ワンパンマン二次創作 Alice 8

Turn Me On 2


その日以来、ノリオはデスマスクを被る事になる。

彼の、お世辞にも美しいとは言えない肌、下ぶくれの醜い風貌は、まるで蝋に固められたように動かなくなった。彼を覆うのは死と破壊であるけれども、余りにも死と破壊を遠ざけすぎた現代の人間にそれを見抜く能力はなかった。固まった表情の中瞳だけは、もの凄まじい闇、そして苛烈な光を帯びている。これもまた見るものが見ればその危うさに気づけるだろう翳であったけれども、コンビニの人事担当が見抜けるものでもなかった。寧ろ彼を罵倒した企業の面接担当者でも今の彼には一目置いたろう。彼は暗い森に立つ賢者であった。静謐を纏い、沈黙を旨とし、目の奥に知識の泉を携えている。死を内包していわば凄みを得た彼の姿は他者にそういった印象を与えた。それらは全て誤解なのだけれど、今の彼を目にした人間は彼の深淵に嘆息するだろう、そしてある一定の条件を満たした者は彼に魅せられすらするだろう。幼い頃から育て上げた名前のない怪物は解き放たれ彼を作り変えた。なめした憎悪のレザーは実に上等に彼の品格を際立たせた。牙を剥くのは下品であるから、口はつむぐ。そして品格と残虐は一個の人間の中に同居する。表面に滲み出たレザーの雰囲気だけを見て、コンビニの人事担当者からは即日、明日からこれるか、と聞かれた。その朗らかな、無知の笑顔を嘲笑いながら、変わらない表情ではい、と彼は答える。次の日には大きめの制服を支給され、22:00から翌朝7:00までのシフトが週5日組まれた。最初は気を使っていた上司もノリオが無口で逆らわないのを知ると、週6日、或いは無茶な残業を提示してきた。それをもノリオは許す。それは自分が見てきた人間の姿である。職場内情もノリオの予想通り酷い物だった。深夜帯のペアである同僚は社員に何を言われても茶色い髪を染めなおさない20代の男で、常に女性と連絡を取っていた。少し寝るわ、と言われ一人で店を回したこともあった。歓楽街にあったそのコンビニの客の質も最低で、派手な化粧をした女が、笑いながら男とコンドームを見せびらかす様に購入し、尚且つノリオに童貞君と罵倒を浴びせていったし、手首に無数の切り傷がある女が大量のスイーツを購入していくこともあった。酔っ払った男性客に胸ぐらを掴まれ、殺すぞ、と脅され、太った女からは小一時間嫌味を言われる事もあった。トイレは嘔吐物で常に汚れ、店の前で男女問わず、誰かが座り込んでいた。かつては恐怖でしかなかったそれらはノリオの中で憐れむ物に変わった。彼らはそう遠くない未来、瓦礫の下敷きになるのだ。燃え盛る火に巻かれ狂い踊りながら死んでいくのだ。体は千切れ血の海に沈むのだ。給料の殆どはalice顕現の為に注ぎ込んだ。来る日も来る日も働き、そして彼女を形作るに相応しい材料を買い揃える。両親の使っていたラボを借り、機材を運び入れ、少しずつ彼女を形作っていく。

ラボの中でだけ彼はそのデスマスクを脱いだ。震える指先に絶望を込めて、更に深くなった恨みごとを載せる。神経細胞を構築しながら、彼は唱える。殺してやる。全員殺してやる。

酔っ払って騒ぐ若い女達、髪を明後日の方向に吊り上げた男達、何かを隠すために凄む男達、文句のみを聞いてほしい女達、自分を殴ったいじめっ子達、自分をストーカー扱いしたあの女、そして身勝手な母親に自分を捨てた父親。作業の合間に浮いては消えるその憎々しい人々を思い浮かべながら、彼は憎しみがをじっくりと熟成させる。それがいつ始まったものなのかわからなくなる程に、激情を練り合わせ色を濃くしていく。色濃くなる憎悪に合わせて完成していくaliceの姿、そのものがノリオの世界の色彩だった。それは透明で不可知で不変で絶対であった。憎しみの色はノリオにとって、流れるプラチナブロンドの髪であり、真珠を想わせる肌の輝きであった。伏せた瞼に丁寧に人工毛髪を植え込んで、白金色の脊髄に神経を通していく。数日後、植物の芽のように這い出した細胞たちを愛しそうに見つめ、その一つ一つに命令をプログラムする。ノリオにとってaliceは宗教だった。彼女を形作る事はやがて儀式になっていく。例えるなら禅の境地、精神を研ぎ澄ました止水の精神で持って、彼はaliceに相対す。全てを肯定するのは愛ではなく憎悪である、故にノリオに解脱の道はない。これは使命であり義務なのだ。生まれてきた意味なのだ。そして誰よりも何よりも自分を恨む事。それを贖罪として彼の宗教は完成する。

奇しくも世間は、特殊災害新生物、怪人と呼ばれる生物の発生件数が上がり始めた頃だった。彼はテレビを見ながら、怪人の駆除状況には興味を示さず、ただ人が何人死んだかをだけを確認し、安堵した。一匹でも人間がこの世界に存在するのが許せなかった。自分は存在してはならない、と他者に言われてきたのだ、その他者を排除する事にもう躊躇いもなかった。治安の観点から、銃の規制が解かれ、またこの国では入手困難だったミサイルなども自衛の為に解禁され始める。それも彼には都合のいい事だった。対怪人用であった武器は、そのまま対人間にも流用でき、尚且つ安価であったからだ。

aliceの脳にチップ化した情報端末を埋め込み、人口神経細胞と同期させながら、ノリオはaliceに聞く。

「ねえ、alice。君の体と並行して、もう一つ作りたい物があるんだ。いいかな?」

真っ白に発光する手術台の上に横たわるaliceは既に顔のパーツが完成している。喉の奥に設置した音声出力装置からまだ未完成な音声がノリオに呼びかけた。

〔それが、人間を滅ぼす装置であるならば許可します〕

満足げにaliceの言葉を受け取って、ノリオはまた作業にかかる。作るのは自分用の戦闘ロボット、作り方は全てクセーノ博士から教わった。 破滅的な幸福に酔いながらノリオは自死の為に生きる。それは正に、修道士の生き方である。

