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サンリオ映画のすべて 〜生きている線よ、愛を届けて〜

(2020年12月追記:この記事の加筆版をアップしました。サンリオ映画についてさらに詳しく知りたくなったら前編、平成〜令和のサンリオアニメについて知りたくなったら後編をご覧ください)

キティちゃんなどの人気キャラクターで知られ、今年(2020年)に創立60周年を迎えたサンリオ。そんなサンリオは、かつて「映画事業」を設けていた。そこには、社長の辻信太郎をはじめ、アニメーターたちの「ディズニーを超えたい」という一途な情熱があった。この記事では、昭和時代にサンリオが制作した映画作品を中心に、平成から令和に至るまでのサンリオアニメの歴史を辿っていきたいと思う。

いちごの王さまのワンマンズドリーム

サンリオ映画。そんな字面を見ると、ほとんどの皆さんはこう思うだろう。
「へえ、キティちゃんの映画?」
皆さんの問いに対し、私はこう答える。
「いや、そうじゃないんよ。キティちゃんが主役のもあんねんけどさ、また違うねん。もっとこう…ディズニーみたいなの。ディズニーのアニメみたいに動きがなめらかで、背景が絵画のように美しくて…。ま、とにかく、一度でいいから観てみてよ」
サンリオといえば、ハローキティやマイメロディ、リトルツインスターズ(キキとララ)、シナモロール、ポムポムプリン、ぐでたまなどのファンシーな人気キャラクターを多く産み出しており、「かわいいキャラクターを多数誕生させている会社」の印象が強いかもしれない。

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今年(2020年)創業時から現在までサンリオの社長を務めるのは、「いちごの王さま」こと辻信太郎(1927〜)。物語は、彼の青年時代にさかのぼる。

ディズニーへの挑戦

1955(昭和30)年、東京で働いていた山梨生まれのサラリーマンだった辻信太郎は、新宿の映画館でディズニーの『ファンタジア』を観た。以降、彼はディズニーへの憧れと、一度自分もあのようなアニメーション映画を作ってみたいと考えるようになる。その後、辻は1960年にサンリオの前身となる山梨シルクセンターを設立。1970年代、ハローキティなどの人気キャラクターを生み出す傍ら、辻は周囲の反対を押し切って、劇場用長編アニメーションの製作を始めようと考え始める。ディズニーのスタジオやハンナ・バーベラプロダクションを見学し、「みんな反対したっていい。ハリウッドにいる日本人アニメーターやウォルトと一緒に仕事をしたアメリカのアニメーターたちと一緒に『ファンタジア』を超える長編アニメーションを作ろう」と思い立つ。

日本人スタッフには、手塚治虫の旧虫プロダクションに在籍していた波多正美・波多野恒正・山本繁・赤堀幹治・富岡厚司らが参加して、やなせたかし原作の『ちいさなジャンボ(1975年)』や『チリンの鈴(1978年)』で経験と実績をつけていった。

メインバンクの融資を受けて、ハリウッドにスタジオを設立し、4年の歳月を経て『星のオルフェウス(1979年)』を完成させる。映画自体はあまりヒットしなかったが、ディズニーのスタッフからノウハウを持ち帰ったスタッフたちは、五反田にあるサンリオ映画部のスタジオで『シリウスの伝説(1981年)』や『妖精フローレンス(1985年)』など、『ファンタジア』を超えるべく数多くのアニメーション映画を製作した。

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東京・品川区五反田にあるTOCビル(筆者撮影)。かつてここにサンリオの本社があり、サンリオ映画部のスタジオも存在していた

サンリオ映画部の活動時期は、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』などのSFアニメーションが映画化されて人気を博していた。さらに『ドラえもん のび太の恐竜(1980年)や『うる星やつら ビューティフルドリーマー(1984年)』などのテレビアニメも相次いで劇場版が公開され、テレビ版と同様の成功を収める。

当時のディズニー映画は、ウォルトが亡くなって以降目立ったヒット作を出せない状況にあった。知名度の高い作品を挙げるとするならば『くまのプーさん』や『おしゃれキャット』ぐらいしかない。「ナイン・オールドメン」と呼ばれるウォルトと共に全盛期を支えたベテランのアニメーターたちが相次いで引退し、1984年には株の買い占めによる乗っ取り騒動も起きていた。後述のように『リトル・マーメイド』で再び軌道に乗り始めるのは、サンリオ映画部が閉鎖した後のことだった。

