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五釘と可能性と文化の話

色々。
可能性。知っているかな?僕が可能性、という単語で一番に思い出すのはこれなのだ。

アルカナナンバー1 魔術師

マジシャン。意匠は「若い男性・若い人間・若年・可能性・挑戦・自由な発想」
それこそが可能性。あるかもしれない。ないかもしれないが、0ではない。僕はタロットカードの、foolからマジシャンの流れがとても好きだ。何も考えず崖を踏み外そうとしている男の足元にはワニが口を開けている。男は空を見上げている。その無垢、無知、思慮のなさ。けれどその足が本当に空を踏んで、彼は落下するのか、或いは彼の可能性がそこで芽吹き、彼は翼を持って飛び立つのか、誰もそれをしらない。だから、アルカナ1は魔術師のカードである。

蒼天振り上ぐつまさきの 我軽やかに虚を踏み抜けり

蒼天振り上ぐつまさきの 我軽やかに虚を踏み抜けり

僕の辞世の句です。これを持って僕は逝きます。


#呪術廻戦考察  になります。

五条悟=菅原道真の子孫。雷神の子孫
だから彼は無量空処を使え、雷のように早く行動できる。-の電子と+電子を使い分け、無下限を使える。

菅原道真公が、何故雷神と習合、同一視されるか、というと、彼が九州大宰府に流され非業の死を遂げた後、京都の内裏では次々と人が死んだ。流行り病や原因不明、とどめに内裏に雷が落ちた。凄まじい火災が起きて、その火から逃げ惑う人々の姿は正に地獄絵図だったという。

皆さん、雷除けの呪文をご存じだろうか?
桑原、桑原(くわばらくわばら)」である。実はこの呪文、この菅原道真公の逸話から始まっている。京都に雷が落ちまくっていた時、何故か一切その被害を受けなかった場所があった。それが桑原。養蚕の餌に使う桑の葉っぱを作っている野原だ。そこが道真公の居宅だったから、だとかなんとか。

ほかにも。

ある日、雷様が誤って地面に落ちた。驚いた農民が、思わず雷様の落ちた井戸に蓋をしてしまった。すると中からこんな声がした。
「おおい、ここから出してくれ。出してくれたら、雷が落ちないまじないを教えてやる」
農民は雷様を井戸から助け出した。雷様はこういった。
「俺は昔 桑 の 葉 で 目 を つ か れ た。それ以来桑の葉が怖いから、桑原には落ちない」

桑は「薔薇科」の植物です

最近はまた、検索語句が
「五釘」「五釘」「五釘 エロ」「五釘エロ漫画」「雷 薔薇」「雷 植物」「あへ顔」
とかになってきている。最後のは常駐。
そこで出てきた五釘廻戦。こいつは可能性のお話であって、僕は30%もないと思っている。量子的計算に基づいている。ただやっぱ五釘いいよね・・・。

で、海外の神話もちょっと攫ってみよう。

基本雷、雷帝、と呼ばれるものはほとんどの場合が神様で、結構地位が高い。何故なら、雷は植物の生育と強く関わってくるから。人類が農耕をはじめ何よりも不安だったのが、植物が育つかどうか。雷は恵の雨と風を連れてくる。

古代ヘブライの雨と風、嵐の神。雷の神。主神。キリスト教に悪魔にされた神。(キリキリキリキリ!)でも、流石に主神の力は強くてね、分割しなきゃ彼は悪魔にもなれなかった。それだけ彼は強大だった。

そして卑しいローマ(!)いいや、一神教を強要するある種の思想家達により、この一国の主神は悪魔となった。ブエルが習合したものは、特にエジプトの神が有名だ。彼も冥府をつかさどる優しい神様だったのにね。異教、たったその一言で、何万年も信じられていた文化や宗教を貶める、僕はそれが本当にたまらない。何が「共和だ」と鼻で笑ってやる。

私の友人。死を消してしまう掃除や。人の記憶はその羽に乗って冥府へ下る。彼の真名は、バエル・ゼブブ、だよ。古代ヘブライの偉大な神をこんな姿に貶めて笑っているヤツがいる。僕はそれが本当に許せない。

基本的に神は習合、しますからねえ。文化は多様であるべきで、一つの何かを無暗にアゲるべきではないしサゲてもいけない。そういう意味では日本は見事に共和的ですよ。文化は乱雑に、そして陰湿に存在し続けている。

