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ご利益信仰への考察、ここが変だよ日本人


日本人て仏教だよね?的なことは、こっちに住んでいて、よく聞かれる質問の一つ。
うーん、そうっちゃそうだけど、とてもオケージョナリー(特別な行事があるときだけ)だよ、と何回答えたか。
オケージョン信仰。必要なときだけ取り入れさせていただきます。変なのー。

こっちにきて、自分が宗教に関してとても無知である事に気がついた。いい意味で言うとイノセント(無邪気)。でも事実はイグノラント(無知)。日本は単一民族なので、他宗教との絡みが圧倒的に少ないということが理由だと思う。故に、仏教、神道さえ正確にどういうものかわかっていない。説明を求められる場がないので。

実際に自分がどういうタイミングで神社やお寺に参拝に行くかといったら、
---(神社: 神道。森羅万象 everything in universe に神が宿る。太陽神、天照大神を祀る。天皇はアマテラスオオミカミの末裔)
(お寺: 仏教。インドから伝来。お釈迦様の教えを学び悟りを得たものを仏陀という)---
初詣(十何年も行けていないけれど)と、お墓参り、バケーション中の観光で訪れるお庭が言葉を失うほど美しいお寺さんや赤い鳥居の連なる神聖な神社。。。
お賽銭を投げるときに、一丁前に毎度お願い事をする。
あれ?わたしはどこのだれに向かってお願い事をしているの?

普段の生活では、ご先祖さまや太陽の神様のことはさっぱり忘れ、日頃自分が健やかに生活できていることはさておき、困った時の神頼み。お賽銭を“払って“、ご利益をもらいに行く。
お金を払えばモノが買える、ご利益もそんな感覚の延長上で、現代人はお願い事に対してとりあえず代金を払う。。。
でもそのお賽銭、本当はこれまでの‘ご利益’を感謝して投げ入れる、”ありがとうございました“の気持ちであって、お願い事のために支払う前金では無い。大昔はその感謝の気持ちのお礼に、お米や布を納めていたそう。
そもそも日頃から感謝の心を忘れずに生活出来ている人は、どんな宗教に関わらず、幸せな人だと思う。その人には、困った時、お賽銭ある無しは関係無くきっとたくさんの救いの手が差し伸べられるだろう。

桜の咲く時期に亡くなったおじいちゃんは、毎日ご飯を食べながら、「あゝ今日も旨いなぁ、ありがとう」と、まさに森羅万象に感謝していた。(もちろん当時食事を作っていたおばあちゃんやお母さんに対しても)
そんなおじいちゃんは率先して社会福祉の増進に努め、地域の皆から感謝され、天皇から藍綬褒章(ランジュホウショウ。民生委員 welfare commissioner として活動し社会福祉に尽力した者に贈られる) をいただいた正義の人だった。

わたしも含めたイノセント日本人が生み出したご利益信仰。良いところ取りをして文化を発展させていくのは、実は日本人の良いところでもある。でも、感謝のこころはいつでも忘れたくはないものだ、とカオスの中に居ても思うのだった。

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