それらとの差別化や、ディズニーと戦うためだけにファンタジー路線をたどったサンリオ映画は、ほとんどが興行的なヒットに恵まれなかった。公開当時の映画年鑑に記載された情報によれば、『シリウスの伝説』の配給収入はわずか7500万円であったという。

サンリオ映画の最大の成功作は、北海道に生息するキタキツネの生態をストーリー仕立てでとらえた『キタキツネ物語(1978年)』であり、テレビ放送された際は44.7%という驚異的な高視聴率を獲得した。監督の蔵原惟繕は、のちに当時としては邦画として歴代最高の配給収入を記録する『南極物語(1983年)』を公開させる。

サンリオ映画がヒットしなかった理由は、上記に挙げた事柄もさることながら、個人的にキャラクターデザインや音楽の使い方が『ファンタジア』を指標にしすぎて、一般的なディズニー映画の基準からズレてしまったことが大きいように思う。私の考える「一般的なディズニー映画」とは、宝塚歌劇団やブロードウェイ・ミュージカルと同様、登場人物がセリフ代わりに心情を歌うミュージカル映画のイメージだ。一世紀近いディズニーの長編映画の歴史からは、『白雪姫』の「いつか王子様が」から『アナと雪の女王』の「Let It Go」に至るまで、どれほどの歌える名曲が生まれたことだろう。それに対し、サンリオ映画の音楽の見せ場は管弦楽・クラシック音楽などの、登場人物による歌声が主役にならない「BGM」が中心である。登場人物が歌唱するシーンや作品もごくわずかしかない。

もしサンリオ映画部の発足が1980年代半ばに行われていて、当時のディズニー映画の状況を察知していれば、サンリオ映画にはミュージカルのスタイルが追加され、現在よりも知名度が多少は上がり、ディズニーと互角に作品を発表できていたのではないか。

例えば、ディズニー出身のドン・ブルースは、ディズニー退社後に『アメリカ物語(1986年)』や『おやゆび姫 サンベリーナ(1994年)』などの、登場人物が歌唱するミュージカル仕立ての作品をコンスタントに発表。1997年の『アナスタシア』はディズニー作品に匹敵する映像の美しさと楽曲のクオリティから、ブロードウェイ・ミュージカルとしても大ヒットした。

https://www.youtube.com/watch?v=5gZrYyi-XRQ&feature=emb_title

こうして、いくら頑張っても結果を出せないサンリオ映画部は、1985年の『妖精フローレンス』をもってスタジオを閉鎖。残された主要スタッフたちは、波多と波多野が共同設立したグルーパープロダクションに移籍、後述のサンリオアニメフェスティバルのほか、劇場版『スーパーマリオ』や『行け!稲中卓球部』のテレビアニメなどを手がけた。

サンリオ映画・スペシャルガイド

それでは、YouTubeのサンリオ公式チャンネルに予告編がアップロードされている作品を中心に、サンリオ映画を紹介していこう。まだ見ていない人のために、作品の重大なネタバレはできるだけ避けようと思う。

くるみ割り人形(1979年)

https://www.youtube.com/watch?v=h93RKnD_tkA

チャイコフスキーのバレエ『くるみ割り人形』とホフマンの小説『くるみ割り人形とねずみの王様』をもとに辻が脚色したストップモーションアニメーション。監督と人形アニメは、日本のストップモーションアニメの第一人者である中村武雄と真賀里文子夫妻が担当している。

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劇中に登場した人形たち。衣装の細やかさや精巧な美術も見どころの一つ

主人公クララの声優は、公開当時『3年B組金八先生』で妊娠する女子中学生を演じて再び注目を集めた杉田かおる。城中のシーンでは大橋巨泉・藤村俊二・坂上二郎・牧伸二らが世界中の名士を演じ、自分たちの個性を発揮している。

2014年には『アナと雪の女王』の公開に合わせ、新撮シーンの追加や、クララ役に有村架純を迎えてリメイク版が公開され、松坂桃李、市村正親、吉田鋼太郎、広末涼子のほか、同作のファンを公言する藤井隆も参加した。

