0と1  第七話 故郷望郷

訪問者は日常の外側にいる。

けれど何時もそこに居る。

片方の手のひらを差し出し、虚空のなか打ち合う音を聞く時、我々は同じ空間にいる。

隻手。その境地にいる者なのかもしれない。

僕らは、見ようとする。

何時も絶え間なくある音を聴くのも忘れて。


音は純粋な情報だ。見る事よりも先だ。音は形をつくる。作られたモノを僕らは見つける。そして心が動くように思う。

心は、音を聞いた瞬間に分かっていたんだ。

喜怒哀楽。その続きがあることを。そしてずっと探していることを。

訪問者は夜明けのまどろみの中でそっと去っていく。

訪問者は音そのものだ。



0はコンビニから出て、角にある自動販売機にもたれ支払い用紙の領収書を睨んでいた。通帳の残高をもう一度確認し、デニムの後ろポケットにむりやり突っ込んだ。

一つため息をつく。

生活とは、つねに物入りなのだな。
水道代、ガス高熱費・・・家賃。
そこに居る、居続けることだけで何かの権利が発生するのだから。

おかしな世界だ。

ありがたい事に仕事はあるけど、それは本当にありがたい事なのか?腑に落ちない循環の中に閉じ込められて居る感覚はあるけど。

食べるために、肉体を生かすために、お金で必要な物を消費し、まかなう。

生産性はあるのかと自分に問うこともあるが、この考え自体がおかしい。どこかが、一つづ掛け違いが起きてるようだ。

「思うに、生活は肉体のための生活と、精神のための生活がある、そしてもう一つの生活がある。人間は活動生活のレイヤーを幾重にも重ねて居るから・・・」

そんな会話を何時か1と話したな。

モンブランケーキを食べていた1は本当に可愛らしかったな。守ってあげたいくらいに。

変なの。相手は私よか体の作りもしっかりした男性なのに。

でも思うんだ。1の中には確実に女性なるものがいること。わたしはその女性なるものに惹かれて居る事。


耳元を北風が吹き抜けていった。
ヒリヒリと耳が冷たさで痛む。思わず身を屈める。

今夜は特に冷える。

家路につきながらまた、考え事の続きをする。
一歩一歩のあゆみが答えに導かれるように、思考に没頭する。

まあ、これでまた電気ガスが使えるのだ。それでいい。
贅沢はしたいとは鼻から思わない。
最低限、寝る場所を守るだけの戦いがあるだけ。

ここに住まう人たちは一部を除いて、皆そうしている。生活を守るために仕事をして居る。消費している。生産を考えている。平等を踏み台にしている。同じであることは安心だと信じて居る。

私は得たい。安息の場所を。ここは本当に自分の居場所なのか?
いや違うだろう。ここでいいのだろうけど、何かが足りない。

わたしは何か得たとしても掴み取る手は確かにあるんだろうか。持ち続けることができるのかもわからない。

自分は穴の空いたバケツじゃないか?

人よりも何か欠けている。そのくせ欲しがるのだ。

何時も両極の極にいる心地なのだ。

なにかを持つ事が怖いのに、一方で何かを得たいを望んで居る。天秤のように揺れて居る。どちらかに強く傾いた瞬間今の自分がなくなりそうな、そんな気もするのだ。

私の持つもの

0の住居には洗濯機と小さな冷蔵庫、もらった電子レンジがある。衣服は基本的に使い回しのきく至ってシンプルなもの。
そしてかつて住んでいた家からもってきた木製の折りたたみ椅子と
折りたたみの古いテーブル。
幾冊かの本

ネイビーのリュック。
白と黒のスニーカ。

お布団。

それが私の財産で、生活のすべてだ。


なんだか可笑しく思える。

こんなのすべて投げやって、アルバイトも投げやって何もかもすててあの頃の山へ戻れたらいいのに。
私を育んだあのなつかしい場所へ何も持たず、迷う事なく行けたらいいのに。

でも、私は選んだ。

ここを眠り起きる場所に選んだ。

そのくらいの自由はあるのだ。

行かないのも、戻らないのも、そのままでいるのも自由なんだから。
そう思っていないと潰れそうだった。

「私はお金が欲しいのではない。安息の場所が欲しい。」


子供の頃は自給自足の田舎育ちだった。必要なぶんだけ作り、まかない、循環させる。

数キロ離れた隣人との物々交換。

きっと都会の人々は、何もないというだろう。何もないからいいのだ。脳みそ一つ。体一つ使い切るのだ。

私には母も父もいない。生きてはいるけど、随分前に縁をきっている。母方の身内に引き取られた子供だ。

親の最後の姿は覚えていない。別れの最後に、父の車のテールランプが赤く灯っていた記憶。

「さよなら」の声も言われていなかったと思う。声もろくに覚えていないけど。

山道の街灯もない寂しい暗闇で、その赤い燈は山を降る道筋にそってずっと限りなく闇を照らしていた。

それをひたすら見つめていた。
寒くて鼻先と耳が痛かった。でも見ていた。ずっと。

山道の最後のカーブを曲がり切って見えなくなるまで見送っていた。
何時からか分かっていたのだ。

お父さんは二度と戻ってこない。

あの赤い燈は

「アンタレスの星のようだ」

0はしずかに見つめた。その先は都会の切り取られた空が狭そうにあった。

蠍座はここからは確認できない。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?