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父と、父のカードに思いをめぐらせる

「お父さんはデザイナーだったんだね」

私の父が仕事としていたこと。長崎の町並みや建物をデッサンし、図面にし、カードを作り、売ること。私が「飛び出すカード屋さん」だと思っていた父を、デザイナーさんは「デザイナー」だと言った。

父は、東京にカードの先生がいるようなことを言っていた。茶谷さんという、その先生の名前を私は知っていて、だけど何をしている人なのか、具体的に何の先生なのかはよく知らなかった。

「自分が知りたいことを、よく知っている人がすでにいるなら、その人に習った方がいい。すべて自分で知っていく必要はないよ。時間の無駄」

そんなことを父が口にしたことがあった。よく分からないながら、「すでによく知っている人」は茶谷さんで、父は茶谷さんに何かを習ったのかな、と思っていた。もしかしたら、お父さんは「時間の無駄」をしたのかな、とも思っていた。本当のところはもう分からない。

茶谷正洋さんの名前は検索するとすぐに出てきた。建築家であり、「折り紙建築」を考案した方だそうだ。折り紙建築、オリガミック・アーキテクチャー、それこそまさに父が作っていたカードだ。そんなちゃんとした名前があったとは!

茶谷さんについては、ウィキペディア、著書や作品も次々とインターネット上に出てきた。でも、「長崎 飛び出すカード」と検索してみても、父の名前はもちろん、カードの画像も、お店のことも何も出てこなかった。父が作った数々のカードは、まったくその痕跡を残していなかった。まるでもとから無かったかのように。それが、とてももったいないと感じた。

インターネット上に出てくる折り紙建築の数々を見て、父のカードを改めて見ると、父なりに習ったものにオリジナリティを加えて創作していたということが分かった。色紙を重ねる、そこに星を入れる、星でメッセージや名前を入れる。そんなカードは他になかった。そういえば父は、カードをプレゼントしたい相手の星座を入れることもあった。そんなことを考え付くなんて、なんだかロマンチックだ。

「星でメッセージを入れられますよ」
「どんな文字を入れますか?」
「その方の星座をいれてみましょうか」

あの店の中で、お客さんとそんな会話をしている父を想像した。

カードの夜空に星を入れよう、いっそ星座にしてみよう。そう思いついたとき、きっとワクワクしただろう。初めて星座を入れてみたとき、その美しさに、感動したかも知れない。

そんなワクワクや感動を、父は誰かと分かち合っただろうか。妻を早くに亡くした父は、再婚しなかった。父の作業机には、横たわる女性の後ろ姿の切り絵があった。父が作ったその切り絵には、「K子」と題が付いていて、確かめてみたことはないけれど、その後ろ姿は母だったと思う。


飛び出すカードを売るお土産屋さんを、のんびりとやっているだけの人だと思っていた父は、もしかしたらデザイナーで、折り紙建築創始者の弟子で、ロマンチストで、孤独な人だったのかもしれない。

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