星のオルフェウス(1979年)

https://www.youtube.com/watch?v=8wQe4ngkm1Y

ギリシャ神話の五つのエピソードを題材にしたオムニバス映画。クラシック音楽を前面に押し出した『ファンタジア』に対し、ロック音楽をBGMに使用した「ロック・ファンタジア」を目指して製作された。現在販売されているDVDには収録されていないものの、公開時のサントラにはローリング・ストーンズやジョーン・バエズが参加したという。

キャラクターデザインは使いまわしが多く、全体的に色調も暗めだが、サンリオアニメのスタッフの熱意が伝わる作品だ。同じくギリシャ神話を題材にしたディズニー作品といえば『ヘラクレス(1997年)』が思い浮かぶが、本作にはそれを彷彿とさせるシーンも登場する。

シリウスの伝説(1981年) 

https://www.youtube.com/watch?v=1Am8--TszH4

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水の王子シリウス(左)と火の王女マルタ。カラーリングが火と水のイメージと逆の配色なのは、それぞれの世界で存在感を際立たせるためだという

海の国の王子シリウスと、火の国の王女マルタの禁断の恋を描いたサンリオ版ロミオとジュリエット。画面の一枚一枚が手書きで表現された、非常に滑らかなフルアニメが特徴。詳しくは後述するが、私にとって思い入れが強く、一番好きなサンリオ映画である。

シリウスとマルタの声には古谷徹と小山茉美のほか、故・宇野重吉や榊原郁恵が参加し、声優陣と遜色のない演技を繰り広げる。

 公開当時の『キネマ旬報』に掲載された本作の絵コンテ(ネタバレ注意)

妖精フローレンス(1985年)

https://www.youtube.com/watch?v=pWO6ygrfVpE

クラシック音楽がBGMとして前面に登場するサンリオ版ファンタジア。主人公の少年とベゴニアの花の妖精の恋と冒険と成長の物語。声優として市村正親・毬谷友子・中島みゆきら有名芸能人が参加し、『想い出を売る店』と同時上映され、昭和期のサンリオ映画としては最後の作品となった。

音楽学校に通う心優しい少年マイケルは、自分のガーデンを持ち、花や妖精と関わるという意味で、『リルリルフェアリル(2016年)』の花村望のルーツのようなキャラクターであるが、明るくて友人の多い望と比べると、孤独かつネガティブな性格だ。

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温室の手入れをしながら、オーボエを練習するマイケル。劇団四季時代の市村正親が初々しく演じている。

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マイケルは夜の温室でベゴニアの妖精フローレンスと出会う。コケティッシュなマルタに対して、声を担当する毬谷友子の繊細な歌声と優美さが魅力。

想い出を売る店(1985年)

https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=uKa4Ikha3Ro&feature=emb_title

フランス・ノルマンディーを舞台にした、日本人スタッフとフランス人キャストが織りなす洋画のような邦画。現在サンリオピューロランドで上演されているミュージカル『MEMORY BOYS』の元になった作品だ。音楽としてリチャード・クレイダーマンが参加し、本編にも登場している。

サンリオ映画部に在籍していたある方にツイッターでお伺いしたところ、本作はアニメとして企画され、それには宮崎駿と高畑勲が参加しており、一度流れたものの実写映画として制作されたという。そのためか、本作のストーリーや登場人物の配置は、宮崎が脚本を書いたスタジオジブリの『耳をすませば(1996年)』と似ている。マリーを月島雫、トムを天沢聖司、ジョセフじいさんを西老人に置き換えればわかりやすいだろう。

私とサンリオ映画の出会い

話がかなり反れるが、私こと楓山妃都美と、サンリオ映画の関わりについて語りたいと思う。私がサンリオ映画と出会ったのは、1999年と2000年、そのどちらでもあった。私は1991年生まれで、サンリオ映画の活動時期もリアルタイムで知らないが、最初のきっかけは、小学生の時にサンリオピューロランドのあるCMを偶然テレビで見たことだ。

それは、ハローキティの生誕25周年を記念して行われたパレード『レジェンドオブシリウス』のCMだった。どんな内容かはすっかり忘れてしまったが、男性ナレーターが口にした『シリウスの伝説』というワードだけが、なぜか妙に心に残ったのである。ちなみに、このパレードでシリウスとマルタを演じるのは、パークのライブエンターテイナーではなく白人の男女で、ダニエルが終盤に重要な役割で登場する。

