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ひと検の3期が始まって、いろいろと感じていることがある。
実は今期は実験的にセールスをせずに集まった少人数の新規受講生と1.2期からの継続メンバーで講座&ワークを行っている。
セールスされなくても受講する、継続するということは明確なビジョン、ゴールがある、または、そういったビジョンを描いていきたいと強く感じているからだ。
多くの人は変化を恐れるけど、わたしはチャレンジだと思っている。
ここに集まっている仲間たちも、変わることに恐れを抱かないメンバーが集まっている。だから、「ひと検ってこんなもの」と固定化しないことが、今期のテーマだ。

排除をしないことが正義なのか

ここに集ってくれたメンバーと「生きづらさ」の背景にについて学ぶ時間にいつも思うコトがある「排除をしないことが正義なのか」と。
ひと検に集まるメンバーには、障害を持っているひともいる。だた、私たちはそういうことを特別視したことはない。ひとりの人として、そこにいる仲間と語り合い、学び合い、時には協力し、時には意見する、そんな関係性を作っている。
年齢も住んでいるところも、価値観も背景も違う人たちだ、ということを自然に受け入れられるメンバーが集まっていると信じている。

そして、私たちのビジョンは「個立有縁」「個立有援」の社会づくりだ。
ひと検では、そういった社会を創っていける人財を輩出していくことをミッションにしている。

ここでふと「場に目的を持たせると排除がおこる」と気付く。
ひと検では、当事者ではなく、解決したい人が集まっているということに。
できるだけ排除をしない、というのは私自身のテーマでもあるけれど、これはひとつの排除だな最近想っている。きっとこれは、適切なコミュニケーションを取るために必要なことだけど、今回、継続や新規受講しなかった人たちは、この排除によって集まってこなかったのかもしれないと考えると、反省すべき点もあるんだろうなと。

排除をしないことが正義なのか? は、当分の間「解」は見つけられそうにない。

同じ根っこや思いを持った仲間でも…

ひと検を0期から3期までやってきて感じていることのひとつは、変えられない信念や変えていかなくてはいけない在り方について、個々人が、客観的に考えるには「他者視点」を入れて行くしかないんだろうということ。
同じ根っこや思いを持った仲間でもゴールをみつけて、前進でいる人は本当にごくわずか、そして、その多くが「仲間」を作って進んでいるということ。一緒に取り組むということが大事なのだ。
もし、それが運営側である程度コントロールできるのであれば、つなぎ直しをすることも今後は考えて行くべきなのかもしれないと感じている。

それでも、葛藤はある。
全員に伝える努力はしても刺さるのは1.2名だということも、事実として気付いている。なんならアンチなるひとだっている。そういうのをフラットにするには、運営側の権威性を剥奪ことも、きっと大事なんだろうなって。
そういう人間関係の構築に可能性を見いだせたら、また違う世界が見えるのかもしれないなぁと。

変わる事への不安はあるけれど、期待というか信じてやってみる価値はあるのかなと。


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