シリーズ・うちとおフェミ

最近この言葉気に入ってる。


表現規制、及び、おフェミの斜め上理論に関して、このnoteで大分語ってきましたが、某国士様集団とおフェミの間で内ゲバが起きましたね。争え・・・。もっと争え・・・。がふっと頭に浮かびましたが、心の底からこういいました。

「お願い!同じ目的を持つ者同士、争わないで!」

うち、正義でしょ?だから褒めてくたさい(ゲス顔)

フェミニズムっていうか、広義の意味のフェミニズムにはすごい共感するンすよ。「子供を大切に。女性を大切に。女性の力も活用しよう。女性は男に守られるようなもんじゃないよ。同じように男性を大切にしよう。お互い手を取り合うべきだ。」っていう。うちの中で大きな部分を占めてるのが、

過去の歴史を紐解いてみたまい、女性が男性に守られた一例などほぼないのだ!」

徹底して、女性は男性と同じ責任を負う。家庭内であれば家を取り仕切る家長として、社会人であれば戦士として責任を負う。それは殴られる事でもあるし、批判される事でもある、嫌な思いを同じように受け入れる事である、男性が社会で受けてきた言われなき罵倒を一身に受け入れるべきである、それが戦士である、その一点において、女性と男性は平等だ。

で、これを突き詰めると、畢竟「個人対個人」という所に行き着く。貴方と私、名前を持つ一個人同士のお話。女性、男性、と言うくくりでお話を始めること自体がそもそも間違っていて、「君はどう想うのか」「私はこう想う」の話に集約していくわけですよ。だよね?

しかし、おフェミ界隈は言う、「家父長制が」「女性の人権が」「女性の地位が」

うちの上記の考えに即してください、個人対個人の話に何故、家父長制が出てくるのか。おフェミが、「フェミニズムは一人一派」を掲げるのであれば、女性っていうくくりの可笑しさが直ぐに露呈するはずなんスけど、何故か。。。何故か・・・。

そして、理解できない事に遭遇したうちは、何故か自分の精神へ逃げ込んだ、

「何故私はおフェミ達を理解できないのか。理解しようとしないのか。そもそも、理解に生理的嫌悪感を持つ理由はなにか?!」

数ヶ月考えました。

うちは、まぁ、筋金入りのヲタクで、小学校一年で鬼太郎に初恋をし、三年で腐に目覚め、6年で腐に飽きた人間です。

飽きたんです。本当に。腐の本は読み漁りました。当時流行ってたのが、天空戦記シュラトか。ものごっつエロ満載の同人誌アンソロジー読んでました。で、飽きたんです。「なんでこんな同じ展開なんやろ」と。

しまいには、「ああ、うん、この辺で受けが涙ながらに男同士でこんな事!いうて、攻めがそれでもお前がすきなんやー!いうてセクロスやな、またこのパターンか」と。ごっつ飽きた。

で伝説のゆうゆう白書、ひえいはそんな事いわない、ですね。で、また同じパターンが量産されるのか、と憂いた中学二年生。

その頃から確かにオリジナルで、「女性主人と男従者の話を書こう、こういうのなかったよな!」と想ってました。今じゃ良くある設定ですが、20年前は少なかった。で、その頃に芽生えたのが「男勝りの女ってどうして判をついたように乱暴な言葉遣いなんだ?普通の口調で、普通の女の子で、強いってのが一番カッコウいいじゃないか」と。

もうこの頃からあれですね、男女厨の片鱗除いてますね。ごっつり男女厨。男女厨で、20の時に団鬼六、三島由紀夫に出会ってですね、団先生のこの言葉にいたく感銘を受けたわけです。

こんなもん、わしがヌきたいから書いてるだけや。ヌけんもん書いたってしょうがないやろ

芸術、ってなもんが社会に与える影響ってなんでしょうか。文章、絵画、漫画、絵に描いた空想でしかないものが価値を持つ、それは本当に価値なのか?明日忘れられてしまうような物語が。幾百幾千の物語、幻想を綴ったとしても、その価値とは一体なんなんだ?感動か?ではその感動が一個人にどれだけ影響を及ぼすのか。

こんな不確かな事はないんですよ。そこで、団鬼六に縋った。

エロには価値がある。あるんです。二束三文でも。文章を映像を漫画を絵画を見て、「おろ?ワシの息子(娘)さんがなきおった」という、身体状況への変化!これ、すごい事ですよ、幻想が、人間に身体的変化を起させるんです。これは価値だ!とうちは想いました。

男性向け小説リンク「正しいH小説のススメ」に入り浸り、鼻息を荒くしながら小さな肉芽を弄繰り回した20前後、その男性向け小説の世界には、腐の世界には決してないものがあった。

徹底した自由です。

カニバリズム、レイプ、人体改造。全部あった。触手も、蟲も、何もかもがあった。腐の世界しか見てなかった私は、光を見たんです。

ああ、この世界に、書いてはならないもの、などなかった!

腐の世界は確かに、「自重」を用います。自重しなきゃ、同人板に晒されるからです。謂れのない誹謗中傷、嫉妬を受けるからです。じゃ、男性同人板は?

批判もあるでしょう。誹謗中傷もあるでしょう。けれどそれ以上に、暖かい励ましのコメントがそこに並んでいる、何故?身体的変化を強く施すから!

カニバリズム、レイプ、人体改造。観てはいけない人間の欲望の底で、喘ぐ男性の性欲という業を見ました。そのヘドロのような性欲を少しでも昇華するエロ小説というジャンル。徹底した愛がそこに見えたんです。

以来私は、得ろ小説に夢中でござる。自分の性欲を余すことなく発散でき、尚且つ誰かの性欲を慰めることが出来る。その細い糸のみで僕達は繋がっている。なんて素敵な。

しかし、女性で、エロ同人、というのはまぁハードルとしては高いんです。サイトに来ます。「ホモ書いてください」「ホモ書かないなんて」「男女厨って、センスないやつ多いよね」

この言葉を完スルーして、うちは「カカサク」を書いた。「銀さち」を書いた。「ネウヤコ」を書いたし、「苛マコ」を書いてきた。歯がなるほど悔しいですが、そこで反論したって意味がないんです。センスがないのなら磨くしかないし、読まれないのなら読ませる努力をしなきゃならん。

多分、うちが「おフェミ」に対して反感を覚えるのはこの経験から、なんだろう。

うちが耐えたんだからお前も耐えろよ!っていうのは傲慢ですけどね、あれだけ、ホモ以外全部視ね、状態だった腐界隈で、10年以上このスタイル突き通したわけで。「男女が恋仲になってるストーリーはクソ!」って言われると、

オーッヒョッホッホッホ!っていう笑いしかでてこないわけですよ。

なんとなく、で、実に相対的な話になりますがね、うちの観測した、狭い範囲から考察するに、おフェミの根幹って「ホモ妄想が市民権得られないのが悔しい」でしかない気がするンすよ。間違ってます?

同人はそもそも市民権得ちゃいけねぇんだよ、ってうちは返しますがね。市民権がないからこそ、このグレーゾーンで遊んでいられるわけだ。

そう考えると、昔の腐は気概があったね、こんな名言残したもの。


「自分の設定を公式設定しようとすんな」


これ、男女どちらにもいえることですよっと。。。

とここまでかいてご飯にします。結論荒くなってモウシワケー!w


*追記

国士様、ネット酷士様は、某巨大掲示板で、ネトウヨを嘲笑して運営が授けてくださった言葉です。某団体を、「酷士様」と揶揄ったのは、やってることはそんな変わんないよねっていう皮肉。それでも酷士でいたいのならば。


#フェミニズム #同人



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