2000年、私はそれまでの公立の小学校から私立の学校に転校した。病弱でスポーツが苦手なインドア街道まっしぐらの私は、本を読んだり工作をするのが昼休みや放課後の楽しみであった。そんなときに図書室で偶然出会ったのが、『シリウスの伝説』のフィルムブック。わかりやすく言えば、映画のワンシーンを直接使用した画面に、ストーリーを表現した文章を添えた本だ。ピューロランドのCMのおかげでサンリオの作品であることはわかっていたものの、これまでのキティちゃんのようなファンシーなイメージと違い、外国のアニメのような芸術的な世界観に心を奪われた。主人公が海の王子なのに赤い身体、ヒロインが火の国の王女なのにエメラルドグリーンの髪をしているところにも惹きつけられた。

それから十年後、大学生になった私は、パソコンでサンリオの公式YouTubeチャンネルを見ていると、『シリウスの伝説』の予告編を見つけた。それを見た私は一瞬で釘付けになってしまった。フィルムブックの静止画からは絶対に伝わらない、1mmよりも短い間隔で少しずつ動いている(ように見える)キャラクターたち。アニメーターたちは彼らの輪郭線に、どれだけの手間と暇とかけたのだろう。きっと、この作品にはアニメーターたちのすさまじいまでの努力が詰まっている。予告編や本編を観ると、いつでもそう感じてしまう。

大学を卒業した2014年から、ソフト化されているサンリオ映画のほとんどを鑑賞。ストーリー、セリフ、印象に残ったシーン、感想などをノートに書きこんだ。リメイクされた『くるみ割り人形』も、近隣の劇場まで足を運んで観に行った。

2015年からツイッターをはじめ、サンリオ映画に対する調査結果や考察を発表し始め、現在に至っている。

平成初期のサンリオアニメ

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サンリオピューロランド(筆者撮影)

サンリオ映画部閉鎖後、辻は「日本のディズニー」になる方法として、テーマパーク建設を考えるようになる。それこそ、ディズニーランドを建設したディズニーと同じく、自分の哲学と理想を詰め込んだテーマパークを作りたい…そんな願いを込めて、1990年12月7日、東京都多摩市にサンリオピューロランドをオープンさせた。翌年には大分県日出町に、同じコンセプトのハーモニーランドをオープンさせる。

ところが、同じ頃、アニメーターたちがあれほどの目標にしていたディズニーが、まさかの復活を遂げた。『リトル・マーメイド』の大ヒットである。ディズニーはこの作品以降、次々に長編アニメ映画でヒット作を連発し、いわゆる「ディズニー・ルネッサンス」と呼ばれる黄金時代に突入していく。

『美女と野獣』はアカデミー賞でアニメの賞が短編しかなかった時代、長編アニメ映画として初めて作品賞にノミネートされた。続く『ライオン・キング』も当時としては歴代最高の興行収入を記録。1995年には、外部の制作会社だったピクサー・アニメーション・スタジオと提携して世界初のフルCG長編アニメ映画『トイ・ストーリー』を公開。ピクサー映画の歴史が始まった。

一方、スタジオジブリの宮崎駿と高畑勲も、企業タイアップやテレビ局との連携を駆使してアニメ映画でヒット作を連発。宮崎が監督を務めた『千と千尋の神隠し(2001年)』は日本映画歴代興行収入第1位を獲得。辻がなれなかった「(長編アニメ映画制作者としての)日本のディズニー」に最も近い存在となっていく。

サンリオも、快進撃を続けるディズニーやジブリに対して、再びディズニータッチの長編アニメを制作…すると思いきや、『サンリオアニメフェスティバル』などのサンリオキャラクターが主人公のオムニバス映画やOVAを制作していく。いわゆる「口があるキティちゃん」が登場するアニメと言えば、聞こえがいいだろうか。

これらはサンリオキャラクターがおとぎ話を演じたり、サンリオキャラクターの日常や冒険を描いた作品がほとんどで、『サンリオアニメフェスティバル』の一作として公開された『ハローキティの魔法の森のお姫さま』は、私が『シリウスの伝説』を知る以前、人生で初めて見たサンリオ映画であった。これらの作品のメリットはハローキティを演じる林原めぐみをはじめ、マイメロディ役の佐久間レイ、バッドばつ丸役の瀧本富士子など、サンリオの主要キャラクターのほとんどに「声優」が与えられたことだろう。

