17. 貯めては消化するだけの日々
録画処理っていう言葉を言い始めた人はすごい。だってほんとに処理なんだもん。
僕はなんでも貯めてしまう。見たいと思った記事、録画した番組、積読、アイドルの有料メッセージ、Youtubeの後で見る。あげ出したらキリがない。絶対に消化する量より消費する量の方が少ない。いや、忙しくて消化していなかった日々のツケが貯まっているだけか。
こんな消化ばかりする日々で良いのだろうか。時間が勿体無いからと1.5倍速とかで見る日々で良いのだろうか。そこまでして見たいものなのだろうか。それは時間が経つごとに価値が目減りしていっている。自分の中で、そのコンテンツに対して帯びていた熱は、冷めていってしまうのだ。その冷めた熱を温める電子レンジは現代にはないらしい。脳内寒風摩擦で頑張って熱をあげるしかない。
でも結局名作であれば見ているだけでテンションも上がってくるし見てよかったと思う。そんなのは一握りだし、結局貯めてしまっているものの多くはファスト的なものでしかないのだけれど。じゃあ手放せば良いのかと言われたら、そうだしそうじゃない。手放そうと思ったことは何度もあるし、それで手放したものも多くあるが、結局手放せないことの方が大半だ。
もったいない精神とはよく言ったものだが、確かに僕もその精神を持っている。結局どっちでも良かったって思うのに、貯めているものに固執してしまう。この感情を手放すことももったいないと感じているのか、まだ自分の人生でできたことは多くない。手放せた時はチャンスタイムだと思って一気に手放すようにしている。手放して後悔したことは一度もない。
ニュースとか情報番組とか、年々見る時間は減ってきていたが、そう思うとそういう番組に価値を感じるようにもなってきた。貯めたものを消化するだけの日々は、今を生きている実感を損なう。どこを生きているのかわからなくなる。今世界で何が起きているのか、何が流行っているのか。リアルタイムで流れるTV番組を視聴することは、この世界の誰かと同じ時間を共有していることと同じだ。
僕は今を生きている。今を生きたいと願っている。でも、まだ過去と向き合う日々はやめられそうにない。
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