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新しいプロジェクト

6歳からピアノを弾いているので、37年ぐらい弾いていることになるのですが、我ながら、37年よくも飽きずに続けているものだなと思います。

しかし、ピアノのみに集中しているわけではなくて、「音楽という行為」に飽きていないだけで、だからフルートやヴァイオリンなど違う楽器の考え方や奏法も知りたいし、特に何するわけでなくスコアを読むことも好きだし、音楽書も読むし、メタルも聴くしライブも行くし、人間が音楽を創り出すこと自体に興味があるみたいです。
ピアノは、たまたま一番最初に始めた楽器というだけなのかも。

レッスンも沢山していますが、演奏家がレッスンをしていると、演奏だけだと食えないからみたいに思われることも多いですけども、何も技術を持たない人が情熱だけを原動力に楽器を始めて習得していく、そのプロセスが尊いことだと思うし、それは音楽の本質的な力であり、演奏家にとっての初心でもあり、学びにもなるし、そういうものに常に触れておきたい意識があります。また、指導するために、音楽をいちいち言語化しないといけないので、それが自分自身の役も立っていることもあります。


クラシックの経験の後、メタルを聴きまくった時期を経てジャズに出会ったことで、誰かとの共同作業で、即興で何かを創り出すという愉しみを知ったのですが、瞬間的に判断して色々と音を紡いでいくので、失敗もあるし、不正解と呼べるようなことも沢山あるんですよ。それが人間らしいし愛おしい感覚もあります。
2015年からNHORHMをやるようになって、またメタルを聴いて分析してということを繰り返していると、メタルの方も「正しい」ものではない時間が結構多くて、ずれたり、汚した音だったり、チューニングを下げていたり、ある意味不正解の成分で成り立っているというか、正しいものを弾いてしまうと台無しになることがとても多い。

私はピアニストなのですが、ピアノという楽器は常に西洋音階での「正しい」音を鳴らしてくれるので、経験が長くなるほどに、あまりにも西洋音階/西洋音楽が前提で音楽を考えていないだろうかと、自分の前提を少し疑う時間が増えてきました。(嫌いになったわけではない)

例えば、ジャズライブに出かけるにしても、ピアノが入っていないバンド、サックストリオやギターとサックスのカルテットの方が揺らぎがあって気持ちが良いとか、メタルも鍵盤が入ると音楽が小さく感じてしまうとか、鍵盤楽器=きっちりした十二音のフレームが現れた途端、その枠組みが「正解」になってしまって、無限の可能性を閉ざしてしまう感じがするんですね。

昔からメタルが好きで、同時にギター音楽がとてつもなく好きだったので、「ギターみたいにピアノが弾けたらいいな」という憧れがずっとあります。白と黒の鍵盤の小さいところでちまちまやらず、正解じゃないものも包摂して、ダイナミックに好きなように歌えたらいいなと。

NHORHM以降、なぜかメタル系の執筆活動も増えて(ミュージシャン視点で分析できる女性の書き手が珍しいからでしょうが)、そのおかげでしっかりメタルに向き合って、その良さを噛み締めて、やっぱりピアノじゃないものの気持ち良さがあるなと、白黒つけることができない気持ち良さって最高だよなと、毎度毎度思ってきました。

そして、当たり前のことなのですが、地球上には西洋音楽/音階的に正しくない音、音楽の方が多いはずなんですね。きっちりメジャー/マイナーに分かれる二元論で世界はできていないし、物事はいつでも解決するわけではない。

そんなことをずっと感じ、考えていたのですが、2023年は自分のピアノトリオにクラリネット、テナーサックス兼フルート、ヴァイオリンを加えた編成で、上に書いたようなことをちゃんと自分の形にしてみようと、先日初めてライブを行いました。

統制された何かをしようとしているわけではないので、弦カルテットや管セクションなど、「間違いない楽器セット」を使う気は毛頭なく、音の出る方向が全く違う楽器3本です。音は混ざらないけれど、このお三方なら音楽の調和はするだろうと思いました。
セクション的な譜面ではありながら個人の裁量で判断してもらう部分を多く作り、また、音そのもの(音色、ピッチなど)でアンサンブルする局面が多いので、このお三方に頼みたかった。
結果、世の中いろんな人が暮らしていて同時に存在している感じ、皆が同じ正解に向かっていない感じ、それぞれがお互いの体温を感じながらアンサンブルして、音楽はトリオよりはるかに大きくなるけれど、より人肌に近く感じというか、そういう手応えを感じました。

西洋音階から滲み出したような音を出してもらう時間をそれなりに作っていましたが、西洋音楽的な正しい音が思ったように出せる人じゃないとできないことだなと、改めて個人の技量と音楽力に尊敬の念を抱きました。

正しい音とそれ以外の音が混在することで、分厚く、多様な世界になると信じています。いろんな濁り、うねりも、清涼感のある美しい音も、とても楽しかった。そこにいる、感じる、響き合う、ということができればいいなと考えています。
録音を視野に入れて動きますので、応援して頂ければ幸いです。


加えて、ヴァイオリンや管楽器の練習をすることで、自分の耳はもっと変われる気がしています。
ヴァイオリンって、音になるまで、それが連なって音楽になるまで、とても道のりが遠いし、なかなか正解がでない。
現状、私が出している音はほとんど不正解なんですけど、不正解にまみれた後で正解を聞いたら、その意味や価値も変わってくるだろうなと思います。

フルートの練習も続けていますが、極論ですけど、出発はただの筒に息を吹き込むような、ものすごくプリミティブな発想の楽器。
しかも筒に直接息を吹き込むのではなく、口の上を吹いて一番共鳴するポイントを探す。凄く原始的なものを感じます。パワーではなくバランス、調和の必要な楽器なのだと、いつも感じています。

他楽器の身体感覚を得ることで、ピアノも、音楽のイメージも、アウトプットするものも、きっとこれから大きく変わっていくと思います。





以前書いたもので、関連記事っぽいもの。


エジプト土産のジャズCDに、生命力を感じた話。


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