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自分にとっての「しあわせとは何か」

幸せになるにはどうしたらいいか、自己啓発本やノウハウ本、解説動画はたくさん目にすると思います。

けれど、そもそもどういう状態が自分にとって「しあわせ」であるのか
意外にはっきりとわかっていないのではないでしょうか。

しかも多くの人が「自分にとってのしあわせとは何か」ということを学校でも家庭でも考える機会がないというのが現状だと思います。

小さい頃の自分は、母親を笑顔にしたい、幸せに生きてほしいと願って
自分なりに氣を使ってフォローしてきたつもりですが、
母親にとっての「しあわせとは何か」を知らないです。。

同時に自分にとってのしあわせも、夫にとってのしあわせも知らない。

何をしあわせだと思って生きてきたんだっけ?と、よく分からなくなったので「世間で言うしあわせ」と「自分のしあわせ」を比べてみました。

世間で言うしあわせ

「いい学校に入って、いい会社に入って、いい給料をもらう」
「結婚して、子供を産んで、子育てが終わったら孫が生まれる」
「有名な会社に入って、定年まで勤め上げて、退職金と年金でのんびり暮らす」
「夫が稼ぎ、妻は子育てとパートをしながら家族みんな仲良く暮らす」
「会社員で安定収入を得ながら副業、複業で好きなことで稼ぐ」
「若いうちに稼いで、30〜40代にFIRE※、その後は好きなことだけする」
「パソコンがあれば、世界中どこでも仕事ができるノマドワーカー」
「誰にも命令されず、自分のやりたいことで起業する」

※FIRE「Financial Independence, Retire Early」
経済的に自立しながら早期退職すること。

これって、誰が決めたんだろう?
誰にとっての「しあわせ」なのだろう?
私は世間で言うしあわせを、いつの間に知ったんだろう?

世間で言うしあわせは、
テレビ、映画、ネット、SNS、近所の人、職場の人、親、教師・・・から教えられたり、無意識で刷り込まれたりしてきた。

無意識に「世間の言うしあわせ」像になれば、私もしあわせになれるのかな、とぼんやり信じ込んでいた。

しかも学校や家庭、会社で
「あなたにとってのしあわせな状態ってなに?」と問われたこともなければ、自分にとってのしあわせを優先しなさいと教えられたこともない。

今、生きづらさに直面して悩み、苦しみ、もがく中で
世間の言うしあわせってメディアやネットを通して、宣伝(マーケティング)されている?
誰かが「人々にとってのしあわせ」をコントロールしているんじゃない?と疑問が湧いた。

世間の言うしあわせ=他人軸


他人軸とは、他人の評価ばかりを気にして選択・行動すること。

社会の言うしあわせ像を無意識に信じ込んでいる私たちは、他人軸そのもの。

社会という目に見えない他人の評価(しあわせ像)に沿って人生の選択をしちゃっている。

同じ人間なんて一人もいない世界で、皆同じ基準の評価やしあわせ像に沿って生きようとしたら、生きづらくなって当然じゃないかな。

自分の生きづらさの原因は幼少期にあって、アダルトチルドレンが関係していると突き止めたけれど、それだけじゃなさそうです。

自分にとっての「しあわせ」

自分にとってのしあわせって、正解はないし、他者から「違う」とか「変だ」とか言われることを事を間に受けちゃいけないと思います。

だって、他者は自分じゃないから。
世間の言うしあわせや他者が信じるしあわせ像を基準に「違う」とか「変だ」とか言われる筋合いもないと思う。

そんなこと学校でも家庭でも会社でも習わないけれど、
全員しあわせの基準は違って当たり前なんだよな〜。

そんなシンプルなことに今更ながら氣づきました。

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