記録|メッシュワークゼミナール#01

9月16日、土曜日。

山中湖にある森から入った1回目のオンラインゼミナール

課題図書が読了できていない焦り、そして、半年間の人類学の沼にどっぷりと浸かろうとしている猛者はどんな方たちなのだろうとわくわくしながら入室した、午後1時。東京、福岡、静岡、福岡、ハワイにクロアチア、世界各地から時差を超えて入っている7名(お一人はお休み)と、比嘉さんと水上さん。コロナをきっかけに、世界各国の人と気軽に繋がり、地球の裏側に想いを馳せられることに感謝の気持ちが湧いてくる。

|集う人

KYさん(東京)|糸島の人類学FWに参加。中国に留学経験から中国をテーマに。
TM(ドイツ)|発展途上国で空港をつくる/自分の物差しをいっかいおいて、観察してみるということ。
MRさん(静岡)|仕事での問いが浅いなというとこでの物足りなさ/大学時代は人類学を専攻しレゲエ音楽を研究。企業や事業活動の中で、人類学的な態度をつなげることができるんじゃないか…というので入った/言葉にならないものを捉えてみたい。非言語的なもの/人をわかるということ
KYさん(福岡)|想定外の同僚の方。社会学的な実践/求人広告のライターでやっていたが、組織開発のことでやっていこうとしたときに社会学や人類学の智慧を。
NMさん(東京)|SIer/チェンジマネジメント/もうちょっとお客様のことに踏み込みたい/役割の境界を超える
KKさん(東京)|ニューヨークの美大/学際的デザイン/卒業プロジェクトでのデザインリサーチ/焚き火/火と人間の関係。

『ここが実験部屋。リサーチ〜アウトプットまで。だだし、アウトプットが目的ではない。リサーチでまとまらない、うまくいきないということも大切にする。』

『人間以上のものも学問の対象にしている。石や線。社会をわかるために個別を見ていく。出来事と人との関係。ものとの人との関係性をみる。対象と対象の間で何が起きているのかをみる。』

人類学そのもの、モノと人間との関わり、人間と人間との関わり、空気、非言語領域、火…私が持っている視点との共通点や相違点を感じる時間。「組織の間に流れる空気の実態」をテーマに置こうとしていたものの、モノとの関係によって組織を見るというとう方が扱いやすいのだろうか。

|気になることばたち

▼既存のコンサルティング業の枠組み
『クライアントワークと人類学的な態度はとおいての乖離』
>より速く・より大量に・より質の高いものを“という拡大生産の中で、私は人類学に何を見出そうとしているのか。

▼カオスから、理論を立ち上げていく
『「すぐれた人類学」とは、己の価値で他者を量るのではなく、他者を媒介として己を量りなおすところにある。(山口昌男「調査する者の眼-人類批判の批判」展望)』
>私は人類学との対峙、人類学という物差しを使うことによって、社会を見、自分を見、人間が捉えることのできる視点を拡張させることができのかということに挑もうとしている。

▼フィールドにて
・フィールドに入る前に、先行研究やデスクリサーチにより問いを立てる
・想定をフィールドの状況の乖離と検討の甘さ
・計画自体の変更
>ティム・インゴルドの書籍にもあるように、その場その場から立ち上がる反応を受け取り、応答し続けること。それは、ウィリアム・アイザックスが解いているような以下の対話の実践にも通ずつところがある。

【聞く(listening)】
【尊重する(respecting)】
【保留する(suspending)】
【声にする(voicing)】

William Isaacs ,Dialogue: The Art Of Thinking Together


▼「計測すること」「日々の生活を送ること」「記録」の中で
・目の前にあるものを記録し、書くということを実行する。
・自分が立てた計画の前提が、自分自身のものの見方の偏りであること
・そこにあるものを言語化できない、ということとに直面する。
・すでに、特定の見方が含意している。
・“ちょっとずつ違う“ということ。
・自らの「ものの見方」を自覚する
・細かい問いに分かれていったものを、抽象化してもう一度大きい問いに戻すことによって、テーマを再構成する
・「言葉」で現実を表現する限界。フィールドでの圧倒的な想定外。
・知っている言葉、生まれ育ってきた言葉、勉強した言葉で表現できない現実。
・どのような事象だったのか、なぜ想定外と自分は考えたのか、というところからスタートしていく。
・現実を丁寧に観ようとし、言葉にならないことを誠実に書こうとする時、「他者」を捉えるためにスタート地点に立てる。

▼立証
・何かを立証するために行うフィールドワークは意味がない
・自分の外に何があるか、捉えきれなかったことに出会うためにデスクから離れて現場にいく。

▼モノづくりのパラダイム
・モノをつくることはクリエイティビティの発露と考えるが、技法と捉えることは社会的行為の一部
・モノを作ることによって社会と繋がっている感覚

▼書いてないことの方が圧倒的に、ある

・うまく言葉に落としていけることといけなかったことをいかにして言葉に落とすかの訓練。
・最初から論文に載せるモノだけを集めにいくことは成立しない。
・プロセスの中で何が論文に落ちていくのかが定まっていく。
・「必要なものを必要なだけ」はできない
・限定性の中からどう見ていくか、限定性をわかったうえでどう見ていくか。
・再現のできなさ

▼身体性と言語性
1回目|言葉によった調査、1時間くらいのインタビュー、聞き取り調査
2回目|インタビューはせず、日々の中で聴こえることをメモにとる
・自分で言語的なことをとりにいこうとすると、自分で聞きたいことの枠かわは出られない
・自分が最初に持っている質問じゃないことに気づける方が、より価値があるのでは。

▼同質性の高い組織を見ること
・共有している文脈が多い民族について、言葉にしていくということは、かなり意識しないと見えない。でも、できなくはない。
・意識し続けること。
・「今日書くのは明日の自分のため」細かいことほど、こぼれ落ちていく。未来の自分のために書く。今ジャッジしない。今決めてしまわない。今いらないものは、未来の自分にとっているものかもしれない。

▼アウトプットへのしっくりこなささ
・書いてしまうことによって固定化されることが耐えれないと思うことは、自分がアウトプットするときに自制的に働く。決めつけてかからない。ということに対しては重要な感覚。それを持ちながらも書く。

|感想

「1回でわかりきらなくていい」という言葉に、人類学の社会への、人間への温かな眼差しを感じる。見えないもの、捉えどころがないものを、どのように言葉にしていくことができるのか、果たして言葉になるものなのか。旅路はまだはじまったばかり。

おしまい。

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