せめて嫌いになってよ


生きていて、虚しいなと感じる瞬間があります。

かつて好きだったものを
「好きじゃなくなった」と実感する瞬間です。

なんども出くわしてきたけれど、
悲しいとはすこしだけ違っていて、虚しい。

嫌いになったのなら、なんだかその方がまだいいなって思います。

たくさんのことを好きになって、
きっと同じだけ興味をなくしてきました。

人はそういうものだっていうことを
自分を介して知っています。
(ごめんなさい、主語が大きすぎたかもしれません)

なにかのものや人を好きで居続けることはむずかしいです。


たとえばですけど、
恋愛で結婚をして、だれかと一緒に居続ける人たちは
「好き」な人が「必要」な人になることで、何年も何十年も契約を交わしてまで一緒にいるのかもな、と思っています。

この場合の「必要」というのは決してやなイメージではないです。
だれかの「必要」になれることはすごいことです。


「必要」じゃなくなったら離れる。
ただそれだけなのかもしれないなって、よく感じます。

だれかの「必要」で居続けるというのは相当の労力を要します。
だから、結婚というのは簡単ではないはずです。


すこし話が寄りすぎてしまいました。
そんな話をしたかった訳ではありません。


何かを好きで居続けるのはむずかしい。

同じように、
好きで居てもらい続けるのはむずかしい。

作品をつくって、世に出すとき、
わたしは好きになってもらいたいと思っています。

それと同時に
今「好きだ」と言ってくれる人たちも
いつか好きじゃなくなってしまうんだろうな、とも感じています。

ネガティブというよりは「そういうもの」だからです。

好きだったものに興味をなくすことはごく自然です。
少なくとも自分は強くそう思っています。

ただ、そうわかっていても
「好きじゃなくなったんだな、この人」
と気づくことは、

自分が何かを好きじゃなくなったときの虚しさとは他に、
悲しさが残ります。

何かを作るとき、
できるだけ深く好きでいてもらえたらって、
矛盾してるかもしれないけれど、
そんな風に考えます。

考えるたびに、
なんで半分が悲しさになるようなことやってるんだろ、
と、謎のループに入ることがあります。

それでも
やり続ける理由はあるのだけど。




先の結婚と一緒で「必要」だと思ってもらい続けることが
作品に興味を持ち続けてもらう方法なのかもしれないです。

今、書きながら思いました。
なんというか当たり前のことに今更気づいたのかもしれません。

でも、
受け取る人が作品からお金をもらえるわけじゃないし、
朝ごみ捨てをしてくれるわけでもないし、
部屋のお掃除をしてくれるわけでもないし、
食器洗いをしてくれるわけでもありません。

「必要」とされるのって相当むずかしいような気がしてきました。


これだから自分は結婚できないんだな、と思います。




※「結婚」はあくまで例えです。



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