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わたしを大事にする=わたしを知る

筋金入りの長女気質の私。

甘え下手だね、ってよく言われる。

でもそれは違う。
そもそも、甘えるっていう言葉が私の辞書にない。

ちぎれて無くなってる。

小さな頃に諦めて捨ててきたんだね。

母からは、

お姉ちゃんなんだから、譲りなさい
お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい
お姉ちゃんなんだから、世話してやりなさい
お姉ちゃんなんだから、しっかりしなさい

お姉ちゃんって、損だな。。。
とても困って助けを求めても、
こうして
突き放されてきた。


父からは、

お前が男に産まれてくれたらよかったのに。

そんなこと言われても。。。
子どもの性別は精子で決まるんだぜ。
私のせいじゃない。

お母さんもお父さんも、私のこと、
感情や意思のあるひとりの人として
認めてくれてないって感じてた。

そのうち、いつでもひとりで
事足りるようになって、
いや、ひとりで事足りる事しか
しない人に、私はなった。


    私の範疇を超えたものは、
無意識に見てみぬふりをして
無きものにしている。

そのことに気づいたのは、ごく最近のこと。

困ってるんなら、もっと頼ってくださいよ。

そう言ってくれる人もいる。
先日、お世話になってる方から
こう言って頂いた。

その際に、

実はそもそも、
頼る、とか、相談する、っていう
発想がないんです。
困ってるという自覚も全然なくて。

と打ち明けてみた。
(これって相談なんじゃない?)

ひとりで何とか出来るから頼らなくていいんだ、
っていう傲慢ではなくて、
相手を信頼してない、
という不信でもなく。

ひとりでできる範囲の外側が
ある事をそもそも知らなかったり、
知ってはいるけど、あえて見てない
という事なのかもと思った。

頼りたいけど頼れない
のではなく。
頼ったらダメ、と思ってるわけでもなく。

小さな頃に、

頼っても、助けを求めても、ムダ

と、諦めてきたんだと思う。
既に思考回路から完全消去された選択肢。

質問ないですか?って聞かれても
何も浮かばない。
もしくは、
なんとか苦しまぎれに捻り出す。

質問しなきゃ!
えー、でも疑問点もないし。
うーん、分かってることだけど
分からなかったことにして聞いとこうかな。。。

みたいな。
無理やり過ぎ。

でも、他の人が質問してるのを聞くと、

『あぁ〜なるほどねー!
その疑問が上がってくるなんて、
みんなすごい賢いんだわ!』

って、いつも尊敬してる。


困ってることはないですか?って言われても
いやー、特に浮かびませんね。。。

でも、
『あなた、〇〇について
どうしていますか?』
って聞かれたら、
あ!そうだ!分からなくてスルーして、
忘れてたけど、分からないんだった!
と気づく。

自分が何が好きで、
何が嫌で、
何に困ってて、
それがなぜなのか。
全然わからない。

自分には感情も意思もあるはずなのに。
なんなら頑固で意固地なつもりなのに。

どうして?

自分のことって、本当にわからないのね。

自分のことを知らないことが、
自分で嫌になっちゃう時がある。

自分の意思や意見を表に出すことを
長い間、抑圧されていたら、
だんだん、自分の感情や感覚さえも
感じられなくなっていく。

まさにその状態だった。今もかな?

自分の本当の心の声を
大事にしてあげましょう
それがあなたが
あなた自身を大切にするということです

なんて最近よく聞くけど、
内なる声が聞こえない人には
到底ムリな話。

私は私のことを知りたいな。

何が好き?
何がしたい?
どんなふうに生きていきたい?
誰といたい?
どんな時に嬉しい?
どんな時に悲しい?
メンタルが折れるのはどんな時?
何をしたら回復できる?
etc...

私を知ることができたら、
心の声を聴くことにも繋がる。

自分で自分を満たして、
いつでもできるだけニュートラルに
ごきげんで生きていきたい。

それって、自分を
大切にすることにも通じるよね。

人からの方が、
私のことがよく見えている事もある。

人から見たら、私は
『もっとこれ頼ってよ、
すでに充分困ってるじゃない』
という感じらしい。

人に頼る事までも『迷惑をかける事』と
無意識で遠慮している部分も、
もしかすると、あるのかもしれない。

これまで、いつだって受け身で、
インプットばかりで、
奪いにはいかないまでも
受け取るばかりで充分には
恩や想い、知識、情報、スキルを
循環させられてなかった。

人と意見を交わすこと、
自分の状況を知らせ、見てもらうこと、
たまにはぶつかること、
さっさと自力に見切りをつけて
人に委ねること、
質問や相談のカタチでなくてもいいから
つぶやいてみること。


