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そろそろ呪術廻戦の総括を始めようか

画像は、呪術廻戦オマージュ()の俺のオリジナル小説
「AVOCADO」の主人公二人。ユーノゥ?!ハー?!
五釘に決まってんだろ。

俺Xで更新中。興味があれば。

呪術廻戦の総括

早いって?いやいや、そろそろだろ、と俺の中のゴーストが囁いたのでしてみんとてすなり。まぁアレね?一年間宿儺と戦い続け、俺は既に五釘パラダイスで五釘ファミリーを形成し、なんならほら、五釘転生ストーリーまで!五釘素晴らしい。五釘は祈り、五釘は救い、

聖寵めでたし 充ち満てる五釘 汝の守護に感謝します

なんだけど、まぁそれはそれとして本誌は追わなきゃいけない。いけないんだけど、正直、正直言うよ。

正直なんていうか、ぶっちゃけまとめサイトのアンチコメント見てるのがすげえ面白い

という酷く暗いところに僕は落ちてしまった!助けてサトルモン!いや、悟じゃなくて野薔薇!のんちゃん、助けて!って具合である。

まぁ、まぁね?

でもさあ、言うてそれだけじゃない気がするんだ、あ、悟の顔ファンは相手にしてないので読むな。あと夏油の顔ファンもお帰り頂いて結構。
何度も言いますが、我BLアレルギー、奇麗な男同士がイチャイチャしてる絵みると夜を儚みたくなる衝動持ち。

夏油さん、一日ヒゲ剃らなかったら泥棒みたいな顔になっててほしい。

僕はそういう所に男性のセクシーさを覚えます、うぉんちゅ!

その上で、光の信者、光の読者的価値観で、呪術廻戦の擁護をおこなっていくます。

ちなみに、多分だけど呪術廻戦を読み解くのにものすごく参考になった本を今読んでる。


パクリ廻戦

んー。実はこの批判にはノれない。何故なら「引用文化」「パッチワーク文化」はそろそろ表に出てきていいし、何なら文芸世界は結構この引用文化、重要な位置だったりするのだ。

最近僕は南米文学にハマっており、ガルシアマルケスの百年の孤独はまだなんだけど、フエンテス、コルタサルなんかを月一冊のペースで読み進めている。南米文学を代表する作家だ、そんな作家でも作中で他の詩人の一節をこっそり「引用」する。
「引用」文化の根幹って、所謂同好の士への「お前ならわかってくれるよな」メッセージなのだ。
コルタサル短編集から引用しよう、

イデュメアの一夜(マラルメが「エロディヤード」の詩稿を進める為に不毛の苦闘を強いられた夜を指す)の果実の様に

パリにいる若い女性に宛てた手紙 
コルタサル短編集 悪魔の涎・追い求める男 より

好きな人は「マラルメ」の名前だけで「アーハン?」となっちゃうのだ。
ぶっちゃけ古今東西の文豪の文章読んでると結構この引用、登場する。夏目先生(漱石)も漢詩作ってるし、砕いて序文に盛ってるし、完全に「俺文章」で書ききってるの三島ぐらいじゃない・・・?とはいいつつ、三島の禁色はトーマスマンのヴェニスに死すだし。
この文化圏にいる人間にとって、引用、パクリに近い引用ってのはもうお約束なのだ。芥見先生小説を読まれる方らしいから、多分この文化圏にいる。

だからってパクリはご法度、と仰るならばそれはそれでいいんじゃないでしょうか。私としてはDJなんて、そのままレコード回して新しい物作っちゃってるけどなあ。の気分。

大好きな曲

もっとわかりやすいのあるか。

https://novel18.syosetu.com/n5844ig/53/

追記:作中にある「恨血 千年 土中の碧」は李賀の「秋来」という詩からです。ね、李賀ファン!気づいてくれよ、漢詩ファン、わかるだろ!という私の絶叫。

上の曲は、おでの小説STORMのRechkaに合わせて読んでみてほしい。そういう風に作ったから。

とまあ、実はパクリパクられ文化に関して「音楽」やら「小説」は結構柔軟なんじゃない?という話。でもうずまきはダメだろ、には「チョトワカル」っていうけど。

オカ板的なモノ

ジャパンホラーの現在地を読んでて、ほぇーとなった場所がやっぱここ。多分、だけど、芥見先生この文化圏の人だ。それこそ洒落怖住民というか。ホラー大好きっ子だと自称しているわけだし、吉田先生の解説がすごく合点がいった。