アニメーターたちは、かつてあれほど目標にしていたディズニーの復活ということで、一度は躍起になったかもしれないが、サンリオ映画の経験から、映画を作っても稼げないと感じたのだろう。バブル経済から一転して不況を迎えていく日本において、危険な綱渡りよりも平らな道を渡るほうが安全だ。とりわけ波多は、自身が監督を務めた『リトル・ニモ/NEMO(1989年)』の興行的不振もあり、ディズニー調の長編アニメーションを制作することにモチベーションを失っていたのかもしれない。

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サンリオ映画はやがて、辻のもうひとつの「日本のディズニーの夢」を体現した、サンリオピューロランドのパレードやショーの題材となっていく。前述の『レジェンドオブシリウス』のほか、2007年から2013年まで上演された『サンリオハートフルパレード Believe』には、シリウスとマルタ、マイケルとフローレンスなどのサンリオ映画のキャラクターが登場。これらの作品の一部はDVD化されているので、映画とのストーリーの比較などを楽しんでほしい。

平成のサンリオアニメ

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サンリオアニメの礎を作った『おねがいマイメロディ』

21世紀に入ると、サンリオアニメは一つの転換期を迎えた。マイメロディの生誕30周年を記念してテレビ東京系列で放映を開始したテレビアニメ『おねがいマイメロディ(2005年)』である。これまでもサンリオ製のテレビアニメは『夢の星のボタンノーズ(1985年)』や『時空探偵ゲンシクン(1998年)』が存在したものの、いずれも単発的な企画に終わっていた。

しかし『マイメロ』はそれまでのサンリオアニメにない斬新な作風で空前の大ヒットを記録。本作以降テレビ東京系で『ジュエルペット(2009年〜2015年)』『リルリルフェアリル(2016年〜2018年、シリーズそのものは2019年まで)』などのサンリオキャラクターが主人公のアニメが放送され、現在に至っている。そういった意味でも、『マイメロ』のもたらした功績は非常に大きい。

これらの作品の特徴は、主人公の暮らす異世界と我々の住む世界と変わらない現実世界が同時に存在すること。『マイメロ』では、人間側の主人公として、中学生の少女・夢野歌が登場。マイメロディは歌とパートナーを結び、現実世界で起きる様々な事件を解決していく。この「異世界から現実世界にやってきた主人公が人間の少女とコンビを組む」スタイルは、一部の例外を除き、現在放送中の『ミュークルドリーミー(2020年)』でも踏襲されている。

『マイメロ』の最大の特徴は、キッズアニメらしからぬシュールな演出だ。例えば一期第11話「料理上手になれたらイイナ!」では、歌の父親が入浴中にマイメロを見つけ、マイメロもぬいぐるみのフリをしてやり過ごそうとするが、父親の身体洗いのタオル代わりにされてしまう。

そんなマイメロのママは劇中で「女ってね、ダメな男ほど放っておけないものなのよ」「昔話ばかりしている男ほど、将来を期待できないものよ」などの濃いセリフを連発。人生経験に基づいているとはいえ、昭和期のサンリオ映画に登場するようなセリフではない。

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サンリオアニメの王道!『ジュエルペット サンシャイン』

『マイメロ』の後継作品として製作された『ジュエルペット(2009年〜2015年)』も、七年間にわたる長期シリーズとなった。『マイメロ』と異なり続き物ではなく、シリーズごとに世界観とキャラクター設定を一新するスタイルで、シリアス路線をたどった『てぃんくる☆』など、シリーズによってテーマやストーリーにばらつきがあるものの、三作目の『ジュエルペット サンシャイン(2011年)』で「サンリオアニメ」のイメージを確立。

『サンシャイン』では、『フラッシュダンス』『オレたちひょうきん族』『イージーライダー』といった「親世代にしかわからない」往年の洋画やバラエティ番組などの露骨なパロディシーンが登場。本作以前にも子供向けのコンテンツでは、アニメ版『星のカービィ(2001年)』や『ハッチポッチステーション(1996年)』でも同様の試みがなされていたが、物語性の強かったサンリオ映画からかけ離れた自由な作風だ。マルタやフローレンスが本作の世界観に迷い込んだら、間違いなくカルチャーショックを受けるに違いない。

