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今週の呪術廻戦感想戦と芸人と言論のハナシ。

これは美しい海を眺めながら、愛し合う五釘。

私事で恐縮ですが、母が亡くなりました。その上、

世界一重い話を世界一軽くしますが(加藤純一リスペクト)

今年一年で、子袋(子宮)とお袋亡くすってどうなんよ。

まぁ、なんにせよ、親が死のうが、戦争が起ころうが、災害が起ころうが、

文章を書かない理由にはならん、という事を僕は宣言したので、宣言の通りに生きようと思います。世の全ての物事は、僕が文章を書かない理由にはならんのだ。


そういえば、「浅草キッド」を観ました。


北野武自叙伝、「浅草キッド」の映画化です。監督は劇団ひとり、僕マジでこの人が出てきたとき「やられた、名前取られた」っておもっちゃった。ひとりって名前気に入ってるんですよ。死ぬときは皆一人で死にますからね。

さて、みなさん。お笑いってなんだと思います?お笑い芸人さんって、一体何をしている人だと思います?簡易演劇?そうね!コントならね!スタンダップコメディ?一つに説法、一つに、演説。でもね、

僕が考える「お笑いの根幹」は常に「暴力」です。

さて、お笑い、コメディを最初に行った人、というか、コメディを最初に映画で行った人、誰か知ってます??


僕もお笑い論をぶてるほどお笑いを熟知しているわけではないし、様々にヌケや間違いもあるでしょうけども、僕が観測する限り、チャップリンの笑いは、「観客に笑ってもらう」ものでした。
チャップリンの映画見たことあります??酷いんですよ?


チャップリンは「他人が酷い目にあっている現場を見せて笑わせる」手法をとっています。人間大砲当たり前。人が殴られたり、吹っ飛ばされたり、ブン殴られたり、「バカにされている」手法をとって、観客の心理を「優越感」へ誘導する。ああならなくてよかった、わかっているのにバカなやつめ、

そうして、「自分を優越感へ導いてくれた演者に感謝をし、好きになる」

そういった手法でした。

日本に於けるチャップリンを目指した人間で有名なのが萩本金一でしょう。彼はチャップリンの映画を穴が開くほどみて、彼の動きを研究した。コミカルでコケティッシュ。かわいらしさすら感じられる、あの独特の歩み。萩本金一は、チャップリンの動きを完コピしたわけです。

けれど、チャップリンの持つ「暴力性」はそこになかった。日本に於ける笑いの神髄「暴力性」をしっかりと踏襲しているのは、この二人だと思います。

僕は、談志師匠の言葉を常に座右として生きています。有名なところを書きますね。


この暴力性。

今の世の中、殊更暴力を皆さん忌避されますが、暴力にはこの一面があり、そしてこの「暴力的言論」聴いててみなさんどうです?ここに「自由」がありませんか???

喫煙者を攻撃する反喫煙主義の人間の目には「快楽の火」が灯っている。自分たちを絶対正義とする、絶対正義であれる「快感の火」これを僕は激しく憎むので、こう返すわけです。

「タバコやめたんでしょ?意志よええなぁホント」

笑いもまた「弱者」「抑圧者」に与えられた武器でありました。

北野武の名言もまた、同じニュアンスを持っています。

赤信号、みんなで渡れば怖くない、とかね。これが「笑いの本質」です。

つまり、日本の古典落語にも笑いの要素は十全に入っている。漫才と呼ばれるものも、落語を元にして始まったもので、その落語は「坊主の説法」から来ている。上座部仏教は日本文化の根底に流れるものだ。
ちなみに大乗仏教って書くヤツは差別主義者なんで無視していいです。何も勉強せずに放言しているアホです

これが、とある男の出現で、「暴力」から「狂気」へと変貌していきました。暴力は誰から観ても「わかりやすい」異常事態ですが、「狂気」は非常にわかりにくい。わかりにくいが「狂気」はそれそのものが暴力であります。今流行りですよね、無敵の人。この男はついに、「無敵の人」を笑いにした。

松本人志の傑作コントで、放送禁止となったコントがあるんですが、凄まじいです。貧困と狂気と暴力、セックスと恥と嗚咽が画面全てを覆っている。けれどもそれを俯瞰で観た時、人間は笑うんですよ。