芥見先生、作中に「資料」を出す事に拘ってる気配がある。だって

「記録ーーー2018年6月」だもん。

これたぶん実話怪談のお作法だ。
実話怪談というのは、「体験者が存在する」怪談だ。だから記録になる。記録になってそこがリアリティになる。
背筋さん「近畿地方のとある場所について」は多分、芥見先生読んでると思う。吉田先生との対談の形で進んでいるけど、背筋先生は「そういう風に作った」と仰っていた。

呪術廻戦は「怪談」の始まり方をしてる。そして実話怪談、というのは終わりのないお話だったりする。

実話怪談の怖い在り方は、例えば

「子供の頃、家の中で遊んでたんです。漫画を読みながらふと意識が途切れた瞬間、なんだがゴミ箱が気になってそっちに視線を移しました。すると突然ゴミ箱の中から「タスケテータスケテー」っていう男性の声が聞こえたんです。確かに聞こえたんですけどね」

で終わる。だから何?って話。ちなみに実体験。

これが小説になると、リングになる。
恐ろしい事が起こる。何故起こる?原因は?ではその原因を突き止めて破壊しよう。
これが一連の流れ。ジャンルはホラー。

呪術廻戦は、きわどい事してるよね、というアレ。
ホラーをやってる。ホラーをやってるんだけど、少年漫画として成り立たせなきゃいけない。少年漫画とホラーが曲がりなりにもしっかり融合したのはやっぱりぬーべーだったり孔雀王だったと僕は思う。孔雀王はしっかりホラーしてたよね・・・。

2ちゃんねる的祭り

2ちゃんで祭りになったオカ板事件って何かあったっけ?
きさらぎ駅ととんでもない場所を見つけてしまった、あたりじゃない?今も跡地残ってんのかな。

跡地じゃないけどまとめサイトみっけた。懐かしいですね。年齢もバレますね。

祭りで作り上げていくオカルト。そこには確実に、「昔あったオカルト作法」がくっついて醸成される。でパッチワークにはなる。

2ちゃんねるで「作られる」怪談は基本パッチワークだ。

車でドライブ中、幽霊を見る。逃げる。コレに崖をプラスして車が落ちる。或いは落ちかけて助かる。更には「落ちればよかった」と幽霊が笑う。助手席の彼女が笑う、と付け足されていく物語。

さてさて、上記だけでも覚えがありません?そう、呪術廻戦の物語が「それそのもの」だったりしないですか。

恐怖の前提条件

恐怖、の物語の作り方で、私がすごく面白いな、と思っているお話がある。
大好きなブラックラグーン、巻末漫画の「怖い話」特集である。

怖い話を聞かせろ、とスゴイ怖い双子がいう。
レヴィ「警察官殴った話。あいつらマジでしつこい」
バラライカ「包囲戦の時に補給が途絶える。ぞっとする」

怖い、の前提条件「お作法」を踏襲してないと実は「怖い」にならないのである。日本における「ひゅ~~~どろどろどろどろどろ・・・」の音は日本人にはとっても怖い、けれども、

海外の人にとってクソ怖いのは「夜中、自分の後ろをついてくる足音」である。

文化が違うと恐怖も違う。だからこそ私は最近、南米文学にハマりっぱなしだ。何故なら南米文学は
クッソ明るい陽キャの怪談」なので。「マジックリアリズム」そうだろう?
チャックモールは再生するし、アウラは真っ暗いお屋敷の中のおばあさん。御婆さん?いいや、お姉さん。
所謂「だから何?」って話。

夢十夜?違うな、永日小品だったかな?
「台風の日、叔父さんと川へ行った。ウナギが沢山とれるから、と叔父さんは川に入っていった。私は近くでそれを見ていた。叔父さんが何かを掴んだが、それがひょろっと叔父さんの手を抜けて川に入っていった。瞬間、叔父さんの声で「覚えていろ」と声がした。私が「今のは叔父さんがいったのですか」と聞くと叔父さんも「わからない」と返した。

こういうチョット不思議な話に帰結する。

まあだからと言って、一年の宿儺戦を擁護できるか!と言われれば、笑っちゃうので、笑う為にアンチコメント読んでる。めっちゃおもろい。
ただ、高度な事やってる気配はあるよ、って話です・・・。
擁護、うーん。総括終了!

よかったらおでの小説ヨンデクダチィ


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