いつまでも分からなくて

建築、彫刻、発明。
を志すメンバーで去年からものづくりを始めた。

生活の中にある何気なく使っていたもの、捨てていたものから生まれるものづくり。
環境にやさしい、丁寧な生活をしたいわけではなかった。丁寧に見える生活って、どこか胡散臭いし、そんなきれいに生活なんてできないでしょって思っちゃう。
もっと人ってめんどくさくて、分かりにくい。
不健康な考え方も不健康な芸術も、割と好き。

ただ単に、
手を動かせない自分が手を動かすきっかけをずっと探していた。
ものづくりのハードルを低くすること。
手を動かしはじめたときのあの感覚を私は知っている。あの感覚が、少しの希望を持たせてくれることを。それは、玄人素人関係なく、誰もが持ち得るもの。
私にとって何よりのテーマだ。

職人憧れがある。
その道を極めている人のつくるものは美しい。
という考えと、ものづくりのハードルを低くすることは、相反することだとずっと思っていた。けど、最近は、両立出来ることなんじゃないかと思うようになった。

それは、とても抽象的で感覚的でしかないのだけど、互いを認めることなんじゃないかなあと。相手に委ねるというか。
誰がみてもめちゃくちゃかっこいい大工さんが作った建具。その建具の取手を私が作る。
とか、
既製品に少し手を加えてみる。
みたいなこと。
大工さんからしたら、素人に任せるなんて嫌だろうし、私だって、馬鹿にされそうだから嫌だ。けど、そうわかっている上で、互いの考えてることを聞き、話し、上手くいく点を探ることが大事だなと。

自分の家ぐらい、自分で作れ馬鹿者よ。な精神で今までいたけど、そうでなくてもいいのだよな。

と思いながら、共有ってのが一番難しいのだった!と頭を抱える。


制作スタンスの共有は、共同制作する上でとても重要だと思う。近しい考えを持つメンバーであるとわかりながらも、いざ制作!となると、中々上手くいかない。それぞれに、私の知らない時間があるし、みんなの知らない私の時間があるわけで、全てを共有できるわけではない、そんな精神力もない。そんなことは知っている。理想と現実は違うものと言ってしまうこともできるけど、この分からなさはどうすればいいのだろうか、と自問自答する。

だれか教えてくれないかしら

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