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【番外編】旅に出なけりゃ死んでいた

僕が旅していた頃に書いていたブログは
サーバーの契約が切れて消えてしまったので、
残しておきたい記事はこのnoteに移しておこうと思います。

時系列とか関係なくごちゃごちゃになってしまい
混乱してしまうかもしれませんが、
これからいくつかの記事をUPしていきます!

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今の心境と旅に出た理由を少し。

カリブ海のこの綺麗な海をぼんやりと眺めながら、もうすぐ日本に帰るんだな、と思ったらこれまでの事を色々思い出していた。

日本に居た時の俺は、“自他共に認める社会不適合者”だった。

集団に馴染めず、仕事も何やっても全然続かない、ずっと人間関係に悩み、ずっと社会の仕組みに、そして人生に疑問を持っていた。

子供の頃は学校に行く意味が分からなくて、『何のために勉強しなくちゃいけないの?』『何で良い会社に入らなくちゃいけないの』『何でやりたくないことをやらなくちゃいけないの?』と、常に疑問に思っていたし、そんな質問を投げかけても納得のいく答えをくれる大人が周りにいなかった。

俺が納得する答えをくれる人は居なくて、『大人になってから苦労したいのか!』とか、『皆んなやってるんだから当たり前だろ!』なんて力で押さえつけられ、皆んなが行ってるんだから学校に行くのが当たり前、勉強するのが当たり前、会社に入って働くのが当たり前、九官鳥のように同じことを繰り返す大人たちに不信感を抱くようになり、大人が嫌いになった。

周りの大人が全然格好良くなくて、こんな大人になりたくないと心底思っていた。

その考えは中学、高校に進んでも変わることはなく、ダサい大人、本当に大切な事を教えてくれない先生、理解力のない両親、何の疑問も抱かずに馬鹿面並べて授業を受けている同級生、全てに腹が立っていた。純粋でクソ正直でクソ生意気だった俺は『お前みたいなダセェ大人になりたくねぇんだよ!!!』そんな心無い言葉を、どストレートに親や先生、まわりの大人たちにぶつけた。周りを沢山傷つけてきたし、俺自身も傷ついていた。本当は別にそんな事が言いたいわけじゃないのに、どうしたらいいのか分からない、答えのない迷路の中でもがきながらどうしようもない怒りが湧いてきて抑える事が出来なかった。やっぱり周りの大人が言うようにちゃんと勉強して大きな会社に入ることが幸せなのか?いや、違う。あるいは自分で起業したりして成功して金持ちになったら幸せなのか?それともスポーツや音楽など、何か真剣に打ち込めるものがあったら幸せなのか?どれだけ考えてもいつまでも答えは出なかった。頼むから誰か教えてくれよ。何処に向かったら良いのか分からないんだよ。

やがて学校へもあまり行かなくなり、高一の秋頃に退学になった。

こんな勉強して、こんな高校出たところで何の意味があるんだ?その考えは変わらず、何の後悔もなかった。

でもせめて高校だけは出ておけとゆう親の強い進めと、その頃急激に増えだしていた通信制の高校が家の近くにもでき、友達も多数通っていたことから俺は改めて通信制の高校に通い出すことになる。

そこはなんらかの理由で普通の学校に行けない子たちや、若い頃に高校を卒業していなかった大人まで色んな人が居て、色んな人が居る分刺激的で楽しいところだった。学校は月に1、2回行く程度で、普段は皆んな仕事やらなんやらしていた。

俺もたまに学校へ通いながら、普段は仕事として土木作業員や配管工、工場と色々やったがどれも長くは続かなかった。

朝から晩までクタクタになるまで働いて、手取りで14、5万とか。住民税?年金?訳の分からない税金で搾取され、他の上司とかの稼ぎをみても、勿論それよりは高い給料だが、やる事も責任も増えせいぜい30万とかの給料で家族まで養って、少ない小遣いの中からコンビニで買い物1つするだけで何を買うか悩んでいる。それを見てたら、なんて生きるって大変なんだろうと思った。社会に出れば何か見つかるかもと学校を飛び出したが、お金を稼ぐ大変さ、社会の厳しさを痛感し、更なる疑問も湧いてきた。

こんなことをあとは老人になるまで繰り返して、そしてあとは体力もなくなって死んでいくだけなのか?こんな人生に一体なんの意味があるっていうんだ?俺の人生って一体なんなんだ?

