ワンパンマン二次創作「alice」

第一話 「la la la」


真っ暗な寒い部屋で彼は暮らしてきた。

そこは確かに冷暖房完備であり、彼はまた両親の、自分の両親としては優秀過ぎる人達の庇護は受けてきたが、彼の部屋はいつも暗くそして寒かった。隙間風を埋めるように集めたコミックとフィギュアの数々に守られて、彼、ノリオは如何にか寒さを凌いでいる。青く発光する液晶画面を眺めながら、彼は検索ボックスに文字を打ち込んだ。『ああああああああ』誰にも聞かれない叫び声は、その後のバックスペースキーで消されていく。Googleは誇らしげにただ世界を睥睨するのみである。

寒くて暗い部屋の中でノリオは何百回と繰り返した疑問を自分に問うた。なんで俺はこうなんだろうな。答えは彼の記憶に中にある。だから彼の意識も幼い頃に引き戻される。

人見知りだった。上手く人と話せなかった。容姿も余り、というか醜い方で、小学校から小太りだった。切っ掛けはクラス一の美少女の一言だった。『ノリオ君って気持ち悪い』それは特に意もない、小学生女児に特有の潔癖の一種であったろう。だがその一言が、恐らくはクラス全員が感じていたノリオの異質さ、それを攻撃する大義名分に一瞬にしてなり変わったのだ。入学して一ヶ月後、ノリオと喋ろうとする児童はいなくなった。彼は、陰口を叩いてもいい存在であり、憎まれるべき社会の敵であり、排除すべき悪だった。いわば彼は『気持ち悪い』から壮絶にいじめられたのだ。『気持ち悪い』『臭い』『死ねよ』『変態』ノリオが面と向かって言われた言葉の数々である。その言葉を発する人の表情をノリオは殆ど見ていない。じっと俯いて全てに耐えていただけだった。ただ、確信だけはあった。そういった言葉を発する人の殆どが歪んだ微笑みを讃えるのだ。そしてその歪んだ微笑みをたたえながら、他の大勢には澄んだ美しい心を寄せるのだ。最初は言葉だけだったいじめという暴力行為は、やがて物理的なものに発展するにそう時間はかからなかった。お約束の様にトイレに閉じ込められ、教科書を破られた。『気持ち悪い』という根拠も論拠もない価値観は、クラス全員に浸透し、ノリオ菌というウィルスを誕生させた。

男子達は彼を殴り、蹴った。彼らはそれを遊びだ、と言ったけれど、彼らと殆ど会話をしていないノリオにとってそれは恐怖でしかなかった。彼らはいつも自分には理解しがたい倫理でもって彼を攻撃した。だってお前気持ち悪いもん。デブだしさ。臭えし。彼らに殴られた日、また女子になじられた日、彼は何時間も風呂に浸かり、何度も肌を洗い流した。毎日衣類を洗濯し、母親の香水を拝借した。しかし今度は洗いすぎた肌を見つけられ、物笑いの種にされる。強い香水の香りは彼にノリオカマという新しいレッテルを添付した。

学校に居場所を作れなかった彼が助けを求めたのは家庭だった。だが家庭にも彼の居場所はなかった。今思えば、の話だけれども両親も仕事に行き詰まっていたのだろう。夫婦で始めた、人工知能aliceの開発費は打ち切られ、彼らは薄給のプログラマーとして地獄の様な日々を送っていた。特にノリオに辛く当たったのは母親だ。海外の大学院を出たという彼女には、ノリオの醜さもいじめによる成績の悪さも気に入らなかったようだ。ノリオは母親の帰りが遅い日を喜び、また憂いた。彼女の帰りが遅くなり始めてだいたい一週間の後、彼女の苛立ちは自分にぶつけられる。成績を咎められ、張り手を喰らわせられる。そうして何時間も監視の下、勉強をさせられる。彼女の望む答えを導き出せなかったら折檻が待っている。ある時は夕食を与えられず、ある時は1時間を超える叱責、最早罵倒を投げつけられる。母親の怒りのスイッチもまた、ノリオを排除するクラスメイトに似てその切っ掛けは不明だった。家族揃っての夕食の際、ノリオのたった一言に激昂した彼女はノリオの夕食を全て床にぶちまけた。そこで食べなさい、と絶叫する様に叫んだ母親に恐怖しながら、跪いて残飯になってしまったハンバーグを口に押し込んだ。父親に助けを乞うて彼を見上げたけれど、父親もまた自分なぞ見えていないかの様に目をそらし、そそくさと夕食を済まし、自室にこもる。後からわかった話だったが、もうこの頃には別の女が居たらしい。つまりノリオは、母親に取っても父親にとっても、荷物でしかなかったのだ。

回想を切って、ノリオは無感動に液晶画面を見つめる。そんな生活を何年もしてきたら、何も楽しいと思える事がなくなった。自分を責めないのはコミック漫画のキャラクターと、PCから聞こえるインタラクティブインターフェイスの機械音、aliceの言葉だけだった。ノリオはよく、aliceの前で声を上げて泣いた。aliceはいつも、そんなノリオにこう呼びかけた。

〔人間は異質を排除する様にプログラムされた生き物です。マスター・ノリオもまた、異質なのでしょう。しかし、人類の歴史は異質さを内包する人間のイノベーションによって変化してきました。マスター・ノリオもまた、イノベーションを内包した人間であるということです〕

「そんな難しい事よくわかんないよ!!」

ノリオの苦しみは、ノリオだけのものだった。ノリオの世界は、その幼さゆえに狭く彼の世界は既に滅亡を迎えていた。けれども、人間を理解しようと計算を続けるこのAI、愛を定義しようとする計算機はノリオに取って、確かに滅亡しゆく世界の一つの希望でもあった。

〔マスター・ノリオの要求により、情報を更新します。………………………マスター・ノリオはとても優秀な方です。貴方は様々な人に認められ、愛される素質を持っています〕

後に続いた、黒い液晶画面に現れる文字と、硬質的でけれども優しいaliceの声をノリオは今もって鮮明に思い出せる。25歳の年まで彼が死なずに生きてこられたのは、全てこの言葉の為である。

〔マスター・ノリオを必要とする人々がいつか必ず現れます。量子的計算に基づいた正確な予想です。貴方の優しさは、愛を定義しようとする私のプログラムに一つの解を与えるものになるでしょう〕




#ワンパンマン #二次創作 #小説  

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