ああならなくてよかった

同時に思います。「けれどもこれは、私たちのすぐそばにあるものだ

松本人志のコント、漫才は、「ウソでしょ?」が基本です。
ありえない、考えられない、狂気。一般人からは考えられない異常事態を作り出して、その差異を笑う。男性がストリップをし、とかげのおっさんが子供と交流し、産ませてよ、と半魚人が叫ぶ。

僕はよく、松本人志を筒井康隆と絡めて論じるのですが、松本人志のコントや漫才を「書き起こす」と筒井康隆的SFに変貌する。松本人志は、コントで長編小説を書き、漫才で短編小説を表現しています。ガキ使のフリートークなんて正にそう。あれ、SFなんですよ。

では、直近の笑い、とはなんなのか。

松本人志以前、以後で、お笑いというものは変わりました。
B・M(ビフォア・松本)A・M(アフター・松本)ですね。

狂気、というのは重要なファクターとなっていく。

ポスト・ダウンタウンと言われている「千鳥」の大悟もまた全身に暴力性と狂気を孕んでおり、野生爆弾のクッキーも異常性がある。僕の好きなチャンス大城には「異常者を引き付ける何か」があり、ハリウッドザコシショウは存在がもう「狂気」です。

一歩間違えば「無敵の人」であったかもしれない、そんな人達が存在を赦される場所。それが「お笑い」の世界なわけです。

そして彼らが武器にしているものが言論、言葉とは誰にも奪えない武器なのだ。さて、ここまでの前振りで、僕がいいたいことはわかったね!

今週の、呪術廻戦感想戦!

直近の僕のついーとを紹介します。

伏黒、僕の予想通りに「能動的に殺人」を犯しましたね。


それも凄まじいのが「つみきちゃん生存の確率が上がった途端」に彼は自分の狂気を解放しました。彼は「嬉々として」殺している。微笑み、火の粉を振り払っている。今週の伏黒クンでやっぱりとっても好きなのがあの言葉ですねえ。

「オマエみたいに行動じゃなく口先が全てのクズ人間」

レミちゃんに言ってるのがとてもいい。僕のnote観てくれてる人は知ってるだろうけど、「啓蒙するな行動し、証明しろクソが」の丁寧な言い方です。聴いてるぅ?クソフェミども、キイテルゥ???

さて、4/1でも伏黒はかつでしょうが、そこに「笑い」が登場しました。

上手いですねえ、芥見先生、このままだと血を血で洗うブラッドバスになりかねない状況、少年誌であることを考えれば、彼の登場は必須です。

そう多分、最初からこれやるつもりだったんでしょう。

そう、これでコント的展開するとしたら

「そっちは四人、こっちは一人、不公平だ!」からの「お前は何故死滅回遊に参加した」
伏「姉ちゃんを助ける為」
レジイ「なりゆき」

でセンターマンはレジイ相手に踊りますよ、おーまえはバーカ、って言いながら。

僕ねえ、なんとなくこいつ「究極の防御系」じゃねえかな、という気がしてます。50%の確率でダメージを受けない、相殺する、半減する、等。こいつ「得点が0」なんですよね。誰も殺してない。もしかして「殺す方法がないのか」と予想しています。

完璧に「攻撃特化」に移行し始めている伏黒と「強い盾」になり始めている高羽、なかなかいいペアじゃなくて??

それと、不思議ね。僕の大好きな野薔薇、君はまだ「たった一人の人も殺してない」んだね。処女なんだ。。。いや、肉体的には既に五条悟にポルチオ開発されてるレベルでファックされてるので、処女ではないんだけど、殺人処女な?殺人処女。

あと最近気づいたんですが、僕は

「完璧超人の五条悟に一切興味はなく、16歳の女の子の挙動に一喜一憂して、捨てないで!って縋りつくおっさんムーブカマす、マジのクソリプおじさんな五条悟がすごい好き」

という事にも気づきました。人間味がないやつ、興味ないんスよね・・・。野薔薇相手ならもう、そりゃあもう。俺ののんですから!ね!

お借りしたシーンデータで作った五釘。

そしてこれが、

人気投票二位で不貞腐れて、野薔薇に授乳テコキしてもらう五条悟です

五条悟「アッ・・・アッ・・・きもち、い、(ちゅ、ちゅ、ちゅ)


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