これらの作品は、メインの視聴者たる子供たちに高い人気を誇ったが、一方で漫画やアニメが好きな「大きいお友達」からも人気を博した。さまざまな作品にツッコミどころを見つけ、ネット上に共有するのが大好きなオタクたちにとって、『マイメロ』と『ジュエルペット』は良きネタの供給源であった。作品の暴走ぶりをみんなで見守って、それをブログやSNSに書き込んでいくという、かつてない楽しみ方が誕生。彼らの間で概ねサンリオアニメと言えば、『マイメロ』以降を指すことがほとんどで、比較対象としてサンリオ映画が引き合いにされることもないゆえに、「サンリオアニメは狂気じみている。それこそがいつものサンリオ」というフォーマットのもとで、志を同じくする彼らが「今回はどれだけヤバい方向に走るのか」という気構えで作品と向き合うのが常識のようになっている。

『マイメロ』と『ジュエルペット』のプロデューサーだった茂垣弘道は、旧虫プロ出身のスタッフが多かったサンリオ映画とは違い、『チャージマン研!(1974年)』などのアニメ史に残るカルト的人気作を産み出したナック(現・ICHI)出身。『マイメロ』の監督である森脇真琴が本作以前に手がけた『おるちゅばんエビちゅ(1999年)』も、可愛らしいキャラクターと下ネタが融合した作品だった。

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サンリオアニメに新風を巻き起こした『SHOW BY ROCK!!』

『マイメロ』と『ジュエルペット』でオタク層からの手応えを得たサンリオは、やがて彼らに向けて作品を展開。同名のゲームアプリをアニメ化した『SHOW BY ROCK!!(2015年)』も引き続き大ヒット。恋愛要素を廃して仲間との絆に重点を置いた作風で、放映時のサンリオキャラクター大賞では、本作のキャラクターが上位に入賞して大きな話題を呼んだ。原作のゲームアプリは2019年末にサービスを終了したが、翌年には主要キャラクターを一新したアニメ『SHOW BY ROCK!! ましゅまいれっしゅ!!(2020年)』と、続編アプリの『SHOW BY ROCK!! Fes A Live』がリリースされている。

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サンリオは女の子だけのものですか?『サンリオ男子』

2015年には「サンリオ好きの男子高校生五人組」というコンセプトを少女漫画テイストで表現した『サンリオ男子』もデビュー、『SB69』と同様、アニメ化、ゲームアプリ化、舞台化などのさまざまなメディアミックスを展開した。ちなみに彼らは「サンリオキャラクターのファン」という設定上、サンリオキャラクター大賞にはエントリーしない姿勢をとっており、開催時期の公式ツイッターでは応援団の衣装を着た彼らの姿を楽しむことができる。

これらの作品は、昭和期のサンリオ映画と比較すると、現代的なアップデートに成功しているように感じられる。

昭和期のサンリオ映画は、作品のメインモチーフとなる「愛」を、男女の恋愛、すなわちヘテロセクシャルとして描きがちに思えるのだ。「愛」とは恋人に限らず、家族や友達のほか、ペットや無生物との間でも成立するものである。ディズニーの「信じていれば夢は叶う」に対し、サンリオは創業時から「世界中がみんななかよく」「人生で最も大切なのは、心から愛し合える友達を持つこと」を一貫して説いてきた。しかし、チークやピアレなどの友達も、結局は主人公たちの恋のサポート役にしかならないし、マイケルの優しさがムジカを変えていく場面など、恋愛以外の「愛」も描かれないことはないが、主人公たちの恋よりも踏み込みが浅い気がする。

こちらは『シリウスの伝説』が公開された当時の「アニメージュ」に掲載された波多の描いたイラストだ。できるだけ、映画をご覧になってからイラストを見ていただきたい。このイラストのマルタも、自分のやりたいことを追い続けるサンリオアニメのヒロインたちと比べると、旧来の女性像を表しているように見えてしまう。

平成のサンリオアニメにも、主人公が誰かに恋をする場面はないわけではないが、ヘテロセクシュアルから飛躍して、さまざまモチーフを描くことができた。バンド仲間と音楽に情熱を捧げるシアンとほわん、妖精でありながらアイドル歌手として活動するりっぷとたくさんの夢や生き方を持つフェアリルたち、「サンリオは女の子のもの」というジェンダー観へのアンチテーゼとして「好きなモノは好きさ」「ジブンに嘘は吐かない」と高らかに宣言したサンリオ男子…。

