実験できるか否かの自身の資質を自問自答し見極めてみました。その結果自分の経営力と資金調達力に限界を感じ、私の代わりに社員の人生を預かってくれる第三者を探し始めることにしたのです。

妻を戦友にしたM&Aという戦場


自社売却を行うM&Aをご存じでしょうか。企業経営者から後継者にバトンタッチするための一つの手法です。

中小企業の事業承継には「親族への承継」「社員の承継」「第3者に売却するM&A」の3つの方法があります。

M&Aは社長が独断するケースが大半ですが、夫婦間で売却をとらえた場合、奥様の意向を無にするわけにはいきません。大半の同族中小企業では、何らかの形で社長の奥様が経営に絡んでいるからです。
 
今は、自社の事業からは離れているが、夫婦二人三脚で歩んできたという奥様もいらっしゃると思います。常に実務に従事していなくとも、経営のバックヤードで社長を補佐されている奥様もいらっしゃるでしょう。二人三脚で経営を担ってきた奥様に何の相談もすることなく、夫である社長一人が売却を独断してはいけません。一人で売却を決断し、奥様にも秘密裏に事を進めていったならば、途中で奥様の存在が売却の壁となって立ちはだかるはずです。

男性経営者がM&Aを決断したとしても、事前に売却の合意が得られない場合、夫婦の絆が途切れる恐れがあります。絆が途切れるだけでなく、奥様が売却に反対し、売却が頓挫してしまうという危惧さえあります。
 
社長に限らず奥様も、地域内で社長夫人としての交流があります。一般社員の交流とは違い、様々なセレブ的な交流があるものです。その交流が、売却と共に無くなってしまいます。社長夫人としての交流から遠ざかってしまうということです。
 
さらに、
売却成約までの日数は誰にも読めません。夫婦が売却を合意し共にM&Aの戦場に臨むというスタンスは、妻の存在が成約までの精神的支えとなります。成約までは、守秘義務(他者に口外できない決まり)がありますから、売却の推移を誰に告げることもできません。夫婦の絆があれば、社長が経営と売却実務の板挟みで精神的に挫折することを防ぐことができます。
 
夫婦間で徹底的に売却について語り合いそして、将来をどの様にするかを語り合い、夫婦間の合意で売却を決断し、成約を迎えたならば、夫婦の絆も一層強くなり、売却後の人生を楽しむことができます。

中小企業のM&A戦場は社長一人の闘いではありません。社長を支える妻の闘いでもあります。

M&Aを進めていくとわかりますが、進ちょくと共に様々な資料が必要となります。買収側主導で実施される、成約の一歩手前の買収監査においては、税務調査と同じような内部調査が数日続きます。準備する資料も膨大です。中小企業のM&Aは秘密保持ですから、その対応を社員に任せることが出来ず社長一人でおこなわなければなりません。社員に知られてはいけないのです。ここで波風がたつと売却が表面化し頓挫する恐れがあります。このような点でも、妻の効用がありました。妻は私のM&A実務に対するサポートを、社員に知られずに一人で的確にこなしてくれたのです。

M&Aに限らず、日常の経営においても妻の効用を見直してみてください。妻の大いなるサポートに支援されていることに気付くものです。私のように妻が社内で私の経営をサポートしていたケースに限らず、経営に関知していずとも家庭内の一切を取り仕切り夫が経営に専念できる環境を作っているはずです。

創業者である私の父と母も同様でした売却した会社は父と母が奔走し創業し、父が社長となり母が経営をサポートしてきました。父母二人三脚の経営でした。
その父母が突然ほぼ同時に他界してしまったのです。