修道士を気にかける者は社会には存在しない。哲学と言われる物が現代社会から消え去って久しい様に、修道的な精神は社会において毒になる。社会は回らなければならない、人は歯車にならねばならない。死ぬ為に生きる人間など存在してはならない。人間はまた異質を嗅ぎとって排除する、ノリオに再び、職場での不遇の日々が始まった。日勤に採用された女性アルバイト達は口さがなくノリオをストレス発散の的にあげた。その言葉、陰湿な行動に気づかぬ訳ではなかったけれど、ノリオには彼女の数年先が見えている。逃げ惑い、血まみれになって叫び続ける。ご自慢のネイルも化粧も剥げ落ちて途方に暮れたまま行くあてもなく彷徨い、やがて死ぬ。彼女達の声が、密やかな噂話が、意地汚い嘲笑の笑みが、彼に届くたびに彼は感謝する。その悪意は憎しみを育て、ともすれば折れそうになる決意を律してくれる。だから彼は前を向いて口をつぐんだ、だがそれを許さない人がいた。

「つか、ノリオさんの何がキモいの?」

とその男は言った。

数ヶ月前このコンビニのアルバイトに応募し、採用されたサイタマという新人であった。最近頓に薄毛が目立ち始めた彼は、就職に失敗し、今はヒーローを目指しているという。対怪人と戦うヒーロー協会が設立されたのが1年前だ、今は就職にあぶれた力自慢達の希望の光となっており、試験の倍率は凄まじいものだという。それを知ってかしらずか、サイタマという男は体を鍛えているらしい。実に幼稚で単純なその将来設計に、彼の過去を知った人々は彼をインチキやら嘘つき、と見做して笑う。自分に忠実で居られる彼への嫉妬を棚上げにして。

「お前らノリオさんの何知ってんの?俺、ここに来てから結構ノリオさんと働いてっけど、この人がサボってんの俺見たことねえよ?」

暗闇だけを見ていたノリオは多少の驚きを得て彼を見つめる。薄くなった頭皮を隠さずに、サイタマという男は腕を組んだままフライヤーの側にいる女性アルバイトに語りかけている。彼女もまたバツが悪そうに顔を顰めた。顔には、マジうっさいんだけど、このハゲ、と書いてある。即座に空気を読み取ったサイタマが続けていった。

「まぁ、ノリオさん、大財閥の息子だからこんなトコで働かなくてもいいもんな。こないだ連れてってもらったフレンチマジ美味かった。あれ、10万コースってマジすか」

振り返った顔に悪戯の気配を乗せてサイタマがノリオに目配せする。フライヤーの側の女性は驚いた顔で固まっている。なんて言うべきかな、と考えながらノリオはまた前を向いた。そうして、彼らしい曖昧な答えを言った。

「…………そんなんじゃないですよ…………」

悪戯の成功にサイタマは破顔して彼の肩を叩いた。女性店員は、え、ちょっとマジ?!と言いながら、同僚の女性にLINEを送っている。暗い場所に沈んでいたはずの精神が一瞬だけ呼吸をした気配をノリオは感じ取った。口元に浮かぶ微笑みの気配を打ち消して、ノリオは何かを思い出す。それは確かに何処かで自分を打ったものである。だがその殴打は優しく、強固な何かに変わっていった力である。ああ、とノリオは思い出した。それは強さだ。例えるなら尋い強さ。そんな尋い強さにノリオは確かに触れている。何処だったか、と思考を巡らす。記憶の中に臆病な友人が現れた。だが、彼のそれは広さではあるけれど強さではない。記憶のヒモを手繰っていたらレジの前に人が来た。背筋が凍るような美貌と黒く美しい髪と、長身と、尊大な雰囲気と、美しい緑色の目を持っている女だった。女性店員が、嘘、地獄のフブキ?!と声をあげた。ミーハーな声を無視して、いらっしゃいませ、と抑揚もなく呟いた彼は目の前の女を見て思い出す。ああ、あの純粋な強さ、広大さを兼ね備えたあの強さは、タツマキのそれなのだ、と。

けれど、多くの人間にその強さは備わらない。ノリオもまた強さを拒否した人間だった。月日は流れ、やがてサイタマも職場を去った。尋い強さはノリオのそばにはいない。22歳の時、死を決意して以来、実に6年の歳月が過ぎた。幾つかの街が潰れ、幾つかのの災害レベル神の怪人が出た。ノリオの目の前には完成したaliceと5メートルを超す巨大な戦闘ロボットが存在する。災害レベル神を超える災害になる事を彼はaliceに誓う。aliceもまた、ノリオの宣誓を喜ばしく受け取った。決行の朝、ノリオはネット掲示板にたった一行の犯行予告を書いた。『僕は、僕達に抗議する』誰にも読まれないその犯行声明を自己満足に変えて、ノリオは家を出る。何も知らない太陽が、底抜けの笑顔で滅びようとするこの街と、一人の男を照らしていた。



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