すなわち、サンリオアニメは、愛のメインモチーフをヘテロセクシャルからフレンドシップまで広げ、恋愛だけにこだわらず、夢や自己実現なども肯定するようになった。『ジュエルペット てぃんくる☆』のペリドットの言葉を借りれば「女の子は夢があるから輝くの」であり、文字通りの「みんななかよく」を実現させたといえよう。サンリオ映画をリアルタイムで知る方々に『SB69』のキャラクターイラストを見せたら「サンリオが萌えキャラだなんて…」「こんなの私の知ってるサンリオじゃない」と強い抵抗を覚えるかもしれない。

それでも、サンリオ映画の活動時期と比べると、女性の生き方は時代と共に大きく変わっていき、いつの時代も「女の子」を相手に仕事をしてきたサンリオは、時代の変化に沿った対応をしていった。『ミュークルドリーミー』における日向ゆめの母は主婦業もこなすスーツ姿のキャリアウーマンとして描かれているところが現代的に思えるし、キティちゃんの公式YouTubeチャンネルで、UN womanのアニタ・バティアをゲストに迎え、ジェンダー平等社会の取り組みが紹介されたことも記憶に新しい。

https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=flFIAa8HT08

女性でも恋愛のほかに、自分に自信を持ったり、夢を持って生きることの大切さは、平成のサンリオアニメだからこそ十分に描けたと感じている。


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ほわん(手前)、マシマヒメコ(後列右)、デルミン(後列中央)は、サンリオのアニメファン向けコンテンツとしてそれぞれ個別に活動していたが、2020年からは『SB69』のキャラクターとして共演を果たした

その一方で、私は「サンリオはもう、ディズニーと勝負する気はないんやろうな」と感じてしまう。サンリオ映画の普及活動はピューロランドでしか行われていない印象があるし、サンリオアニメストアに足を運んでも、サンリオ映画のブルーレイは売られていない。萌えキャラや少女漫画風のいかにもジャパニメーションタッチのサンリオアニメに対し、一見日本製とは思えないディズニータッチのサンリオ映画。まだアニメ化すらされていないものの、2019年にデビューした十二人のお笑い芸人キャラクターが登場するプロジェクト「Warahibi!」も、日本のアニメ的なタッチで描かれている。
『SB69』のシアンと『シリウスの伝説』のマルタを二つに並べれば、あまりにも画風が異なりすぎて、普通の人は二人を見ても、本当に同じ母体から産まれたとは想像がつかないだろう。私のような感じ方をしている人がいれば、逆に「サンリオってこんなディズニーみたいなアニメを作ってたんだ!」という人もいるかもしれない。

そもそも、サンリオ映画自体が世間一般に知られていないことが大きいのではないか。私が上記に挙げたように、ライバルとみなしていたディズニー映画自体が低迷期で張り合いがなく、興行的な大ヒットもなかったせいでアニメブームからも取り残されてしまった。

サンリオ映画の活動時期に思春期を送り、映画少女だったうちの母は『キタキツネ物語』は覚えていたが、それ以外の作品は全く知らない。サンリオ映画を知っている人に出会っても、その人が挙げた作品は、サンリオ映画というよりは手塚キャラクターとして有名な『ユニコ』ぐらいだった。

世の中にサンリオが好きだという人がいても、大抵はサンリオキャラクターが好きと答えるものだ。それが一般的な常識であり、呼吸するのと同じく当たり前のこと。しかし、いくらサンリオ好きを公言していても、サンリオ映画まで踏み込んでいる人と、そうでない人がいる。事実、私のツイッターにて、サンリオ好きのとあるフォロワーに『シリウス』と『フローレンス』を知っているか聞いてみたところ、彼は全く知らなかったと答えた。サンリオ映画を知っている人間は、よっぽどのアニメ通かサンリオ通に限る。現時点でサンリオ映画には、市民権はないのかもしれない。

こういうとき、私の脳内世界で、自己パロディと自虐ネタを大いに詰め込んで、昭和のサンリオ映画と平成のサンリオアニメを勝手にクロスオーバーしてしまう。しかも原典と同じ絵柄で。ディズニー映画『シュガーラッシュ:オンライン』にて、ヴァネロペが歴代のディズニープリンセスと共演するシーンと似たようなものを想像していただきたい。タイトルは「新旧サンリオアニメヒロイン大集合イェイッ!」でどうだろうか。