ブラヒトリ

一人ちゃんは車で宗教施設にドライブするのが大好きで、なんで宗教施設?って聞かれたら、「その土地の文化が色濃く残っているのが各地の一宮」だからです。コロナる前は頻繁に行ってたんですが、最近はイケてない・・・。寂しい限り。

僕は温泉県在住なので、まぁ鬼滅聖地はふんだんにあるんですよ。九州はね、巨石信仰の現場なんです。信仰としてはかなり古い。

理由は簡単。阿蘇の存在です。

阿蘇山がポッコン!言ってお湯が沸いて食物が育つ。阿蘇から恵まれる全ては神様からのギフトで、阿蘇から降ってきたものも神様の分身。そう。巨石。


こんなんとかある。


延岡、神様山の三角石

あんまり学会でもまだ発表されてないっぽい、遺跡です。計算の結果、太陽の運行と三角点の位置に相互関係が認められているそう。ここも岩屋的になっており、恐らく地域の人達の隠れた信仰の場所ではあったんでしょう。クッソ行きにくいですけど、道祖神が見れる素敵ポインツ

マジでこんなとこ。

神様山、で検索したらでてくんじゃねえかな。
ここいらは、恐らく山で狩りをしていた人達の信仰がギリ残ってる場所です。大崩山(おおくえ)から傾山までは「狩猟」に関する独特な信仰域があり、この神様山もその分類に罹ってます。かかってたような気がします。
西都原古墳群の近くの博物館にそんなん書いてたきがする。あと、西都原博物館には、「隼人民族」の暦がありますよ。すごくない??暦持ってたんだよ。

あと九州には実に「鬼」の伝説が多いんですよねえ。

で、その鬼、なるものは実にイイヤツが多い。お手玉したり。(別府)人を手伝ったり。煽られて悔しかったから一日で階段作っちゃったり。(霧島)この「鬼」なんでしょうね。

宮崎には有名な鬼が居ます。「鬼八さん」という鬼です。
宮崎高千穂は標高が高く、霜害にて食物が育ちにくい環境にありました。それを鬼の仕業とされ、退治された「鬼八」という人物がいます。正体は多分、地方の豪族。中央政権に従わなかった豪族、九州なので土蜘蛛の一味ですね。彼は首を切られ、体を五体に裂かれ、それぞれ別の場所に埋められました。でもね、高千穂の人たちは皆まだ、鬼八が好きなんですよ。未だに鬼八さんのご供養を行っている。

実は出雲出身の方とお話した時に、ヤマタノオロチ伝説について聞いたんですが、けんもほろろでこう答えられました。

「川が暴れるから、それがオロチ。スサノオってのは治水工事をしてた男達の事」

もうサイコウ。理系、こうだから好き。

そうなんですよ。日本の歴史は「治水」との戦いだった。
山が多すぎて住む場所が少ない。やっと住めた場所では洪水が起きて人が死ぬ。これをどうにか収めてきたのが日本がずっとやってきたオロチ退治。現場に出る人は?当然「荒くれた男達」「荒んだ男達」「スサの男」「スサノオ


荒くれた男達の中には当然、女を犯すものもあったでしょう。
鹿の毛皮を剥いで投げ込むものもあった。

けれど彼らは重い砂利を担ぎ、川の流れを変えた。暴れる川はその勢いを鎮め、田畑は実るようになった。それには数学的な、微積分の能力が必要だった。僕は、「鬼」とは正に「スサノオ」九州におけるスサノオだと思っているのだけど・・・。歴史の教授なんかに指摘されちゃったらごめんなさい、ってします。そのぐらいの知識です。

こんな地方なんかでもまだ、口伝や風土記の書き記しで歴史の一部が残っており、(特に温泉県は豊後の国風土記が現存します)何がいいって、誰もそれを否定しない事。善悪二元論で片づけない事。悪い事もいい事もあった、それだけだ、と皆が寛容にそれをうけとめている事。共和じゃん???

何度もいうけど、僕はキリスト教を否定はしません。
そういう事はあったけど今は違うよね、というだけです。キリスト教はやっぱりあのアメリカの信仰の中心であり、その美徳はよいものだと僕は考えます。だって多神教だから僕・・・。アニミズムだから・・・。

海は海で「イソラ神」がまだ全然現役でがんばってる日本。神様も人も色々いたほうが楽しい。何かを否定するんじゃなくて、肯定していこう、いいね!ってね。

あずみのいそら

オシラ神との共通点あるよね・・・。生で見た時震えました。海洋文化、結構覗けなくてぴえん!

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