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どうやら小田さくらを好きになった

アイドルを
人を好きになる気持ちってなんだろう。

1ヶ月前の自分から
今日の自分に同じ問いを投げかけてみたい。

明らかなことではありますが、この文章は私の心情整理のためだけに設けられたものであって、人様に向けた丁寧なものではありません。自分語りがほとんどで、この先も読み進めていただける奇特な方は、なかなかに面倒で哀れな人間の呻きを、寛大な心で鑑賞していただけますと幸いです。

2023年10月21日ZDO(全国同時お見送り会)で、偶然ファクトリーを通りかかったひとのこ。
「今年はツリーいつから見られるかな?」なんて軽い気持ちで散歩がてら寄りました。
するとなんだか様子が違いステージが組まれて、さらに視線を移すと列が。
「なにかあるのか?」と、とりあえずその列の近くまでとことこ歩いていくとビジョンにはMVらしき映像が映っています。
それがモーニング娘。'23さんでした。

つけていたヘッドホンを外して音楽を聞くと……なるほどわからん!
緑の服のものはテンポが早くてちゃんと聞き取れないから歌詞が気になるし、
ピンクの服のものはアイドルが歌う曲にしてはなんだか様子がおかしすぎないか?
白い服は--みなさんで歌われないのか。

普段本屋さんに行ったときは表紙のインスピレーションだけで買うこともしばしば。きっと何かの出会いだし、この気になった心のまま動いてみる。そんな日があっても面白いかも知れない。
買い物には必ずと言っていいほどメモを持参するタイプの私にしてはあまりない行動をとりました。

ほんとうにアイドルのことも、こういったイベントに参加する心構えも知らなかったので、スタッフさんに「これに参加するには何か特別な資格とかが要りますか?」なんておかしな事も口走ります。

よし、なんとか予約もできて終わり!
……だと思っていたのに、今日はトークイベントなるものがあるらしい。せっかくだし参加していこう。というわけで小田さくらさんと山﨑愛生さんに出会うわけです。

軽い衝撃。
未知の世界に触れた筆舌しがたい浮遊感。

そして楽曲だったり動画だったりを通して、Xで日頃より応援されている方々のご助力も受けながらモーニング娘。さんと小田さくらさんのことを知っていくのですが、私の心は強い感情に縛られていました。

小田さくらさんを好きになっていいのか。
好きになるのが怖い。

なぜこんな感情になっているのか。
それはひとのこが誰かを好きになる経験がなかったからです。
例えば、小説、漫画、アニメを見ていてもある1人のキャラクターに盲目になることはありませんでした。

物語の構成としてこの人物が魅力的に見える
とか
1番共感できるのはこの人物
などはあります。

私にとってこういった創作物に触れるのは一種の現実逃避で、心の逃げ道。なので幼い頃はハイファンタジーの児童書を漁るように読んでいました。今でも好きです。

視点を変えてひとのこという人間が持つ『好き』も見ていきます。
児童書大好き!ファンタジー小説大好き!な幼い日の私が、ゲーテのファウストにたどり着くのはそう遠くはありませんでした。
少々早い厨二病を迎え、『若きウェルテルの悩み』で恋に恋するお年頃……
「人を好きになるってどんな気持ちだろう」
かわいい心を抱きながらさらにゲーテの紡ぐ言葉の世界に身を投じていくと、ある一冊に出会います。

https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-79548-5

読み進めていくこと10章
語られるのは愛についてです。

愛を知らない人生ならただ生きているだけ

超訳 ゲーテの言葉

はぁ〜〜〜〜っ!?

なんだってそんな、自分の今までの人生を否定されなきゃならんのだ!

そんな恋をして、
愛を知っている人がそんなに偉いのか!!!!

付き合って「ずっといっしょ」と書いたプリクラを見せてきた友人に「『ずっと』ってすごいね」と曇りなき眼で伝えたかの日のひとのこ。
親は結婚で永遠の愛を誓っているはずなのに簡単にそれは破られるし。
誓いだよ!?悪魔との契約なら魂奪われてるぞ!?
みんな、みーーんなちゃんと判ってるの?
『理解していないものは、所有してるとは言えない』って言ったのはそっち(ゲーテ)だからね!?!!?!?

もうそこからは意地張って決別です笑

ゲーテから離れていろいろな本を読んでも、創作の世界の中だけでしか愛や恋を見てこず、それだって偏ったものであることは重々承知なので体験というものを介してない私はきっと、まだ世界のほとんどを知らない人間なのでしょう。
なんとなく私自身にそんな感情を向けられそうな気配を感じれば全力で逃げました。今まで普通に友達だと思ってたのに、自分に恋愛感情を向けられる人となった時点で、私(ひとのこ)は私(ひとのこ)のことを好きになれたことがないので、「なんで私なんかのことを好きになれるんだ?」と途端によくわからない人間になってしまったのが怖く感じていたのです。
ほんとうに相手の想い自体を否定する失礼な思考回路ですし、結果どうあってもその方の気持ちに応えることができない辛さもあります。
自分自身のこんな考えもめんどくせーー!!となったのも相まって余計に恋愛事を避けるようになりました。
見たり聞いたり相談に乗る分には、みなさんそれが幸せに近づいて欲しいなと思うし、微笑ましくもなります。
ただ、自分は恋愛のことを好きになれそうもないし、気持ちの向け方をみるに得意でもないだろう。だから頑張って恋しようとするものでもないよな、となります。

