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へぇそれって「認知バイアス」っていうんだと知った日。

こんにちは。ひとのことあっこです。

私は人財育成業をはじめて15年になる。経験と直観で事業を行ってきたので、知識はその都度必要と感じた時に得ていた。
コンサルティングをしながら、世間一般的な言葉や表現を後付けでインプットしている。そんな無知な自分を恥じた時もあったが、今ではこのやり方が自分にとって最も効率的・効果的だと感じている。

何年もうちの講座を受講している生徒さんについて私自身が伝え方やサポートの仕方に悩むことがあった。今日はその時の話。
その都度《自分が間違っているかもしれない可能性に心をひらく》を実践し、私自身が改善できる点を見直し実行しているが、なかなか伝わらず困っていた。そんなある日ハッとメッセージが舞い降りてきた。

彼女は何も困っておらず、また彼女は何も間違ってはいない

そう、私は私が困っているのは確かだが、彼女”も”困っているに違いないと判断していたから。

そのメッセージの通りの見方をすると、これまで彼女がとった態度や行動すべてに合点がいく。そう彼女は自分のことを何も否定しておらず、むしろその状況を彼女は楽しんでいたり、喜びを感じていたのだ。

とはいえ彼女の観ている世界はとても限定的。部分的に観れば幸せだが、全体的に観るとまだまだ準備不足だったり、実力不足で到底彼女が普段口にする「理想」とはかけ離れている。ただ、視野(価値観)というものは自分の観ている世界が全てで、これは彼女に限らず私にも言えること。

しかし私自身がどのように視野を広げていったかを振り返るとやはり一番手っ取り早いのが《自分が間違っているかもしれない可能性に心をひらく》を実践することだった。

これは自分の思い込み、刷り込みに気づくことでもあるし、馴染んだやり方を手放し、新しい価値観を自分に取り込むことでもある。聞くのとやるのでは大違いで、新しい習慣を手に入れるというのは何とも苦痛を伴うものだ。

話を彼女との関わりに戻そう。

>彼女は間違っていない。
とすると、私の捉え方が間違っているということになる。認めよう。
では今の彼女の見方でものごとを見てみると、なるほど、それは幸せや喜びを感じることができる。しかし周りとの温度差を感じる。《自分が正しい》という証明をするために状況証拠を集め、自分にとって望ましい印象を与えようとして意図的に振る舞うことがある。私がしていることと全く真逆だ。

そんな彼女が彼女の理想に一歩でも近づくには、自分を客観視する必要と考えていたら《認知》という言葉が思い浮かんだ。

で調べていたら出てきた。

なんと、認知バイアスって言葉はずいぶん前からこの社会に浸透していたのね。知らなかった。

私たちにとって重要なのは、どのような認知バイアスが、どのような状況で生じるのか、「知っておく」こと

錯思コレクション

このサイトでは否定的な側面ばかりではなく、肯定的な側面にも触れているので、偏らずに思考を広げられるのはありがたい。

そして彼女の普段の行動にどんな認知バイアスがあるのかを調べてみた。
いくつか思い当たるものがある。彼女の本意を知る機会にもなり、私の直観がそんなにズレていないことにも気づいた。

彼女はまず自分の態度や行動がもたらす結果について観察する機会を多く得ること。またそのプロセスにどんな感情、気持ちがあったかをシェアすることも重要。不安や恐れがあったときにどのようにそれらの感情と向き合うか、自分との向き合い方も知っておく必要がある。

がしかし何よりも、彼女自身が常に《幸せで満足》だと感じる人生の中心に居続けたいという欲求が強く、それ以外の状況を受け入れない傾向にある。
そのため交流期間が長い相手より、短い相手とのほうが彼女が見せたい自分を演出することができ、人付き合いが深く長くならない。(これはどんなバイアスがあるのだろうか)

私は講師だから彼女をサポートし続けないといけないと思っていた。これも講師という名の思い込みや刷り込みがあるから。
彼女に意識を向けつつも、何もしないこともサポートの一つだとして、今は距離を置いている。何が正解かは分からないが、色々試すことに問題はないと思う。
これまで一方的な私の見方、”困っているように見える”というだけで彼女のタイミングではなく、私の思うタイミング、私の伝えたいように彼女にアドバイスをしていた。なんとも恥ずかしい。

彼女がふと感じる孤独感が自分の態度や行動によって湧いてくるものだと受け入れた時、彼女のバイアスが解けていくだろう。今はそれが起こるのを祈るしかないな。

《自分が間違っているかもしれない可能性に心をひらく》

クリステル・ナニ

やっぱり私はこの言葉が好きだ。このバイアス(信念)は持っておきたい。



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