大学生のリアル「ある日々の話」

今朝偶然目にしたのはカツセさんのひとつのツイート。無名の映画の感想だった。

ーーーそこからの行動は早かった。
どうしても今日見なきゃいけない気がして、レイトショー、見てきちゃいました。その映画の名は、「ある日々の話」。

都内だと渋谷と板橋でしか上映してないそうだ。知らずに埋もれていった映画がなんと多いことか思い知らされる。
映画見るならこの子!という大学一の親友が20時までバイトだったので、それまでカフェでテキトーに時間を潰して、馬場の改札で合流したのち山手線で10分少々。渋谷駅のレイトショーへ。


この映画を見ようと思った理由は本当に単純。広告に使われていた場所が馬場のロータリーだったから。それだけ!
でもね、馬場の朝焼けに見覚えがある早大生はこの広告見逃せないと思うの。ずるいよね。

「ある日々の話」は誰にもありそうな、大学生のオールの一夜を切り取ったもの。
彼らからしたらノリで集まったメンツでの気だるい一夜。しかしそこには理不尽な上下関係、童貞非童貞、モテるか否か、様々なマウント(負けられない戦い)が根底に蔓延っている。心の機微がうまく描き出されていて、人間らしさを感じると共に彼らを憎めなくなる魔法にかけられた。

多少その描写が大袈裟だったとはいえ、大学生活の中で既視感のある状況すぎて、私自身めちゃめちゃ共感してしまった。

「なんで先輩のグラス空いてんのに1年が動かねえんだよ」

あーあー、この言葉、聞き覚えがある。
無意味な伝統に縛られていた私を見ているようだった、この映画を通して最も強く味わったのは目を背けたくなるようなリアル感だった。

かつ映画を見終わった後、まるで映画の登場人物たちと一緒にオールしたかのような疲労感に襲われた。これは監督の腕によるもの、大学生特有のかったるさへの観察眼は思わず唸ってしまった。

しかしこの「疲労感」が愛おしくなる時が来るのだろうな、とも思う。

高卒カラオケ店員役の太賀さんの「青春っすね」というセリフにどれだけの大学生が救われたことだろう。若者はどんなことがあったとしても「青春」というワードで全てを許すことが出来る。

「青春」とは、免罪符なのだ。


些細なことで犇めき合う夜が今はいくらかったるい夜だとしても、先輩や他人からしたら羨ましい夜でもあるのだ。価値がないように見えて、有限でいつしか愛おしくなる夜。

それならもう少し、大事にしてやってもいいかもしれない、夜の話。

#大学生
#あの日々の話


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