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直感で行く、福知山市大江町②河守鉱山跡
山歩きのあと向かった、日本の鬼の交流博物館。
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巨大な鬼瓦。
頭の真ん中から、まるで3本目のツノのように見えている木。
これは駐車場のメタセコイアです。
社宅のメタセコイア
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この周辺は、かつて河守鉱山の社宅があったようで、
住んでいた植物好きな人が苗木を植えたそうです。
その人は閉山後に転出されましたが、大きく成長したこの木を見に、ご家族と遠くから来られたというネットの記事を見たことがあり、
興味を持ってわたしも何度かこの木を見に来たことがあります。
映画館
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鬼の博物館には入らず、周辺を歩いてみました。
隣接している、童子荘。
高校生のとき、短期間だけ在籍した吹奏楽部の夏の合宿で、ここを訪れました。
写真正面の大部屋が、1年生の部屋。
10人以上で雑魚寝でした。
この辺りも、社宅だったそうです。
整備されて、今はその痕跡は感じられません。
昔から、社宅や団地が好きです。
"跡地"も好きです。
なんだか、ワクワクするんですよね。
その近くにあるのが、こちらの建物。
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わたしの記憶では、ここは体育館のような施設で、ひたすらここで練習やミーティングを行いました。
とにかく蛾が多くて、合宿の期間で蛾と親しくなり、横にいてもなんとも思わなくなり、空気のような存在になりました。
この建物は、鉱山の頃、河守会館という映画館だったそうです。
鉱山で働く人がたくさん住んでいたので、こういった娯楽施設などもあったのですね。
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うしろからはこんな感じ。オレンジの部分が扉?になっていて、そこに向かう鉄の簡易な外階段があります。
今なお残っている古い建物が、
どんなふうに使われていたのだろうかと想像するのが楽しいです。
こういう風情、たまりません。
謎の石垣や空き地
周辺では、やたらと石垣や空き地があります。
謎の坂道や階段、コンクリートやレンガの、何かの遺構と思われるものもあります。
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きっと鉱山があった頃、ここに街があって、人々の生活があったのでしょう。
どんな街だったのでしょうね。
河守本坑
さらに先に進むと、鉱山の坑口があります。
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道路脇に、ひっそりとあります。
覗いてみると、奥は塞がれていました。
こんな坑口が、いくつもあったのでしょうか。
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街や鉱山の様子、もっと写真でも見られたらいいのにな。
物成小学校跡
鉱山施設跡から車で少し走ると、
鉱山の子どもたちが通ったという小学校があります。
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鉱山の子どもたちが通ったにしては、小さな学校だし、それに比較的新しく見えると思ったら、
ここはもっと校舎があったそうですが、火事で焼けて、建て直したりもしたそうで。
そのうち閉山で一気に過疎化が進み、焼けた教室棟を新しく建てることなく廃校になったようです。
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学校の横には、こんな坂道。
勝手な想像ですが、この道は、
かつてモリブデンを産出していた仏性寺鉱山の跡地に行ける道じゃないかな、と思っています。
ロマンを感じます。
次は、もう少し車を走らせて、
元伊勢内宮皇大神社に向かいます。
また続きも観に来てください♪
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