相変わらずに仕事も続かず働いては辞め、働いては辞め、お前はクズだと罵られ、そんな生活を繰り返しながら、とにかくどこか遠くに行きたくて、知らない場所に行きたくて、誰も知り合いのいない場所に行きたくて、バイクで野宿しながら日本を周ったりもしていた。知らない場所へ行くのが楽しかった。誰も知り合いなんて居なくて、自分の気分次第で何処にだって行ける、そんな“放浪の1人旅”に、凄く自由を感じた。でもまた“生活のため”と自分に言い聞かせ、つまらない同じ日常に戻る。

皆んないつもくたびれた顔して週末になれば居酒屋に集まり安い酒を飲んでは不満を言い合い、それでも生活のため、将来のためと、また月曜日になればその不満だらけの生活に戻る。将来のため?こんな生活を将来も続けたいって言うのか?でもなんだかんだで皆んなちゃんとやっていて、でも俺はその社会の仕組みにずっと納得出来ずにいて、『いつまでも大人になれずに子供みたいなこと言ってる奴』みたいに、ただの大人になりきれない未熟な奴として認識されていたように思う。「いい加減大人になれよ」「大人なんだから当たり前だろ」なんて言葉に、俺の理解者はこの世に居ないんだと、ずっと孤独の中で生きてきた。幸せとはなんなんだ?ちゃんと学校を出ていればまた違ったのか?いや、きっと同じだ。大学出だと生涯年収が○○円違う?大企業に入れば将来安泰?出世したい?肉体労働しなくても済む?だからなんだっていうんだ。そんなものドングリの背比べでしかない。気づけばあんなになりたくないと思っていた居酒屋で愚痴をこぼすダサい大人になっている自分に気がついた。

“生活のため”?かつて自分に言い聞かせたこんな言葉は言い訳でしかなく、俺はこんな生活を守ることを全く望んではいなかった。

もうこの頃には希望を見失い、人生に絶望していた。その頃に流行っていた脱法ドラッグにのめり込み、オーバードーズで病院に運ばれたりもした。

もう日本での生活に限界を感じ、もっと遠くへ行きたくて、とにかく知らない場所へ行きたくて、誰も知らない場所へと行きたかった。そして東南アジアやインドなどへバックパッカーに出て、色んな価値観に触れ、色んな生き方を見て、何も日本で生活するだけが人生じゃないと、もしかしたら世界には俺と同じような人が居るかもしれない、俺を受け入れてくれる場所があるかもしれない、そんな一筋の光りを感じて、また絶対に海外へ行こうと心に決めた。同時に、マリファナを始め色んなドラッグを覚え、日本、海外問わず色々手を出すことにもなる。

お金がなかった俺は日本に帰り働いてお金を貯めた。相変わらず仕事場での人間関係、理解出来ない訳の分からないルール、常識と言う最もらしい言い訳を並べ自分を正当化する人々、『もういい歳なんだから結婚しないと』『結婚したしもう好き勝手なんてできないよ、なんかお前が自由で羨ましいよ』『親孝行しないとさ』『子供出来ちゃったしさ、俺も大人になるよ』誰もが納得するような一見素晴らしい理由を並べ、自分の人生を放棄した人々。社会のルールに従うのが常識ある大人だと、おかしい事をおかしいと声に出さずに我慢するのが立派な大人だとそう信じ、社会の常識という名の訳の分からないルールに沿って生きる人々。「もしかして自分だけ何かの間違いでパラレルワールドにいるのか?だから考え方や生きてる世界線が他の人とは違うのか?」「俺はきっと前世でとんでもないことをやらかして地獄に落ちたんだ。きっとこの世界こそが地獄なんだ」だれにも理解してもらえないので本気でそう考えていた。キツくて恐ろしくつまらない仕事が死ぬほど嫌で、毎日朝起きる度にもう死のうかなと考え、毎日寝る前にまた明日も同じ1日を送らなければいけないんだと、毎日少しずつ蝕まれていく心を押し潰し、ギリギリの中で絶望していては、旅に出ることだけを考えて踏ん張った。日本での生活も嫌で嫌で仕方なかったけど、早くお金を貯めてまた海外へ行くんだと、そのモチベーションだけが俺をギリギリ社会に繋ぎ止めていた。

そしてようやく日本を出たのが2017年の4月。お金は100万くらいはあったかな?

