不定期エロ漫画批評 クジラックス

クジラックスが東先生に絶賛されたのは記憶に新しいトコロだけど、最近もまた界隈を騒がしている、クジラックス。どうしてうちらはクジラックスに集まるのだろう。ロリエロが好きな貴方も嫌いな君も、何故かクジラックスを中心にする。

それはクジラックスがとうとう踏み出してしまった表現の世界にあるとうちは思っている。がいがぁかうんたぁ。これは「社会」の漫画なんだ。

がいがぁかうんたぁの1を読む。そこには代わり映えのしない、ロリエロレイpもの、が書かれている。特殊なのは、世相を反映したがいがぁかうんたぁ、という装置だけ。思いつく人は思いつく、極々当たり前のロリエr漫画だ。この作中でれいぷされる少女は、海千山千のアニメ美少女と大差ない。

これが2になると一気に「リアリティ」を増す。クジラックスがすごいのは、レイプされた後の少女を描いたトコだよ。あれで一気に少女の現実性が増した。そしてこの2を読んだ人は始めて思う。「なんて気分の悪い漫画だろう」そういう風に作ってるんだよ、すごい事なんだよ

ヌくだけの絵だった美少女が、この展開によって実在の少女、女性とオーバーラップしていく。そして読者の脳には、実在、既知の少女と被っていく。だから気分が悪い。そもそも読者は「誰も傷つけず性処理できる対象」として幻想の女性を選んでいるわけだから、それが実在の女性と被ってしまう、なんてありえない話だし、正直萎える。そして「萎える」という感覚が正しいんだと思う。

クジラックスは、その非実在の少女に「実在性」を与えた稀有なエロ漫画家だと思う。エロ漫画の女性は常に非実在、現実に居てはいけない女性なのだけど、そこに実在性を与えたから、クジラックスは貴重なんだ。全て創作の女児にも人権を。うちらからすれば荒唐無稽なこの話を実践してるのが彼なんだよ

そもそも「性処理」を行うんならそんなんで十分な訳だ、だけどクジラックスはそれをしなかった。ロリエロ漫画家なのにそれをしなかった!(超すごい!)ろりともだち、も、今連載中の「歌い手のバラッド」もこないだ単行本買ったけど、裁判所で女子犯すのも、それは社会制度や、危機管理や、世相、そんなものに対する徹底的な批判とペシミスティックな観察眼から齎されるもの、けれども彼はその冷笑の奥で「どうにもならない人達」を心から愛し寄り添い続けている。だからこそ、クジラックスの漫画は「がいがぁかうんたぁ」以降、主人公が男性になった。

うちの観測範囲が狭いこともあるけど、徹底して女性が主人公であるエロ漫画の世界で、男性の存在をしっかりと描く作者はクジラックスしかしらない。寡聞ですみません。だからこそうちは言う。クジラックスは稀有な才能だ、才能を持つ人間だ、彼はそのうち必ず「社会」の物語を書く。

まどかまぎかの作者の最初はエロゲだった。進撃の巨人の発想を与えたのはマブラブというエロゲーだ。次はクジラックスだよ。ここから始まる。傑作の花は汚泥の上に咲く。クジラックスはその種だ。うちはそう思うょ。


#批評 #エロ漫画 #クジラックス


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?