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一人断腸亭日乗

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2015年3月の記事一覧

ぶっちゃけ、あの時の私に、あの経験は「必要だった」と想ってる。男性に殴られる、という経験も、性的に侮辱される経験も、今思えば必要なストレスだった。だからうちはあの時の私を否定しない。だからこそ「子供ぐらい産めばよかったな」とか「結婚すりゃよかったな」って思える。

ついったから見に来る人もいるかなぁ、って。
あのね、うち、正直中道で居たいんですよ。どっちにも偏りたくないの。でもね、フェミの人たちが言ってる事って、うちがDV受けてた時に言ってる事と一緒なんだよ

シリーズ・うちとなんか違う

なんか違う。

なんか違うんだ、何が違うのか解らないんだけど違うんだ、何が違うのか説明しなきゃいけないね、でもわからない、わからないんだ。

なんか違う。何か、カチっとハマってない。カチっとハマってないから可笑しいんだよね。違うんだ、ハマらないんだ。

リアルじゃないんだなあ。きっと。

大分前から言ってるけど、哲学者ってのは「馬鹿の学問」であって、「暇人の趣味」なんだよ。難しいことを難しい言葉で

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シリーズ・うちとAI

ささつくればいいんでないかな。

こんばんわ、おはようございます、こんにちわ、ハロー世界、はろーわーるど、そんなカッコメンな序文で始めてみます、ハロー世界ってかっこわらい、いんたーねっつ、なんて「戦争から生み出された技術」に一体何を期待しているんだって言う。世界の平和?世界のオワリみたいな?今宵は100万年に一度、太陽核が堕ちて空に広がる、日、終わりの来ないような戦いが、核の光の中で息絶える、へい

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シリーズ・うちとえヴぁ

実は観ていない。

思えば、1980年代中盤あたりから、ガッツリオタクってた私ですが、あのエヴァを観ていない。「いいよ。すごいよ」と薦められる機会は多々あって、目にする事も多かったのだけど、序盤、見知らぬ天井、から先を観ていなかったりするのだ。理由?なんか・・・気分。

暴走シーンとか射精シーンとか、話題になった場面多かったんだけど、なんだか食指がそそられなくて。その当時何してたかな。中学三年生?

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シリーズ・うちとぐろうばる

ぐろうばる。

その昔、「人類資金」という映画をワクワクしながら観にいって、ひっくりかえって帰ってきたことが在る。

観る前のうちの予想はこう。

「日本の隠されたM資金、たった10兆をつかって、

現在の経済をひっくり返す、新しい資本主義を構築し、

国連をハイジャックして、世界にそれを公表するが、

頓挫してしまう、アツい男達の戦いなんだ!」

ネタバレ「10兆、途上国に配れ」

嘘だろってお

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シリーズ・うちとマスキュリズム

、男性に対する性差別(男性差別)の撤廃を目指す思想や運動である。

ソースがうぃき。

考えているのでs。フェミニズムとマスキュリズムを統合する新しい思想はないかな、と。

お前なんかに考えられるわけねーべwwwwって、うちもそう思うんだけどねwwwww

思うに、フェミニストは愛されたいんだな。

そして、女性のマスキュリストは「愛したい」のだ。

うん。そうなんだ、愛したい、のだ。愛されたい、

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シリーズ・うちと調子のり

2012年1月のmixi日記から。

なんか・・・日記にすごい大絶賛コメが載っててすんごく嬉しいので、ついでに調子に乗っちゃいます。

調子に乗ったところで書いて行くのは酷い、といわれるレベルのネタなんですけどね、ええ。ええ。

こんなに絶賛されたのは久々で、なんだかうちも申し訳なく恥ずかしくなってしまいました。だけど、うちも某銀色さんの

「ウォンビンを三回ヒットさせて、空中にカチ上げてか

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シリーズ・うちと自己研究

フェミニズム過激派の論を読み、終には笑いが出てきて、「ダメだこれwwwwwww」ってなったぞなもし

結婚してない30代、産業廃棄物です、こんにちわ皆さん。

恋愛市場における弱者、売れ残り、残飯、及び、「30代で結婚してない問題のある人間」です!宜しくお願いします。

実はこの言葉たちに私は一切苛立ちを覚えない。

何故なら、「自分で選択した事」だから。

20代にて、男と半同棲、DVを経験し、

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シリーズ・うちと感情論

ずっと自重してたけど、もうしない

最近、よくつぅぎゃったーまとめを見ています。

見るにつれ、「自分の感覚は、(自分の定義においては)間違っていなかった、と胸を撫で下ろす毎日です。

「フェミニズム、fuck off!!」様々な ‘自称’フェミニストの文言を目にしましたが、根底に流れるは全てミサンドリー、男性への、性、そのものへの敵意です。

そんなモンはただのヘイトだし、嫌韓となんの変わりもな

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其の中で生きていくには、ニーチェの「積極的ニヒリズム」しかない。
虚無を飲んで生きろ、という。否定も肯定もない。何も無い。何もないんだよ、ただ、ただ、ルサンチマンに赤茶けた荒野が、眼前に広がるだけ・・・・・・。

でもね、反エントロピーを希求しながら、現実を見続けると、そこに現れるのは「虚無」しかない。虚無しかないんだよ。恐ろしいほどの。
変わらないものなんてないもの。行き着くところはニヒリズムじゃないか。
「何も無い」という思想だけ。

全て変移していくんだ。当たり前だ。其の中で、変わらないものを求める、事が、「生命によるロマンチシズム」じゃないのか。だから、「単なる変革」を求める声が、私には欺瞞に見えて仕方ないし、空虚にしか思えないのだ。

私がしつこく「文化」「文化」といい続けるのもきっと三島の所為。
文化は、文化は、「反エントロピー」なんだよ。過去だからさ。夢なんだ、一握の砂なのだ、だけど、連続する時間の中にあって、変わらないもの、それを追い求めたっていいだろうって、思うんだよ、ああ