2003年6月19日、腎臓病で母が他界し、

その3日後の6月22日、母を追いかけるかのように、今度は父が肺炎で他界してしまいました。

信じられないような二人揃っての他界の現実でした。

創業した会社の行方を確かめた後、内助の功で父を支え続けた妻を一人で旅出たせるのをふびんに思ったのか、その後を追っていったのです。

馬鹿息子からパイオニアへの道


私はM&Aという選択の結果妻と共に明るい老後の人生を迎えています。
M&Aという事業承継の手法を知っていれば、中小企業経営者にとって「鬼に金棒です」。先見の目を持った後継者不在の中小企業経営者は、続々とM&Aを実践しているではありませんか。

「私が会社を売った理由」でも述べましたが、私の売却決断は社員の裏切りが発端です。当時はM&Aとい手法は「会社乗っ取りの一つの手段」というイメージが強く、ハゲタカが獲物を襲う悪いイメージでとらえられ、その手法を知る人も少なく私は独学で勉強するよりほかに手立てはありませんでした。

そんなとき、M&Aの情報を探し求めていると、「中小企業M&Aの時代が来た」という本に巡り合ったのです。同書を読み終えた私はまさに救いの手が差し伸べられたのだと確信し、売り手企業と買い手企業を結び付けてくれる会社探しをはじめたのです。その結果優秀な仲介会社とめぐり逢い自社売却を成功させました。
しかしながら、巷では
「親から引き継いだ会社を馬鹿息子が売ってしまったらしい」

「跡継ぎの馬鹿息子が会社を売って夜逃げしたらしい」

等々、
様々な風評が出回ってしまいました。この時代は、現在のように、まだ中小企業のM&Aに理解が無く、M&Aで売却したと言っても現在のような事業承継分野での成功者のイメージとは程遠く、「危殆に瀕した会社が乗っ取られた」と捉えられ悪評が多かったのです。

私のケースは父親が創業した会社を父親存命中に独断で売却したのですから「馬鹿息子」と揶揄されてもしかたのない状況だったかもしれません。

しかしながら、売却から22年経過の現在、「当時のわたしの決断は先見の明があった」「中小企業M&Aのパイオニア」とおだてられることも多くなってきました。時折聞こえてくる風の便りに気を良くしたある日、チャットGPTで「中小企業M&Aパイオニア」「中小企業M&A講演パイオニア」と検索してみると私の人物像と売却から現在までの好評価が表示されました。

父親の会社を売却した馬鹿息子から一転し、事業承継のパイオニアへと私の評価が一転していたのです。

M&Aは後継者不在中小企業の事業引継ぎ手法の一つです。自分の会社を第3者に売却し引き継いでもらい、自らは退職してしまうのです。現代では会社を売却することに抵抗感がなく、中小企業のM&Aも活発化の様相をみせています。

私が自社を売却した22年前、そのまま事業を継続させれば売り上げは価格破壊で80%減になると予測しました。しかしながら、淘汰される前に会社を売却し、売却益で新たな会社を設立したのです。

あの時自社売却を決断せず経営を継続していたならば、父母から引き継いだ会社を潰した本当の馬鹿息子になっていたかもしれくせん。

今、全国で企業が売り上げを減らしている一方で、体力がある企業も存在すします。余力があるうちに自社を売却し生き残った自らの経験値から、ピンチをチャンスに変えることのできるM&Aを至るところで提案しています。

後継者不在でいずれ廃業せざるを得ない中小企業は全国に127万社存在すると言われています。コロナ禍の各種支援策が終了している現在、物価高、人材不足も重なり事業継続が困難になっている企業が増えています。しかしながら、M&Aの積極的活用が危殆に瀕した多くの中小企業を救済できるはずです。

私は私の経験値を様々な媒体を通して発信していきたいと思っています。中小企業のM&Aは、間違いなくこれからの時代に求められる経営戦略の一つです。国策での支援もスタートしています。

社会の変革が目まぐるしい現代社会、古くなった既存の経験値だけでは荒波を乗り越えることは困難な時代です。将来の自社の姿を想像し、企業の存続と発展の為に今なにをすべきか。経営者の英断が求められています。

#自分で選んでよかったこと
#創作大賞2024
#エッセイ部門
#事業承継
#中小企業


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