何故、娘達が「画家 ゆめの」に心酔するのか考えてみた
「画家 ゆめの」に夢中
目下、我が家で「ゆめのさん」という名前を耳にしない日はない。
ブームなのか普遍的なものになるのかどうかはわからないが、我が家に「ゆめのさん」を知らしめたのは高校3年生の長女だ。
そもそもは、私の友人がハンドメイドマーケット「minne」で雑貨の販売を始めたことがきっかけだ。
購入した品物を見て長女が「可愛い」「手作り凄い」「他にどんなものがあるか見てみたい」と反応し、minneを教えた。
長女はminneを見て回るようになり、そして出会ったのである。
長女はゆめのさんの作品を目にして、「素敵」以外の言葉が出てこなかったという。
どう素敵なのか、何故素敵だと思ったのかは説明することができない。
長女は中学2年生の次女にゆめのさんの作品ページを見せ、次女もまた同様の反応を示した。
そして私自身も拝見して。
波が押し寄せてくるように心に響くものがあった。
私は、壊滅的に絵心がないのだが。
娘も揃い揃って美術を得意としていないのだが、いや良い眼を持っているのではないか。
一番に好きな作品を聞いてみると、長女は
次女は
私はどの作品だろう。
この記事には、「絵の売上枚数が200枚を超えた」とあった。
どうやら全ての作品が見られるわけではないようだが、いろいろ見たくなりminneで販売中の作品だけでなくnoteで紹介された作品やTwitterで見ることができる作品も漁った。
ひとつ、印象深く心に残った作品があった。
この記事の中で紹介されていた、「夏の雫」という作品。
「夏の雫」
他の作品には感じられない雰囲気で、瞼の裏に残像が残った。
開いている花は、宝石のようにも大粒の涙のようにも見える。
美しく、しかし悲しさのようなものも胸に迫ってくる。
話は逸れるが私の実家では私が幼い頃、日常的にクラシック音楽が流れていた。
私が恋にときめく少女漫画を読んでいた頃、母が「エリーゼのために」はベートーヴェンが実らなかった愛への忘れられない想いを込めた作品らしいと話してくれた。
それ以来、私は「作品の背景に作者の経験あり」と作家の人生にも興味を持つようになったのである。
多くの方が惹かれているように、ゆめのさんの作品は青が美しい。
minneのプロフィールには、
心情風景を描くことが好きで、
抽象画をメインに制作しております。
と書かれている。
「夏の雫」は、花が描かれてはいるものの実在する花であるかどうかはわからない。
もしかすると抽象画との中間のような作品であり、ゆめのさんの心情風景が反映されているのではないかと思えた。
色々検索してみると、
2020年8月に完成した作品であるようだ。
ゆめのさんのTwitterを拝見していると同じ2020年8月、
大きな出来事があったようだ。
と言ってもゆめのさんのnoteは2020年10月にスタートしているのでこれ以上の情報は得られないかと諦めかけていたところ、
ゆめのさんが唯一有料に設定している記事があった。
しかし「あとがき」を読むと、本当は読んでほしくなくて有料にしたのではないかとバツが悪くなってしまった。
それでも、私の中では「夏の雫」にはゆめのさんの悲しさや切なさが描かれ奇しくも唯一無二の美しさになったのだと腑に落ちたのである。
人生の「その瞬間」まで、全てが込められているのではないか
ゆめのさんは、早い年齢から精神的な成熟が見られているように感じられる。
小学生の時点で既に「人付き合い」に関して俯瞰した視点を持っていて、
中学受験を控えたお母様の「戦略」にも気付いている。
中学生にして人生設計を見直し、自ら大きな決断をしての高校生活。
挫折もあった。
病魔にも襲われた。
学生時代に「絵の道」を離れてから、実に約10年を経て画家として歩み出したのである。
そして不思議なことはあるもので、
本格的に画家として活動するようになるよりも以前には抽象画を描いたことはなかったと。
こちらが最初の抽象画、「青の世界」。
いきなりこのような作品ができあがることに、絶句してしまう。
つまりこの作品以降、キャンバスが「心情風景を表現する場」になったということだ。
見方を変えると、それまで胸の中にずっと抱え込むしかなかった心の内をはじめて表現することのできる手段が得られたのではないだろうか。
少女だった頃から、一人前の女性へ成長するまで。
その時々に誕生する作品には確かにその瞬間の心情が描かれていて、後にも先にも同じものにはならない。
ただその心情を醸成したものは、それまでの全ての時間。
だから老若男女を問わず、目にする者の心を捉えるのだと思える。
勢いで書き進めてきたものの、全く見当違いのものであったとすればゆめのさんに土下座しなければなりません。許していただけるかな。
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