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人間を突き動かす怖れと2つの不安を受け入れると幸せに近づく

私たち人間を突き動かす最大の怖れは、
「死への怖れ」だと言われます。

私達は死んだら終わり。
と強くインプットされています。

そして、死ぬことに関連する2つの不安に日々悩まされています。

それは
「お金が無くなる不安」と「孤独になる不安」です。

お金が無くなる不安

資本主義社会では、お金で何でも買うことができます。
逆に言うと、お金が無くなると食べ物も住まいも洋服も何もかも手に入れることができない、と思い込んでいます。

そう、「思い込んでいる」のです。

お金がなかった時代、たとえば縄文時代。

人間は、狩りをして食べ物を確保していました。
住まいは、洞穴や洞窟など。自然にある空間を使っていました。
洋服も、狩りをした動物の毛皮で作ったり、植物の繊維から作ったりしていました。
お金が無くても十分暮らしていけたのです。

現代に視点を戻すと、
食べ物を自分で狩る事はなく、誰かが作ってくれたものを買うことで手にしています。
イチから自給自足をしようとしても野菜の種や肥料などは買わないと手に入らないでしょう。
農地もお金を払って買うか、借りるかしなければいけません。

電気・水道・ガスも有料です。

住まいも誰かが作った部屋にお金を払って住むか、ハウスメーカーなどにお金を払って建ててもらいます。

しかも、日本では土地を無料で使うことはできず、借りている状態。
土地や建物を持つだけで「固定資産税」と言うレンタル料を一生払う必要があります。

洋服も手作りするためには、生地を買ってこないといけませんし、ミシンなどの道具もお金で買います。

いつからか、人間が衣食住を得るために「お金」と言うものを使わなければ生きていけない世の中になっているのです。

これって、おかしくないかな、と最近思います。

無料だったはずの植物の種に金額をつけたのは誰?
名前も書いていない場所に金額をつけたのは誰?
木を切って山から運び家を作るのに金額をつけたのは誰?

誰かによって私たちの生活は、必ず「お金」を使わなければいけないルールにされてしまったのです。

だから死への怖れから派生して、
お金が無くなる不安が増大してしまったように思います。

お金自体に価値はほとんどありません。
硬貨は金属、紙幣は紙切れなのです。

通帳に記帳された金額は、数字です。

それほど価値のない金属、紙切れ、数字が無くなる不安を抱えて、苦しんでいるのです。

価値のないものが無くならないように、毎日行きたくない仕事へ行き
嫌な上司の言うことを聞き、理不尽さに耐えて、我慢して働く人が多いのです。
そんな社会に嫌気がさすと自ら命を断つ人が出てきてしまうのです。

死への怖れを避けるためにお金を稼ぐ、
お金を稼ぐための仕事が辛くて死を選ぶ。

死を避けるために、やったことが死を招く。
本末転倒でおかしなことが起きているように感じています…

孤独の不安

もう一つ死への怖れから派生するものが
孤独の不安です。

孤独とは、ひとりぼっちになること。

一人ぼっちになったら、寂しさで死んでしまうような錯覚に陥るのです。

けれど、私たちは生まれる時も一人(孤独)
死ぬ時も一人(孤独)ではないでしょうか。

そもそもが孤独で一人なのです。

なのに、どこかへ所属していないと強い不安に襲われます。

友達がいない、恋人がいない、家族がいないことはダメなことだと思い込んでしまっていないでしょうか。

それは本当でしょうか?
その価値観も誰かが作り出した幻想かもしれません。


死への怖れを受け入れる

私たちが幸せから遠ざかり、不安や悩みに苦しむ原因
「死への怖れ」「死んだら終わり」という価値観。

これは本当では無いと思います。

人はいつか死にます。
だから、自分の命を全うする。
死を前提に今の幸せを感じきる。

そう考えたら、死への怖れよりも
生きることへの活力に注力出来るような気がしています。


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