俺は多分他の旅人とは少し違うかも知れない。人生の夏休みとか、○○をする旅とか、世界中に友達を作る!とか、世界何カ国制覇!とか、世界一周の旅!とか、そんな明るく前向きなものではなかった。最初から旅が終わったら日本に帰ると決めていたわけでもなければ、期間を決めて海外を楽しんで、帰ってからまた就職活動をし、社会復帰しようとも思っていなかった。この旅に全てをかけた。先のことなんて一切考えず、この旅で何かを見つけることが出来なければ、俺はもう死ぬしかないと思っていた。

自分の人生に、そして日本に絶望していたし、もしかしたらもう2度と帰ってこれないかも知れない、何処かで野垂れ死ぬかも知れない、でもそれでも行く、行くしかない。何かを見つけるまでは日本に帰らない。じゃなきゃまた同じことの繰り返しになると分かっていたし、俺の心はもうきっとこれ以上はもたない。もうこれで日本を見れるのも最後かも知れないと、1人胸にそんな思いを秘めながら韓国に渡るフェリーの上から、どんどん小さくなっていくもう最後かも知れない日本の風景を目に焼き付けて旅立った。

韓国にフェリーで渡り、中国、モンゴル、チベット、中央アジア、コーカサスと旅し、トルコまで辿り着いた時には1年近くの時間が経っていて、必死に貯めたお金はもうあまり残っていなかった。

また日本へ帰らなければいけないのか?俺はまだ何も満足していない。まだ何も見つけていない。このままではきっとまた同じことになる、日本にまだ帰りたくない…。

トルコで働くか?ヨーロッパへ渡り働くか?
これから始まる冬のヨーロッパを乗り切れるのか?でも言語はどうする?ビザは?現地の言葉も話せなければ英語も赤ちゃんレベル。そんな状態で仕事なんて見つかるのか?ビザもなしに働いたら捕まるよな?

そんな時に1人の旅人に出会った。

彼とそんな今の俺の状況を話していた時に提案してくれたのがワーキングホリデー。

ワーキングホリデー?名前くらいは知っていたけど、それがどうゆうものなのかは良く知らなかった俺に彼は色々説明してくれた。

30歳以下の人が申請出来て、海外の文化を知る為に1年間滞在したり働いたり出来るVISAのことで、簡単に申請出来ること、申請を出せば2年居れる国もあるということ。英語が話せなくても仕事も簡単にゲット出来、特にオーストラリアなんかは凄く給料も良くてお金も貯められること。

彼自身オーストラリアでのワーホリを終え、日本へ帰る前の旅行をしているところだった。

彼の話しを聞いた俺は、なんだその制度は?正に俺の為にあるようなものじゃんと、希望が見えて興奮した。

すぐに彼に手伝ってもらいながらオーストラリアワーホリの申請をし、そしてオーストラリアに渡る前にネパールやインドに寄って旅をし、オーストラリアへと渡った時には俺の全財産はもう300ドルくらいしか残っていなかった。

オーストラリアの物価の高さに驚き、すぐに仕事は見つかったが、仕事に必要な道具を買うと俺はもう一文無しになった。

言語の壁、お金もない、そしてワーホリに来て海外生活に浮かれている日本人たちとも中々馴染めずに壁を感じ、ワーホリに来るような人と、海外をひとり旅してるような旅人とはまた違う人種なんだなと感じ、最初はとても孤独で辛いものだった。たった1人で海外を旅していた時よりも、ワーホリに来ている沢山の日本人や他の国の人たちに囲まれていたこの時の方が強く孤独を感じていた。最初の頃はレントも払えず後払いにしてもらったり、無理言って前借りしたりしながらスーパーで1番安いパンやラーメンを買って凌いでいた。

それに今までは旅しかしてこなかったし、嫌な場所ならすぐに移動すれば良い、嫌なやつとは関わらなければ良い、そんなこれまでの旅とは違い、ワーホリはそこで生活をしている以上、嫌なやつとも関係を築かなければいけないし、一緒に生活する以上、独りよがりの好き勝手ばかりは出来ないし、コミュニティの中で生きることが大切になってくる。俺が今まで出来なかったことだ。結局海外でもそうなのか、そう思い、また自分の居場所は世界中探しても何処にも無いんじゃないかと感じるようにもなった。「ウェアアーユーフロム?アーユートラベリングアローン?ハウオールドアーユー?」何でそんな事聞くんだ?俺が20歳だったら態度を変えるのか?俺が40歳だったら何か変わるのか?俺が結婚してたら尊敬でもするのか?俺が友達と旅してなかったら変なのか?俺が中国人だったら?俺がインドネシア人だったら?出身国によって態度を変えるのか?俺は俺だ。結婚ししてようがしてまいが、中国だろうが日本人だろうが、どうでも良いじゃねぇか。俺は俺なんだよ。結局海外も日本と大して変わらねぇなと、どんどん落ち込んでいく。1人でいちゃいけないのか?グループに混じれない奴は可哀想な奴なのか?日本人が多い場所だからそうなるのか?そう思い、日本人の全く居ないような場所へも行ったりしたが結果は同じだった。韓国人も、フランス人も、イギリス人も、アルゼンチン人も、オーストラリア人も、ヒッピーたちでさえ、やっぱり人間は何処に行ってもコミュニティを形成しコミュニティの中で生きる。人間の、いや、生物の本質は何処に行っても大して変わらなかった。旅とはまた全然違う、海外に住むということ、人間関係の難しさや、旅してる時とはまた全然違う人々の価値観に、中々フィット出来ずに翻弄される日々だった。

