創作練習

       【 ク リムセ 】

 新しく国立民族博物館ができるというので、
テレビや新聞は毎日のようにその話題を取り上げている。
またかと思うが、つい目を通してしまう。
最近は電車や牛乳パックにまで、その宣伝が載せられている。
居間のテレビ画面で、
民族衣装の若者が明るい笑顔でインタビューに答えている。
ちりちりと胸が痛んで、僕はつい目を伏せてしまう。
「アイヌ」 
ずっと避けてきた言葉が僕を責める。

僕が幼いときに過ごした地方都市は、農業が盛んで畑の中に街があるようなところだ。
父は関東出身の自衛官、母はその地方都市で生まれ、中学卒業とともに
本州の紡績工場に就職し、父と出会い結婚した。
僕が5歳の頃、父の転勤先が偶然母の生まれ故郷になったわけだけれど、
母は気乗りしなかったらしい。
はっきりと口にしたことは無かったが、母は故郷が好きでは無かった。

母には利光という名の5歳下の弟がいた。
体が大きく力持ちで
夏場は土木工事の仕事、冬には関西に出稼ぎに行っていた。
かりんとうのように太い眉、鋭い大きな目、いかつい顔立ちで
一見こわそうに見えるのだが、気が優しくて冗談好きな叔父だった。
独り者の叔父は給料が出ると、たくさんのビールや食べ物、お菓子なんかを買って
官舎に住んでいる僕たちのところに遊びに来ていたものだった。
母は飲まないのでもっぱら父と遅くまで酌み交わしていた。
僕ともよく遊んでくれたので僕は叔父が大好きだった。
幼児だった僕がしつこくしても嫌な顔ひとつしない、
今思えば本当に子どもが好きな人だった。
叔父が出稼ぎで本州に行くとき、見送りに行った駅で
僕は寂しくて大泣きし、両親を困らせた。
本当に、それくらい僕は叔父が好きだったのだ。


あるとき、叔父の仕事が珍しく冬も途切れず、出稼ぎに行かずに済んだことがあった。
「やっち、氷祭り連れてってやっか?」
前の夜から遊びに来て泊まった叔父の言葉に、僕は小躍りして喜んだ。
ここに引っ越してきてからというもの、僕はそういうイベントに出かけたことが無い。
母にねだっても「お金ばかりかかって、何も面白くないから」という理由で
代わりに映画に連れて行ってくれたり、好きなマンガを買ってくれたりしていたが、
それでも僕は氷祭りなるものに行きたくて仕方なかったのだ。
たまたま母は買い物に出かけていたのだが、父に訊くと
「ああ、いいじゃないか。連れてってもらえ。」と笑顔で許してくれた。

父が準備してくれたスノーウェアを着てスパイクのついた防寒靴を履き、
僕は大はしゃぎで祭り会場を歩いた。
氷像や雪像が並ぶ中、色とりどりの防寒服を着た大人や子どもが歩いて行く。
アニメの主人公の氷像の前で叔父が使い捨てカメラで写真を撮ってくれた。
氷で出来た滑り台に並ぶと、父と同じ自衛官のおじさんたちが滑り降りる子どもたちを
見守っていた。
(とうさんと同じ人たちがいるのに、なんでうちは氷まつりにこないんだろ・・・。)
その時はそんな風に思って眺めていた。
真昼で晴天とはいえ、刺すような寒さだったのだが、
そんなことが気にならないくらい僕は楽しくて仕方なかった。

