覚悟・自分の生き方


色々焦っていた。
焦りはいけないなあ。ろくなことがない。
今、61年間動いていた脳みそをリセットしている。
何かの問題にぶつかった時、環境を変えれば良くなると錯覚する。考え方、行動を変えなければ環境などは単なる物の入れ替えに過ぎない。

タイに暮らして4か月が過ぎた。
夢を追い求めて環境を選んだ。だが、「焦り」の根底が変わっていない。ここ数週間、鬱になりかけて気づいた。
私はいつも焦っていた。強いては事を仕損じる。急がば回れ。先人は上手く言ったものだ。そんな先人に時代が違うよ!と強く反発し、石の上にも3年?今の時代3か月だろ!と屁理屈をこね、ただ自分の見栄と負けず嫌いが先行していた気がする。
ずっと昔からタイが好きだった理由がやっとわかった。
ここに私の知らない私の脳みそが求めているものがあった。
この国の人々は誰一人として、焦ってはいない。
急いではいるけど、生き急ぎ・・・焦ってはいないのだ。
心から誰とも何をも比べないし、弱いもの、非力な者に対する施しがあり、命を頂く感謝がある。だから、「焦る」という言葉もないのかもしれない。

私は誰と・・・何を比べていたのだろうか?
きっと自分自身の中に作っていたもう一人の自分と比べ続けていたに違いない。

なりたい自分になる。
私の終活は始まったばかりだ。ここで本気のリセット人生。
娘や孫達に残したやれる「生きた」証。
今までわかっていたけど、やりたくなかった急がば回れ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?