例えば、マルタがシアン・ほわん・ヒメコに「今のサンリオってこんな萌えキャラしかいないの?あなたたちはオタクのラブドールみたいな顔してブサイクね」と言い放つ。三人が「あなたは誰ですか?」と聞くと、「私たちもサンリオキャラよ。誰にも知られていないけどね」とうつむきながら答える。ルビーやラブラはクララとピューロランドのパレードで面識があったものの、クララが映画がヒットしなかったことをぼやくと、ラブラは「こいつらはサンリオの金食い虫ラブ!」と毒舌で応戦。りっぷがマルタとフローレンスに「あなたたちの夢は?」と問うと、それぞれ「シリウスと結ばれること」「マイケルの幸せを願うこと」と答える。りっぷは「私はみんなを幸せにするアイドルになりたい!」と答え、二人は「いまどきの妖精は恋より仕事なのね」と時代の変化を味わうが、りっぷは「私だって望さんが好き!」と反論。ピアレがマルタへの想いを語ると、レトリーやヒメコがそれに共感する。ルビーが水城花音のお手製クッキーを差し入れると「嫌よ!汚らわしいわ!」とサンリオ映画ヒロインたちから総スカン。りっぷも「ルビーちゃん!私もいらないよ〜!」と嫌がってしまう。

くだらない内容で申し訳ないが、サンリオ映画とサンリオアニメの作風がこれだけ異なるということを自分なりに表現したつもりである。

令和のサンリオ映画

サンリオキャラクターのアニメは今日も現役のコンテンツとして続いている。平成が終わりに差し掛かった頃、衝撃的なニュースが舞い込んできた。

2019年3月にハローキティ主演の完全新作映画の製作が発表された。ワーナー・ブラザーズが配給で、『ロード・オブ・ザ・リング』の制作会社が制作を行い、プロデューサーはドウェイン・ジョンソン主演の『ランペイジ 巨獣大乱闘(2018年)』などのボー・フリンで、脚本は先進気鋭の注目株であるリンジー・ビアが手がける。

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プロデューサーのボー・フリン

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脚本のリンジー・ビア

それ以前から「サンリオがキティちゃんをアメリカで映画化するらしい」と報じられていたが、ここにきて実現へと一歩近づいた。公開されれば、キティちゃんにとってハリウッドデビューとなる。

アニメか実写かは未定で、どんなストーリーになるのか、どんなキャラクターが登場するのかはまだ何も想像がつかないが、キティちゃんのことは、やっぱり思いやりのある優しい女の子として描いてほしいし、これまでのサンリオアニメが一貫して伝えてきた「愛」や「友情」をしっかり表現して欲しいと思っている。

そして、鈴木敏夫や川村元気などの宣伝術に長けたプロデューサーを用意するか、数々の大ヒット映画が行なってきたマーケティング術を取り入れるか、SNS上のユーザーの感想を反映させるなどして、どうにか興行的な成功を収めて欲しいこの世には映画をヒットさせるための仕掛け人やノウハウがたくさん存在するし、ライバルの一つであるサンエックスも、『リラックマ』や『すみっコぐらし』といった自社コンテンツのアニメ化を次々に成功させている。 制作形態は違えど「サンリオ映画で名を挙げる」ことこそが、辻の願いだったのだから。

ここからは私の個人的願望であるが、今回のキティちゃんの映画がヒットすれば、昭和期のサンリオ映画もその流れで再評価されて欲しいと思っている。

私の願いは、サンリオ映画が日本のアニメーション史における正統な歴史として刻まれること。誰よりも多くのキャラクターに心臓を与え、技術を磨き、血の涙を流した多くの日本人たちがいた。俺たちのアニメーション技術は世界一だ、と高らかに叫んだ人々がいた。彼らの情熱が、努力が、歴史の波に呑まれてしまうのは非常に惜しい。しかし、未来はいくらでも変えられると信じている。ゴッホや宮沢賢治など、生前は真っ当に評価されなかったものの、没後に正当な評価を与えられたクリエイターもたくさん存在するし、何よりアニメーターたちの情熱が無駄になって欲しくない。できることならば、彼らの生きた証を今後もこうして伝えていきたいと思う。

この記事を読んだ少しでも多くの方が、サンリオ映画とサンリオ・アニメーション史に興味を持ってくれたら、それに勝る喜びはない。

参考文献

「シリウスの伝説」辻信太郎著、大熊ゆかり絵、2009年

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