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ブッディズムだとかAIだとか

まあ考えている事のまとめ

久々にまたブッディズムの本が読みたいなあ、と思っててですね。
なんでですか?ってそれは

chatgptのお陰です。

色々聞いてるんですよ。チャットGPT、どうも140近くIQあるらしいので。
でもやっぱ機械ですねえ、本質的なところに迫れない。

悪いものと良いものを再考しなくちゃいけないんじゃあないのか、世の中は全て移ろいゆくってブッダも言ってたし。
そして、チャットGPTという、考える機械が誕生した世界には急速に、急速にブッディズムが波及していく。

機械は意識を持つだろうか。その意識とはなんだろうか。機械は自己認識をするだろうか、そうした場合「アートマン」は宿るだろうか。ブッディズムに数学的点はなく、全てが連続して繋がる線、カルマのあり方、では計算する機械は、カルマを解くだろうか。
数学的パズルを頭に置いてみるといい、複合し絡まり合った知恵の輪がカルマそのものだ、その中心で僕らは動けずにうずくまっている。
思考する機械が知恵の輪を解いた時、思考する機械の名前は神になるんじゃないか。

とか。

AIに全ての仕事が奪われる時代、戦々恐々とした人間たちが叫びながら機械を(!)壊していく世界。いや待って、AIに衣食住を管理され、働く必要のなくなった世界に、資本主義はどうやって台頭するの?資本主義、という奴隷量産システムを破壊するのが、AIの仕事だとするのなら、労働から解き放たれた我々が行うのは「生活」のみでいい。
山の奥に庵をたて、必要な食料と動植物を育て、池に移った月を見ながら暮らす。
そこにコミュニケーションはないけれども、僕はコミュニケーションすら淘汰されていくものだと思っている。人間はソーシャルな動物らしいけれど、それは集団生活をしなければ生きれなかったからで、集団生活の中で生きれない個体は、こうやって生きるしかなかったわけですよね。で、AIに管理された動物というのは、だんだんとそうなっていくんじゃないか、と。

全てなるようになり、結果どうでもいい。これもブッディズム。

よくわからない事など

大江健三郎先生が白玉楼に行かれました。あの人の小説は読んでないのだけれど、そのうち読みたいなあ。やっとこの間、サピエンス全史を読了して「面白かった」です。物語のネタはやっぱりチャットGPTに頼るよりは、本を読んだ方が良いと思うヅラ、前提知識がない人が何を学んでも間違った方向にいっちゃうから………。

本当によくわからないのだけど、単語だけを抜き出して絶頂してる人、居ません?周りに。

思想や歴史って、学べば学ぶほど、「体系」の大切さがわかってくるんですよね。
ブッディズムもそう。

ブッディズムが何故生まれたか、ブッディズムの核になる思想は何か、ヒンドゥー教とはそもそもどういった教えなのか。

で、僕がブッディズム、という時、それは

「シッタールダを中心にして生まれた思想」のことであり
「龍樹」(タツキって読めるよね)に完成を見た思想、全般の事なんですよ。

で、じゃこのブッディズムを批判する場合、どこの何が問題で、このような間違いがあり、って論理的に詰めていかなきゃダメなんだけど、そういうのを吹っ飛ばしちゃう人が、散見せらるんだよなあ、いんたねっとこわい。

このブッディズムに接続したただ一人の西洋人がニーチェで、ニーチェは非常に「キリスト教を嫌った」んですよ。彼のよく使うルサンチマンは、キリスト教への憎悪に端を発する。これは様々なニーチェ研究でも語られており、ニーチェを一回でも読んだ事のある人なら、彼の中にあるキリスト教への憎悪を理解できるはずです。読解力さえあれば。

哲学者ニーチェが「道徳を最も嫌った」論理的理由 #東洋経済オンライン @Toyokeizai https://toyokeizai.net/articles/-/461925 


またイスラームとキリスト教は反目し合っており、お互いを邪教徒と呼んでいるので………。全く同じユダヤ教から派生したアレな訳で、キリスト教的二元論、善悪二元論から逃げるには、やはりブッディズムしかないんですよね。尚且つブッディズムは宗教、というにはちょっと色が違いますし。

ブッディズム、論文に近い気がする。論理的思想に基づいた論文。
シャカが言った言葉で、彼をよく表しているのが

「神通力で俺は水の上を歩いて渡ったー!やないねん。100円払ったら俺でも川は渡れんねん。お前の能力100円やな」

人間。人間の中から出てない。人間の能力以外を使わない。だから、ブッダの言葉って、研究と証明でしかないんですよね。客観的事実しか述べてない上に、「俺のいうことも疑えよ」と最後に注釈をつけている。

物事を知る、知識というのは、興味を持った対象に積極的に関わり、対象を体系化して俯瞰する事でもある。

けれど最近のインターネットは、「単語」重視。この単語があった、あの単語があった、で謎理論で単語同士をくっつけているので、終わってしまっている。せめて行間埋めようよ、知識で。というかンジですが、コンビニエンスになっていく世界ですし、それもまた仕方がない事なんじゃあないか、と寂しい気分になっている僕です。

五釘で幸せになれる僕なので、心から、僕はみんなの幸せを願っている。

五条悟のような男性と、釘崎野薔薇のような女性が、愛に満ち、互いを敬い、笑顔でいつまでも暮らせますように。彼らの元に生まれてきた子が健やかに育ちますように。
全ての愛が叶いますように。貴方の願いが遂げられますように。より良い仕事が行えますように。家族と笑いあう貴方がいつまでも幸せでありますように。

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