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COCCOのライブ@中野サンプラザ


先日生まれて初めて、COCCOのライブを観に行ってきた。
帰ってきてからも、今日の今でも興奮冷めやらぬ状態なのと、
共感できる記事やツイッターの呟きを探したのだけれど、探しているうちに
自分でも書けばいいんじゃない?とふと思った。

高校3年生の秋、COCCOのアルバム「ラプンツェル」を貸してくれたのは、同じクラスメイトのえーちゃんだった。
「さとくん、きっとCOCCO好きよ」
と言って差し出されたそのCDを聴いたところから、「今日までの私」は始まった。
アルバムに収録されていた『雲路の果て』の世界観は、当時の私にはあまりにも衝撃的だった。天啓と言ってもいい。
どんよりと重く立ち込めた雲の隙間から、一筋の光が差し込む光景が、まさしくありありと私の中に立ち上がった。
ーー昔見た聖書のページを思い出すと、あなたが笑ったーー
なんて言葉を紡げる人が、この世界にいることが信じがたかった。

そうして出会ったCOCCO。

当時、私は学校の体育の先生に恋をしていて、受験勉強の傍らのルーズリーフの片隅に、先生の名前を書くことばかりしていた。
その恋に飽きてからは、仄暗い飲み屋を覚え、しごく後ろめたい青春を送っている最中、そこで一回り上の人を好きになった。
セックスも何もなかったが、一方的な感情、ただ毎日それに突き動かされていた。
その人の勤務先の近くの交差点で、毎朝待ってみるのはどうだろうと本気で毎日考えていた。
出社する彼が「あれ、あの子はもしや?」と目に留まって、心を止めてくれるかもしれない。私を愛してくれるかもしれない。
今思えば、甘い甘いお伽話の極みだけれど、私はそれが全てであり、彼を全力で思う時間は幸せだった。

昔と今を比べてどうと言う気はないが、25年前は個人の価値観に対し、今のように「色んな考え方あるよね」と寛容ではなかった。

男だから、みんなやってるから、常識だから、「普通」だから、
まるでそれらは空気のように当たり前だった。
だから、私はいつも苦しかった。

しばらくして私は世間との折り合いも、そこそこ付けられるようになったつもりになった時、「好きなアーティストは?」と聞かれて、「COCCO」と答えるのを避けるようになった。
「あぁ」と微妙な空気になるのが怖かった。
「そういう人」と距離を置かれるのが怖かった。

そうして、私は25年を経て、ステージ越しのCOCCOに会ったのだ。

ーーそれはとても晴れた日で 未来なんて要らないと思ってたーー
彼女の代表曲でもあり、その詩のセンセーショナルさからも話題となった「Raining」の一節。

ああそうだ、あの頃の私はこれを聴きながら、自分自身を「欠陥品」だと信じていたと、照らされるステージを前にして確かに思い出す。

自分には世間様が「理想」と描くような、
三世帯住宅を購入し、両親とも仲睦まじく、近所の方との関係も良好、休日は一姫二太郎の子供を連れて自家用車でドライブするような、
そんな明るい未来は私には訪れないと、頑なに信じていた。

「あのころ」の気持ちに触れた瞬間、
小さい子が押し殺して泣いているような声が耳に届いたので、「あれ、横の人が泣いてる?」と思った次の刻に、ハタと気付く。
泣いている、いや慟哭しているのは、私だ。

そうだ。
自分がずっと抱えていたものから、遠く遠く離れても死にはしなかったし、私は何だかんだ幸せに生きている。
ね、大丈夫だったでしょ?もう赦していいんじゃないかな?
だから大丈夫、大丈夫。きっと、これからも大丈夫。

ライブが終わって外へ出ると、中野駅まで続くアスファルトが濡れていた。
どうやら通り雨が過ぎたようだ。







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