それはそれで沢山の学びがあった。

海外に飛び出してくるってことは、皆んなそれなりに色々抱えてたり、夢を持っていたり、ぶっ飛んでいて面白いやつも多かったし、彼らから学ぶことも多く、素直に尊敬出来る人や、格好良いと思える奴も多かった。自分の未熟さや不甲斐なさを痛感し、海外生活の楽しさも大変さも知った。自分の治さなくてはいけないことも沢山痛感させられた。旅とはまた違った視点から海外を見て、海外で暮らすことの良さも悪さも知り、日本で暮らすことの良さと悪さを知った。そしてだんだんと旅とはまた違う、ワーホリというものを楽しめるようにもなっていた。

そんな中ずっと仕事を頑張り、皆んなが旅行に行ったりご飯食べに行ったり海外生活をエンジョイしてる中、なるべく早く旅が再開出来るようにと節約に励む生活が続き、オーストラリアのVISAも切れる頃にはある程度旅出来るくらいのお金は貯まった。

でもまだ心許ない金額だったのでもう少し稼いだ方が良いかと、同じようにワーホリでニュージーランドへ行くことにした。そして半年くらい働きながらニュージーランドも旅したら南米へ行こうと考えていた時にコロナのパンデミックが起こり、身動きが取れなくなってしまった。

「何でこうなるんだよ…もうあと少し、あと少しで旅が再開出来たのに、何でこうなるんだよ…」

ずっと旅に出ることだけを目標に頑張って働いてきて、辛いことがあってもずっと旅に出ることだけを希望に頑張ってこれた。でもパンデミックが起こり、旅に出るどころか町から町への移動、買い物、仕事もない、日々減っていく必死に貯めた貯金、全てが規制され身動きも取れない、そんな日々がやってきて、もう旅が再開出来ないかもしれない、ずっと辿ってきた一筋の光りを見失い、また暗闇の中に放り出された気分だった。

この頃の俺は完全に鬱になっていたように思う。もういつ旅が再開出来るのかも分からない、希望が消え、気力が失せ、何もやる気も起きない、誰とも会いたくない、1人ずっと車の中に引きこもっていて、酒やドラッグにも溺れていた。

この頃の唯一の趣味がギターだった。

オーストラリアで最後の方に40ドルで手に入れた中古の安物のギター。朝から晩までずっーとギターばかり練習した。弾けば弾くほどに上達を実感出来るギターが、唯一楽しいものであった。

そして徐々にロックダウンも解け仕事も出来るようになり、とりあえずお金を消費するだけの日々は終わり、毎日車中泊をしながらも働いてお金を貯め、いつ再開出来るかも分からない旅の為にとりあえず働こうと仕事に行き、でも相変わらず人と関わる気にはなれずに仕事のあとは1人でマリファナを吸いウイスキーを飲み、仕事のない時は1人でひたすらにギターを弾く、そんな日々が続いた。しばらくしてだんだんと国境を開く国も出てきて、中には旅を再開している人も居るらしかったがまだ状況は国それぞれで、国境を開けた国もあればまだロックダウン中の国もあり、条件もそれぞれワクチン接種の証明書が必要だったり、PCRの陰性証明書が必要だったり、空路だけ国境を開けているとかだったり、まだ自由に旅が出来る感じではなかった。でももう少ししたら旅が再開出来る雰囲気に少し精神も安定してきたのか、多少人とも交流するようにもなっていた。

幸いパンデミックのせいでVISAは延長されていたので、仕事は続けながらパンデミックの間ニュージーランドに滞在することが出来た。他の国の情報や、様子を見ながら貯金を続け、ニュージーランドも3周くらいしながら隅々まで周り、そしてようやく、去年の8月にペルーへと飛んで放浪の旅を再開した。

