偏見な私見
私は誰かのファンになること、そしてファンである、というのを表明することがすごく苦手だ。
それは、自分の軸がないこと、客観的でいたいからだというのが理由だと思う。
誰か、何かのファンになるということは、自分のなかで≒盲目的、思考、嗜好の偏りである、ということなっている。
だから、やることなすこと全部褒めちぎっていたり、誰々がいいって言っていた、誰々が使っているからという理由ですぐに同じものを揃えたがる人は思考が停止している、自分が好きかどうか以前にその人が使っているからというのは愚の骨頂だと考えてしまうのである。
もちろん中にはそうじゃない人もいるけれど、そういう人は、自分が何者であるかの強い軸を持っていて、その中に好きを当てはめているのに近いんだと思う。
たぶん自分の軸がない私は、自分の思考が偏ることも俯瞰が中心になることもなにより嫌いで不安になるのだ。
ここまで書いておいて、我ながらなんてめんどくさいんだ、とほとほと呆れる。
そんな私の偏見な私見でした。
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