そんなことを私の周りの人は
私に対して求めているんだって事を
たった今気づいたの。

私から、何かを投げかけたり
ぶつかってみたり、
『わたし』が感じられ伝わるものを
私が発してこなかったことに、
周りは寂しさを抱いていたんだということ。

特に、男性は

大切な女性のための
ヒーローになりたいんだ

という
潜在的な願望を持っているらしい。

これは、いつもヒプノセラピーをしてくれる
セラピストさんが教えてくれた。

そうなのか。

家族を監視して、管理して、
コントロールするのがオトコだろ!
と思ってる&言ってる夫も、
深層ではそういうことなのかも。

もっと頼ってくれよ
どう思っているのか教えてくれよ
力になりたいんだよ
俺の出る幕を作ってくれよ
役に立ちたいんだよ
カッコいいオトコでいたいんだよ

ってね。

嫌がらせばかりしてきて、いつの間にか
DVに発展して一緒に暮らせなくなった夫。

きっとこんな、頼るってことを知らない、
『オレ』の出る幕を作ってくれない、
隙のない私相手に、
孤独だったんだろうな。

何考えてるか分からなくて、
不安だったんだろうな。

自分なんていらないと
言われてるように感じて
悲しかったんだろうな。

駄話はするのに、
報・連・相が大嫌いな私が
糸の切れた凧みたいに
どこかに行っちゃうようで
怖かったんだろうな。

束縛が好きで、なんでも知りたがり、
過干渉の夫。

いつでも私を監視していて、
全て知っていないと気が済まない。
スマホも見せろと言ってくる。

なんでもないことでもいちいち咎められるから、
報告しろと言われても
ムダに怒る燃料を提供しているようで
すごく嫌だった。

夫の中では、いろんな想いや
ジレンマ、孤独がどうしようもなくなって
DVしても収まらない混沌の中に
いたんだと思うなぁ。

それもこれも、ありがたくないカタチの
愛情の表れだったんだと
今なら思う。

でも、パートナーシップを改善する前に、
もう私が限界だったよ。

この人の力の及ばないところで暮らしたい。
この人の檻から出たい。

一緒に暮らしてることが
ガマンと苦痛以外の何者でもない。

こんな夫婦関係、
子どもの教育に良いわけがない。

もう見せちゃいけない。

結婚したら女はガマンと忍耐で
人生終えるんだ、って
受け取らないで欲しい。

私、女の子3人のママなのです。

子どもたちに結婚とか男性に
明るい未来を描いて欲しい。
だから私もより良いパートナーシップを
築ける家庭を再構築したい。



そう思ってからは、
私はどうにも行動せずにいられなかった。
夫には、家を出てもらった。

引っ越しに関する費用を全額
負担させられた。

今は、
オレは無理矢理に子どもと
引き離されたのだから、
養育費は払うから、
500万、慰謝料くれ
と。
納得いかないよね。わたし。

今は離れて1年半を過ぎた。

籍は残っているけど、
距離がほんの少し離れただけでも
会うことが月に3度ほどになり、
精神的な支配は徐々に減ってきた。

男性は怖い。
信用ならない。
敵。

いまだにそう思う。

でも、それは私が
つらい経験の中で作り上げた
思い込みだって事も、
頭では分かってる。

まだまだ道のりは長いけれど、
『甘えるって、なに?』
の答えが分かってくるまで、
関わり上手な人たちに感謝して
自分のことを知っていってあげようと思う。

そして、私が甘えることで
周りが嬉しくなるような
甘え上手になれたらいいな。

最後に今日はひとつ、
これを書こうと思った1番のきっかけ。
『甘えたいきもち』になった、ってことを
メモしておきたい。

叶わない想いだから、
刺すような孤独が伴うけれど。

今、そばに頼れる優しい誰かがいて、
その肩にそっと頭を預けて
しばらく寄り添っていられたら
どんなにか良いだろうなぁ。

弱音も吐きたいよ。
涙も流したい。

きっとそんな私を、
そっと見守って
ただそばにいてくれる人が
どこかに存在するってことを
やっと信じられるようになってきたから
甘えたい、と感じられるようになったんだね。

祝おう。
祝!甘えたい感情 復活記念日!


……昨日買ってきた
ぽよぽよフワフワの枕を抱いて寝るとしよう。

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