それでも毎年歳を重ねれば健気に「自分も大人になったから恋をする日が来てしまうのではないか」と考えるのです(結局今日までそんな日は来ませんでしたが)。おばけだって見たくて見えてしまうのもでもないし、『恋に落ちる』なんて言われたりもしますから、そんな事故のような感情が自分にも訪れるかもしれない。

そのいつかに向けて、ひとのこはひとつ決意をしました。

自分の好きに責任を持とう 

この責任というのは3つあって

○人道に悖らない
人の相手を奪ったりしない
置かれた立場を考える

○好きな気持ちを揺るがせない
想うのなら一途でありたい

○相手に気持ちの責任転嫁をしない
あくまでも「私が」好きなのであって、そこにかけた時間、金銭、気持ちに対して同じように返して欲しいという感情を抱きたくない。

そこらを歩く人の群れはちゃんとポリス的動物ですよ、という顔をしてるくせに(言葉が悪くてよ)、愛が絡めば動物のように本能と煩悩に溺れる。
自分はそうはなりたくない!!
自分の身体なのに思考や心の動きのコントロールを取られるなんて悔しいし、どうかしてる。それはちゃんと『ひとのこ』が好きだとは言えないじゃないか!
そんな自分が自分じゃなくなるものが恋で、誰かを好きになることなら、私は人を好きになることなんてしたくない!!


と、思っていたのに。

どうやら小田さくらを好きになったようだ。


こうなれば、応援したい!という気持ちにシフトしていくのでしょうけど、ひとのこはそうもならなかった。
この言葉だけ見てしまうと多大な誤解を生むだろうけど『応援もしたくない』

全く同列に語ってはいけないのですが、ひとのこはスポーツをそれなりに真剣に長いことやっていたことがありまして、少なくないほどには誰かから応援されるという経験があります。

頑張れ!とか応援してるよ!と
たくさん言ったし、言われました。

この言葉の魔力って自分の中で大きくて。
だって頑張ってきたからこの場に立っているんだよな。応援してくれる以上その期待には応えたいけれど、無理かもしれない。負けるつもりで戦う人なんてまずいないし、最善を尽くすことには変わらない。これ以上何を頑張ればいいんだろう……。
トップアスリートは応援を力に変えて結果を出すと言われていますから、長く続けこそすれ私には向いてない世界だったなと痛感しています笑

応援って自分が頑張るわけじゃないから、けっこう無責任になりがちです。
なのに強くあってほしいとか、理想と期待ばかり向けてしまいます
(まあそういうものなのですが)。

この私の考え方をアイドルに置き換えたときに、「もっとパフォーマンスがこうあってほしい」とか、「こんなお洋服を着て欲しいな」など、小田さんが表現されようとするものを、自分の好みを押し付けることで妨げになって欲しくないなという気持ちです。
さらに言えば、この期待の向き先が「もっと自分を知ってほしい」「他者に向けない秘密や時間を共有したい」「私のことを好きになってほしい」
と、いわゆる疑似恋愛のようになるのもひとのこの本意ではありません(あくまでこれはひとのこの話ですし、付き合っている相手に向けるような欲求自体も存在してませんが)。

さて、ここまでこの文章を読んでいるちょっと風変わりなみなさんなら私のことをこう思ってるでしょう。そう、

めんどくせぇ〜〜〜〜ッッッッ!!!!


2次元、紙の上やデータ上でしか存在しない人物ではありません。
自分の中で単に金銭を払ってコンテンツを楽しむ枠から外れています。なぜなら小田さくらさんにとっては自分や自分の人生そのものです。「対価は払ってる」として好き勝手していい訳じゃない。だって命がそこにある、生きてる人だから。

小田さくらさんという人物は『アイドル』でこそありますが、現実世界を共に生きる人間でもあります。同じ日本人で、扱う言語も一緒だから限りなく真意に近い形で私の言葉も届いてしまう。それなら、ひとのこの思考を明かす訳にはいかない!

だから『見守りたい』
より落ち着けば『観測したい』

ただただ表現される世界を時を同じくして覗きたいし、そうされる努力の過程をプラスでもマイナスであっても感情を共にして分かち合うことができたら、それがひとのこの幸せに繋がってる。

それが自分にとって小田さくらさんへ向ける『好き』なのだと知ることができました。

存在を認識してからひとつひとつ新たなことを知り、考え、想いを馳せる時間は、私の毎日に変化と新たな好奇心をもたらしてくれています。
ちょっとだけ前向きに、自分を好きになれている気もします。
だから私はこれから毎日、小田さくらさんに心の中でこの言葉を伝えることになるでしょう。

今日、アイドルでいてくれてありがとう。



以上これにて
小田さくらという人間の生き様を
これから見ていく人間の決意表明でした。

ここまで読んでくださり
ありがとうございました。

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