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一人断腸亭日常 20200303


テキスト。

だいぶ前にみたこの記事、僕はただただ悲しくて沈んでいく落日の、或いは散っていく花弁の、諸行無常みたいなものを感じていたんだ。正体は無常感、それから諦観、そして中年の危機をやり過ごそうとする悲しい希望。僕らの希望は常から貪られてきた。そういえばそうだった、なんて思い返す。思い返していると夕方五時の「ふるさと」が流れてきた。なんて物悲しいひな祭り、そうやって僕らは、こうやって僕らは

「老害」になっていく。

大事なことは一つだけなのだ、若い頃を思い返すこと。

僕らの若い頃、宮崎事件が起こりオタクは迫害され白眼視された。それでもあの頃、僕達はそれを止めなかったはずだ。幼いとバカにされ、舐められ、テレビではおもちゃになった僕ら。アニメの続きを見たいのに観たくも無い映画を見に行っていっぱしの知識人ぶった僕ら。服なんかにお金をかけるより、アニメキャラのグッズを一つでも欲しかった僕ら。そしてそんな僕らを嘲笑し、殴り、見捨ててきた大人たちはあの頃の僕らの本当の敵だった。僕らは夢みたはずだ。この感情が、この好きという情熱が、今に魔法を起こしてあの憎い大人たちをブチのめす様を。そして世界は平和になり、僕と君の傍には素敵なパートナーがいるはずだったんだ。

どうしてこうなった?

オタクに物申す、だって?違うね、そいつは「若いオタクに物申す」だ。若いオタクに物申した時点で、ロートルなんてただの老害なんだ。最近のオタクは・・・だって?違うさ、君がラノベを読んでいないだけだ。君が最近のブームについていけてないだけだ。

考察がオタ活の全てじゃないだろう

僕は基本的に「考察厨」が苦手である。何かしらを考えるのは好きだけれども、全てのお話が明らかになり、それについて議論を交わすのはとても面白い。けれども放映中、リアルタイムに喧々諤々の議論を交わすなんて、映画館で大声で議論を深め合うのと一緒、その議論ってそもそも、コミュニケーションの一形態なわけだから、おっと寂しいのかな、なんて邪推もする。本来のオタク、なんてダサい定義した時点でこのお話は終了、オタクの定義だって人それぞれ、一人一派なんだろう?そうだよ、オタクだって一人一派だ、なんでくくって考えるんだい?若いオタク、ってヤツをさ。

煉獄の門の前

煉獄ってのがある。煉獄って、天国、地獄に送られる前の待合所みたなところで、みんなそこに入って天国行きか地獄行きかの順番を待つんだそうだ。でもその煉獄にすら入れない哀れな人達も存在する。曰く

「何も成さなかった人」

らしい。悪名でも善行でも何かしらを行った人は死後の行く道がある。けれど何も成さなかった人はそこでお終い。天国にも地獄にもいけず待ちぼうけを食らう。煉獄の門の前で虫に食われて終わっていく。

老害ってのはつまりそういう事だ。何も成せなかったんだ。だから成そうとしている。わざわざ憎いオトナの役を、魔王の役を買って出て、最高に格好悪い役を格好いい振りして演じている。でもそれすら中途半端だよね、悪行って強いヤツだけが行える修行の一つだぜ、悪党の語源はカッコイイヤツって意味だからな。悪も成せず、善も成せず、虫に食われていくだけの人生。それを貫徹するならば、孤独である事以外に方法なんてないのだけれど。

外がもう薄暗いね、一日も終わる。どうか全ての成せなかったもの達が、嘲笑と罪を真摯に受け止められるよう。たそがれの中で祈りながらキーボードを打つよ。

#日記  

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