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「杜の都は不思議のまち」第10話

5月26日(木)の河北新報夕刊に、「杜の都は不思議のまち」の第10話が掲載されました。写真を拡大すると、お読みいただけるかと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

※作者本人ということで、紙面のSNS投稿のご許可をいただいております。

5月26日河北新報夕刊

 愛宕山の千体堂から消えた千体仏を探し、樹が郷土史家の叔父・紡とともにやってきたのは柳町の大日如来でした。
 その境内にある、ヒツジの像が語り始めます。
 ヒツジは、樹を「マチモリ」と呼び、それが政宗公が自ら彫り〝まちの守り〟とした千体仏を守る役目を担った「町守」であることを明かします。
 樹の家は、政宗公の命を受け、代々秘密裏に千体仏を守ってきた町守の家でした。
 とまどう樹を尻目に、新たな町守の誕生を喜んだヒツジは浮かれて……。

こんなことに!

 前回もご紹介しましたが、柳町の大日如来は、伊達政宗公にゆかりの深い御堂です。政宗公が居城を岩出山から青葉山へと移した際、仙台城築城と合わせて城下町がつくられました。その町割りに使用した縄を焼いた灰を埋め、その上に城下鎮護のために御堂を建てたと伝えられています。
 この「灰」に関連して、先日、郷土史家の菅野正道さんが河北新報に興味深い記事を書いていらっしゃいました。
 かつて伊達家には、葬礼の慣習として、葬式に使われた棺や道具類を焼却し、その灰を埋めた灰塚をつくる習慣があったのだとか(新坂町の大願寺には、政宗公の棺などを焼いて埋めた古墳のような灰塚が残っているそうです)。この灰塚は政宗公の頃から行われていた伊達家独特の葬送儀礼で、その起源は分かっていないそうで、菅野さんは「忘れられた日本人の宗教観があるのかもしれない」と書いていらっしゃいました。
 この記事を読んで「町割に使用した縄を焼き、その灰を埋める」という行為にも、何かしらの願いや祈りがあったのではないかと感じました。

大日如来のどんと祭

 現在の大日如来は、1月14日の「どんと祭」、7月の「夏祭り」など地元の方々に親しまれています。中でも「大日如来の夏祭り」は、子どもたちに大人気のおまつりで、私の仕事場の目の前の通り(かつての奥州街道です)で、毎年にぎやかに開催されておりました。
 ここ数年は中止されておりましたが、お祭りの副実行委員長(かつての同僚(笑))から、こんなメッセージをいただきました。

 今年は3年振りにやります! 7/19-20柳町大日如来。神輿も屋台も花火でも盛り上げます。もちろんホコ天も! 舞台とお酒だけはもう1年辛抱ですが、今年はどうぞお楽しみに(^^)

 柳町通りに、「夏まつり」が帰ってきます! 大日如来にお参りの際は、境内にいるサルくんとヒツジくんを撫でてやってくださいませ。
「杜の都は不思議のまち」も、残すところあと3回となりました。こちらもぜひお楽しみくださいませ<(_ _)>


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