練習の続き

          【 ク リムセ 2】


 家の玄関でブザーを押すと、父がドアを開けた。
「あ、トシ。ありがとな。今日はここで・・。なんか機嫌悪いんだ・・。」
父が声を潜めてる。
「トシ来た!?」奥から母の鋭い声がした。
あっという顔で父は肩をすくめた。
「どしたの?はいろう?」僕は訳がわからず大人たちを見上げた。
そのとき母が居間に入るドアを開け、「はいんなさいや。」と、
叔父をにらみ付けながら低い声で言った。
顔を強ばらせながら叔父は靴を脱いだ。
僕もスノーウェアを脱いで中に入った。

「やっち、お部屋に入ってて。」
部屋と言っても襖一枚隔てた寝室だが、母は僕を押し込んだ。
「トシ、あんた氷祭りに連れてったってかい?」
「したって、行ったこと無いって言うから・・・。」
「勝手なことするんでないや!克子おばさんから電話来たんだわ。
あんた、やっちに踊り見せたって言うんでないの!」
叔父が黙りこくっている。
「冗談でないわ!うちはそういうの関係ないから!」
「お前、そんな・・・言い過ぎだろ・・・。」
たまらず父が口を出した。
「お父さんも、私が嫌だって知ってるでしょ!?なんで行かせたのさ!」
父はただ唸るだけだった。
「なしてダメなのよ?やっち喜んでたど?お客さんだって・・・」
「そんなもん、踊り見るような人は喜ぶか知らないけど、
何もなんないから!やっち虐められるようになったら
あんたのせいだからね!」
母は泣いているようだった。
いつも穏やかな母の尋常ではない剣幕に僕は怯えていた。
「・・・やっちだら、大丈夫だべや。義兄さんに似てるもの。
なんもアイヌに見えないべ。」
「馬鹿で無いの!?シャモの人らからしたら、すぐにわかるんだわ。
踊りやってる身内なんかいたら一発でばれるしょや!」
「なんも、堂々とすれば良いべや!アイヌだからって何よ?
ばんとしてれば、誰も何も言わね。俺ぁの仕事場でだって
だっれも何も言わねえど?やっちば虐める奴いたら俺が文句つけてやるじゃ!」
叔父が珍しく声を荒げた。
「余計なことしないでや!余計に居づらくなるしょや!
・・・みんながみんな、あんたみたいに生きれるわけで無いわ・・・。」
母の嗚咽が聞こえる。
「トシ、今日のところは・・・」
遠慮がちの父の声に「義兄さん、ども、すんません・・・」
叔父はしょげた声で詫びて、帰って行った。

(あいぬってなんだ?しゃもの人って?)
何か恐ろしいことがそれらの言葉に秘められているような気がして
僕は怯えていた。
氷祭りで味わった高揚感も、とうに消えていた。
貼り付けたような笑顔を浮かべて父が襖を開けた。
「やっち、テレビ観て良いぞ。」
母は鼻を啜りながら台所に立っていた。


それから家に叔父は来なくなった。
遊びに行くと電話が来ても母が断っていたようだった。
大好きな叔父が来ないのは寂しかったのだが、
叔父のことを母に聞くのは子ども心にも憚られた。
あの日のやりとりは、僕にとってそれほどに恐ろしいものだった。

ある夜、母が珍しく叔父からの電話に機嫌よく応対をしていた。
「そう、ほんとかい。やあ、よかったんでしょ。うん・・うん・・。
わかった。うん、待ってるわ。」
「トシ、なんだって?」
「相手のひと、連れてくるって。やあ何か緊張するわ。」
両親は何だか嬉しそうだ。
叔父は結婚することになったのだ。
行きつけのスナックのママをしている人で離婚歴があり、
叔父より10近く年上だと言う。
子ども好きだが女性には洒落た応対が出来ない叔父を
母は結婚できないのでは無いかと密かに心配していたらしい。
祖父母が早くに亡くなったので、叔父の身内は母だけだ。
それで二人は結婚の挨拶に来るのだ。
僕は久しぶりに叔父に会えるのが嬉しくて仕方なかった。


家を綺麗にして両親は小ぎれいな服装に着替え、僕にもよそ行きの服を着せた。
約束の時間に玄関のブザーが鳴った。
母が応対し「どうぞ、散らかってますけど・・。」といつもより
優しい声で二人を招き入れた。
叔父は少しきつそうな背広を着て「おばんです。」と言いながら入ってきた。
「おじちゃん!」僕の声に、ぱっと明るい笑顔を見せ、
「やっち、しばらくだなあ。ケーキ買ってきだったぞ!」と白い箱を持ち上げた。
僕が箱を受け取っているとき、叔父の後ろから小柄な女性が顔を出した。
「ああ、この子がやっちゃん?トシちゃん、いつも自慢してるもんねえ。
めんこい甥っ子いるんだって。」女性は人懐こい笑顔を浮かべた。
声はかさかさだけど、きれいな人だった。
「やっち、ご挨拶は?」母の声に慌てて「こんばんは。」と頭を下げた。

その夜は、久しぶりに楽しい時間を過ごせた。
叔父が連れてきた女性、尚子さんは楽しい人で父も母も笑いっぱなしだった。
中学生の娘さんがいるということで、はやりのバラエティ番組にも詳しくて、
僕も尚子さんが大好きになった。
9時になって僕だけ寝るように言われ、むくれながら寝室に行った。
「やっちゃん、今度また遊ぼうね。おばちゃんまた来るからね。」
「おい、やっち。おっちゃんも来るから!」
僕は「ぜったいだよ?」と念を押してから襖を閉めた。

興奮が冷めやらず、なかなか寝付けないでいた。
大人たちはいろいろと四方山話をしていたが、
やがて母が意を決したように「あのね、尚子さん。」と切り出した。
「わかってると思うけど、気にならないの?ほら、うちは『あれ』だから・・。」と。
「姉、尚子は全部わかってんだ。なんも、大丈夫だ。」と叔父が口を挟んだ。
「あんたに聞いてんでないわ。尚子さんに聞きたいの。身内の人たちは大丈夫?」
僕は思わず耳をそばだてた。
「年下の人に、なんだかあれだけど・・・お姉さん、私ならなんも気にしてないんだわ。
何もウタリの人だの日本人だの関係ないもね。気持ちが大事でない?あの、トシちゃんの踊りも私好きなんだわ。なんか、かっこいいもね。いやあ・・・私こそ、若い頃から長いこと
水商売ばっかしやってて、離婚して子どももいるのにね、トシちゃんみたいな良い人なんか
もったいないような気がするもねえ・・・。」
「いやあ、何言ってんの。水商売とかなんも、それこそ関係ないわ。尚子さんみたいな
理解のある良い人がうちのトシと一緒になってくれたら安心だわ。
ほら、うちなんかいつ転勤するかわからないし、そしたらトシひとり残して引っ越さないとなんないし・・・。」
母と尚子さんはすっかり意気投合したようだった。
「まあまあ、とにかくめでたい!俺も安心したよ。乾杯しようや。」
父の音頭で4人は乾杯していた。

母の明るい笑い声を、本当に久しぶりに聞いた。
新しい親戚が出来て、僕の心は弾んでいた。
クリスマスとか正月とか、家族の行事に叔父と尚子さん、
そしてまだ見ぬ尚子さんの子どもたちが来てくれて
一緒に楽しい時を過ごしてくれるような・・・その時は
そんな明るい未来を僕は夢見心地で思い浮かべていたのだ。


(続)

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