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カルトと僕と大言壮語

先ずは、愛を。

hey guys!!!僕はエロゲと五釘が好きな路輪一人だよ、よろしくね!

今日は皆に、カルトについて勉強してもらおうと思う。
しなくていいよ、だって?とても大切なんだ、特にオカルトを好む人間にとっては。

今も日本中にカルトは蔓延し、一個5000円のブレスレットとか、神の氣をいれたペットボトルとかが売られている。
カルトのお陰で人を殺した人もいた。RIP 安倍晋三元首相、貴方は日本にはいなくてはならない人でした。貴方の功績と貴方の献身に、心から敬意を。

カルト、というのはいつの時代でも、どんな時代でも現れた。
何故なら、一定の能力を持つ人間にとって、カルトほど美味しい商売はなかったからだ。
君の隣にいないかな?とっても面白くて、何故が人が集まっている人。
そういう人はカルトを作り出す能力にたけている、何故なら

「私の仲間に入りたかったら、これやってよ」


さあ学生諸君。これに抗えるだろうか?抗わなきゃいけないよ、だってこれこそが、カルトの入り口で、メン地下への入り口なんだから。

ずいぶん昔からあったカルトなのだけど、余りにも数が多すぎて全部は把握しきれない。実はキリスト教だって、ユダヤ教のカルトだった。
そういえば、最近読んでいる、サピエンス全史、って本に面白い事が書いてあったね

この人殺しの教義を元にして作られたのがイスラームだったりするらしいけどまあ、そこは問題じゃないよね。
兎に角昔から、カルト、というのは常に作られてきて、人心を惑わし、狂わし続けたって事だ。

じゃあ、最近のカルトってなぁに?

統一教会、みんなテレビで知ってるでしょ?あれも酷いカルトだ、カルトが恐ろしい所以、それは「信教の自由」というものに保護されているからだ。
例えば、僕が今ここで、五釘教を打ち立てたとする。教義はそうね、

「男女は愛し合うべき。父性と母性のバランスを保って生活すべし。女性は男性への、男性は女性への敬意を常にもって、互いに支えあい生活すべし。
女性は男性に奢られてはいけない。男性は女性を殴ってはいけない。」

まあ、こんな感じにしようかな。で、信者第一号が僕だったとして、日本政府は、「こんなカルトを信じるな!」って言えないわけなんだよね。

でも素晴らしい。それってこの日本が「言論の自由」を保証しているから、なんだ。他の国じゃこの自由、とても貴重だったりするんだよ。アメリカでもそう。

おっと、ウォークの憎悪はこの辺にしようか。

日本にも有名なカルトが沢山ある。オウム真理教や創価学会もそうなんだけどね、困ったカルトがまだあるんだよ・・・。

大本教。

ひどいよね、分裂しまくってもうどうにもならなくなってる。

出口なお、という千里眼の女性の噂を利用したのが、皆さんご存じ

出口王仁三郎

っていう詐欺師だよ。日月神示、有名だよねえ・・・。
基本ここに書かれているの、

「我を信じぬ者は地獄逝きぞ?」

ねえねえ、どっかで聞いたことない?このフレーズwwww

今は生長の家(右翼系カルト)とか、世界救世教(キリスト教的スピリチュアルカルト)とか諸々に分裂しちゃってね、何がなんだか。
でも根本は一緒だよ。権威と権力とお金儲け。

権威を求めて嘘をつく。
(例えば、日本の秦氏はキリスト教徒だ!って言ってみたり)
権力を求めて恫喝をする。
(信じないものは地獄に行く!と言ってみたり)
その本質はお金儲けだよ。

ちょっと調べればすぐにわかるような嘘を、息をするように吐けるのが特徴だよね。
英語のRと日本のラ、発生的にも語源的にも全く異なったものだと思うけどね。
僕はずっと、このクソ教義の出元はどこなんだろう、って探ってたんだけど、あーやっぱここなんですね、と。

みんな、大本教由来の新興宗教、リストアップするから気を付けなよ、まあ、出口王仁三郎に気をつけとけば、ほぼ大丈夫だと思う。僕は出口王仁三郎と役小角に関しては一切信用してないので、(周りに非常に偽書が多い)この二つの名前さえ憶えてればいいかな。

大本系[編集]

こわいなあ・・・。宗教、というのは「それっぽい」事を基調にする。
知識はないし、調べもしないし、精査もしない。けれども、「それっぽくて」自分の耳障りがいい事、を信じようとする。
それは、学問study  (「study」の語源は、ラテン語の「studeo」と言われています。 「studeo」は「打ち込む。 専念する。 勉強する。」)
という人の真摯さを棄損する行為だよね。

学者、scholar (ラテン語の「schola(学校))
scientist(
ラテン語 scientia(知識)+-ist(~する人)⇒ sciens(知っている)+-ia(抽象名詞語尾)⇒ scio(知る)+-ens(現在分詞語尾)⇒ skey-(分ける)が語源。「科学する人」がこの単語のコアの語源。conscience(良心)と同じ語源をもつ。)

というあり方、を考えた時、学ぶという事は「快も不快も受け入れる事である」ので、自分の快だけを求め続けた結果、そこに折りかさなるのは

gulp credulity blind belief

だったりするわけだ。そんな人間が語る 日本終末論。

カートゥーンかな?

最近少しラテン語に興味がわいています、サピエンス全史の中で

英語の成り立ちもそもそも「ラテン語」の方言に過ぎない、って書いてあったので。
さあ、精査をしよう、耳障りのいい言葉だけを信じるのではなく、「本当かウソか」を考えよう。大丈夫、君たちならできるさ。




























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