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無邪気という刃との付き合い方

このnoteは、忙しいワーキングマザーが、どうすれば楽しく・有意義な家族との時間を確保できるかを試行錯誤している様子を記したものです。

大学生だった時、何か社会貢献できることはないかと思い、大好きな子供と触れ合えるボランティアをしてみようと思い立ちました。たまたま見つけたのが、児童養護施設の子供たちと定期的に遊ぶというボランティア。早速説明会に申込み、話を聞きに行きました。
様々な事情で親と一緒に暮らせない子供たちと一緒に遊ぶことで、自分も楽しくかつ子供たちも幸せな気持ちになれるなんて、なんて素晴らしいんだ!と意気揚々説明会に行ったものの、驚きの説明が待っていました。

「お父さん、お母さんではなく、お家の方と言ってください。」「暴力から逃げている子もいるので、仲良くなっても写真など絶対に撮らないでください。」「誕生日を聞いたり、祝ったりしないでください。自分がいつ産まれたのか分からない子もいるので。」

想像を超える配慮の数々。きっと私がこのボランティアをやったら、悪気なく子供たちを傷つけてしまうことになる。そんな気がして、結局そのボランティアは断念することにしました。

私は本当に家族に恵まれ、親族もとても仲が良く、従姉妹たちと今でも頻繁に連絡を取り合うような環境で育ちました。その環境は自分の努力で勝ち取ったものではなく、ただただ先祖代々への感謝しかありません。どうやったらこの恩返しができるんだろうと考えていた時ふと、自分が受けた恩を別の人に還元していくことで、世の中って回ってるんじゃないだろうかと思い至りました。

だから常に社会貢献をしたいという思いがあるのですが、無邪気な善意は時に鋭い刃となり、自覚がないまま人を傷付けることがあります。
「困っている人を助けてあげよう」というアプローチよりも、自分の在りたい姿と社会貢献との接点を見つけるやり方の方が、私の場合は合っているなと感じます。

今ライフワークとなりつつある、地方創生の仕事。
サラリーマンでありながら、場所を選ばず自由な働き方を目指し、発信する。その在り方が当たり前になることで、結果として東京一極集中が是正されていく、そんな私なりの地方創生を目指していきたいと思います。

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