久しぶりの別の国、違う文化、違う人種、違う言語、食べ物、街の雰囲気、不便だけど自由な感じ、忘れかけていた旅がブワッと蘇り、喜びで細胞が震えていた。

少しずつ旅を思い出すように街を歩き回り、匂いを嗅ぎ、風を感じ、地元の人の食べているものを食べた。

何かを確かめるように、何かを探すように、丁寧に人々を観察しながら、自分の感情を観察しながら、色んなものを見て回った。

そしてアマゾンに行き、マテオと出逢い、マテオのアヤワスカのセレモニーを受けて全てを悟った。俺が長い間ずっと探していたものはこれだったんだと。この地球に産まれてきた意味、人生の意味、この宇宙の仕組み、全てを理解した時、喜びが溢れ、感謝が溢れ、愛が溢れ、涙が止まらなかった。声をあげてわんわん泣いた。俺の人生は完璧だった。何も間違っていなかった。全ての出来事は完璧に起きて、全てのものは既に完璧に存在していた。全ての出逢い、全ての出来事、全てのものは寸分の狂いなく存在していて、全てが完璧だった。それが分かった時、これまでの全ての出来事に感謝し、全ての出逢いに感謝し、全ての存在に感謝した。色んなものを見ることが出来る目がある、音楽を楽しめる耳がある、何処までも歩いて行ける足がある、良い匂いを楽しめる鼻がある、美しいものを美しいと思えるセンスがある、自分を信じる強さがある、色んなことに感動して涙を流せる心がある。身体は身体に必要な栄養素を吸収し、必要のない毒素を吐き出す。植物は俺たちに酸素をくれて、木の実を実らす。フルーツや野菜が育ち、俺たちに栄養をくれる。海があり、山があり、沢山の命がある。周りには友達がいて、家族がいる。これが悟りなんだ。それが分かった時、もう俺の旅は終わったんだ。

俺はこれまでずっと外側の世界ばかりを探していたんだ。だからどれだけ探しても、死ぬほど何かを追い求めても、6年近くかかっても、ずっと何も見つけられずにいたんだ。本当はこんなに近くに答えはあったのに。

それからも中々帰国の決心がつかずに惰性で旅を続けていた。そして今回キューバでスリにあい、現実的に旅を続けられなくなった。

俺はどこかで、帰国に値する立派な理由を探していたんだ。皆んなが納得するような、皆んなが称賛してくれるような、“世界一周して来ました“みたいな立派な理由を求めて惰性で旅を続けていたんだ。本当はそんなもの自分にとって何の意味もないことくらい自分が1番よく分かっているのに。「何で旅してるの?」『いやー、色んな国を見てみたいからさぁ』そんなくだらない質問をされる度に当たり障りのない適当な答えを返していた。『そんなん知るかよ!』本当は自分でもよく分からなくて、何て答えたら良いのか分からなかったんだ。旅に出るのに大層な理由が必要なのか?皆んなが納得するような立派な言い訳を用意しておかないと旅に出ちゃ行けないのか?自分でも何で旅してるのかなんて知らねぇんだよ。自分でもその答えが知りたくて、ずっと旅をしてるんだ。俺はウユニの絶景が見たくて旅に出たのか?違う。マチュピチュに行きたくて旅に出たのか?違う。ヨーロッパを周り、アフリカを周り、中東を周り、色んな文化に触れたら満足なのか?世界の全ての国を見て周ったら満足するのか?

いや、きっと違う。

俺はもう本当は満足してたんだ。もう自分が死ぬほどに追い求めていた答えが見つかったから。だから神様が『いつまでそんな旅を続けるんだ?』と問いかけてきたんだ。

日本に帰ろう。

友達と語り合おう。

家族に感謝を伝えよう。

ずっと1人で悩んでたあの頃の俺を抱きしめてやりたい。伝えたい。お前は何も間違ってない、自分を信じてそのまま突き進めって。

誰が何と言おうとどうでも良い。

俺が俺を魂から認めている。

俺の人生最高だよ。

ずっと遠くに行きたくて、ずっと何かを探していた。もっと遠くまで行けば何か見つかるものだと信じ、頼りないか細い糸を手繰るようにずっと何かを探していた。一体俺は何処まで行けばいいんだろう。アジア?ヨーロッパ?アフリカ?南米?オセアニア?アメリカ?南極?答えは何処に転がってるんだろう。そう思いながら、ずっと遠くばかりを探していた。でも俺がずっと探し求めていた答えは、こんなに近くに、自分の中にあった。

ずっと探し求めていたものが見つかり、この6年1ヶ月続いた貧乏バックパッカー旅はひとまずこれにて終了する。

でも旅のスタイルや形は変われど、結局俺は一生旅を続けてるんだろうなぁ。

こんなに刺激的で、楽しくて、色んな気づきや学びがあって、自分を成長させてくれるもの、他に知らないもん。

だから、

旅に出よう、もっと遠くへ。

何か見つかるかもよ。

知らんけど。

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