「やっち、いいもん見せてやる。」
叔父の言葉に「うん!」とうなずき、大きな手に引かれて行った。
そこは公園に常設してあるステージで、僕たちが行った時は
演歌のよく知らない歌手の女性が歌っていた。
叔父はステージの上には目もくれず、横に建てられていたプレハブの小屋に向かった。
ドアを開け「おっす。」と声をかけた。
中にはそれまで見たことの無い不思議な着物を着たおじさんやおばさんがいる。
僕は驚いて、叔父の後ろに隠れるようにして見ていた。
「あれ、おめ子どもいたっけかな。」サンタみたいなおじいさんが声をかけてきた。
「いんや、まだひとりもんだべさ。みきちゃんの子でないの?」
「そうだわ、したけどみきちゃん内地さ行ってんでないの?遊びにきてんのかい?」
「いや、たいしためんこいこと。」
僕が知らないおばさんたちが母の名前を口にする。
「姉だら官舎に住んでるわ。甥っ子氷祭り来たことねんだ。ついでに見せてやるべと思って。」
叔父は周りが幼い僕にかまうのがなんだか嬉しそうだった。
「早く支度しないば間に合わないよ!」
叔父は慌てて着ていたジャンパーを脱いだ。
僕の目の前で叔父も不思議な着物をまとった。
ごつい腕と脚に美しい模様の手甲と脚絆をつけ
頭に鉢巻きを巻いた叔父は、まるで別の世界から現れたかのようで、
圧倒された僕は声も無く見上げていた。
ふと僕を見下ろした叔父は「なしたのよ?びっくらこいたのか?」と、
いつもの笑顔を見せてくれた。
「さて、次のステージは文化保存会の皆さんです。伝統の踊りをどうぞご覧ください!」
ステージから司会者の声がした。
叔父を含め10数名の人々が袖からステージに上る。
「やっちはそこで見てな。」叔父に言われて僕はおとなしく袖で見ていた。

ステージでは、それまで聴いたことのない言葉の不思議な歌で、
やはり見たことの無い踊りをおばさんたちが踊っていた。
頭を激しく振るおばさんたちが何だか怖かった覚えがある。
「続きまして、保存会のね、若手が踊ります、弓の舞でございます。
昔ですね、若者がですね、鳥を撃とうとして、あんまり綺麗なもんだから
撃つのをやめて帰ってきました、と。こういう踊りです。」
いちばん年かさのおばさんが訥々と紹介をしている間、
叔父はステージの真ん中へ大きな弓矢を持って歩いて行った。
ざわめいていた会場が、見事な刺繍を施された衣装をまとった
大柄で派手な容貌の叔父の登場で静まりかえった。
叔父は弓矢を左、右、中央の順で恭しく捧げ持った。
子どもだった僕にはわからなかったが、それは祈りの所作で、
何か大事な動きであることは何も知らない僕にも伝わってきた。
手拍子と歌が始まると、いつも冗談を言って笑わせてくれる叔父が、
それまで見せたことの無い真剣な表情で、力強く膝を上下に揺らし、
床を踏みしめた。
叔父が大きく振る弓は、びゅうびゅうと風を切り、
いつもずんぐり丸い大きな背中がしゃんと伸びて
まとった金色の陣羽織が日の光を浴びてきらめき、
叔父の姿を現実離れした超人のように見せている。
矢を弓につがえ叔父が空に向かって鋭い眼差しを向けると
おばさんたちの歌や手拍子にますます力がこもり
場内の観客たちも半ば緊張して見守っている。
何度か空に向かって弓矢を構えたあと、
叔父はほんの少し力を緩め、それでもしっかり重心を下ろしたまま、
矢を弓から外し、また捧げ持った。
また左、右、中心へと祈る所作をして叔父の舞は終わった。
割れんばかりの拍手を浴び、叔父は丁寧にお辞儀をした後、
またいつもの顔に戻って照れくさそうに笑った。
僕も手が痛くなるくらい拍手をした。
大勢の人たちを夢中にさせた叔父を、心から誇らしく思った。


「おじちゃん、すごいねえ!」
「そっか?かっこよかったか?」
「うん、すごくかっこよかったよ!」
帰りの車の中、僕らは上機嫌で話していた。
「おめえもやって見ればいいべや。」
「ぼく、わかんないもん。」
「なんも、おっちゃんが教えてやる。」
「ほんとに?おじちゃんが教えてくれるの?」
嬉しかった。その時は本当に嬉しかった。

(続)


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