2年半の継続コーチングセッション大公開【クライアント視点】
こんにちは。松浦瞳です。
先日、2年半もの間、月に1〜2回の頻度で継続していたマイコーチとのセッションが完了しました。今回のnoteでは、「2年半/35回のコーチングセッション大公開」と題して、【クライアント】と【コーチ】の2つの視点から振り返ってみたいと思います。
【クライアント視点】ではクライアント、つまり私自身から、2年半のコーチングを受けて起きた変化をお伝えします。初めてコーチングを受ける方や、マイコーチをつけるかどうか検討中の方に、コーチングのリアルをイメージしてもらえる内容になるかと思います。
【コーチ視点】では、2年半伴走してくれたコーチ・草さんに、私の変化をどんなふうな気持ちで見届けてくれていたのか、話を聞きにいった記録をお届けします。10月23日(月)公開予定ですので、お楽しみに。
コーチ選びの軸は「学びが共にできること」
コーチ選びの軸は人それぞれだと思いますが、私は「学びが共にできること」を重視しています。
草さんが当時公開していたこれまでの学びや探究の内容が、これから学んでみたいと思っていたものでした。興味関心が重なる部分があるという安心感と、コーチとクラインアントが共に学んでいくパートナーシップに憧れる気持ちがあり、草さんにお願いすることを決めました。
また、初回セッションで聞いた草さんの優しい声に、直感で安心感を持てたことも決め手の一つです。
“心の安全基地”としてつづけた2年半
私は4年ほど前からマイコーチをつけるようにしていますが、数回や半年間の伴走で完了するコーチがほとんどでした。しかし、草さんとのセッションは、5回のセッションを都度追加する形で気づけば2年半も経っていました。
なぜ2年半もつづいたのかを振り返ってみると、「チャレンジしつづけるための心の安全基地がほしかった」というのが一番の理由だったと思います。
セッションを始めた当時は、子育てがはじまり怒涛の日々を過ごしていました。そのため、月に一度の草さんとのセッションが唯一自分のためだけに使える時間で、とても贅沢に感じられました。
仕事に関する相談も、守秘義務があり利害関係のないコーチが唯一すべてをさらけ出せる存在でした。周りに嵐が吹き荒れていても、セッションは変わらずにありつづける。嵐の中の静けさのようなコーチングセッションの存在に、救われた2年半でした。
コーチングセッションは、毎回クライアントが主体的に話したいテーマを持参します。私が主に扱ってもらったテーマは以下になります。
その他にも、悲しかったこと・悔しかったこと・イライラしたことなど、心が揺れ動くような出来事があったら、テーマとして持参し聴いてもらいました。
これらのテーマは一度聴いてもらったら終わり、というものではなく、2年半の中で何度も何度も扱ってもらいました。
2年半で起きた4つの変化
ここからは、2年半のコーチングセッションを通じて、私自身にどんな変化が起きたのか振り返ってみたいと思います。
①働き方・生き方がサステナブルになった
特に、独立して自分でコンサルをやっていた時代は「成果を出しつづけないと自分には価値がない」と感じていました。追い込んで風邪をひいてしまったり、「もう仕事したくない!」と長めの旅行を入れたりしながら、自分の心身を調整する日々。長距離マラソンではなく、「短距離を走っては休む」を繰り返すような働き方でした。
しかし、草さんのコーチングを受けるようになってからは、常に自分の中の安定を取り戻せた感覚がありました。「悲しい!むかつく!そんなの嫌だ!と、普段の自分であればストレートすぎて人にはいえないような感情を聴き切ってもらったあとは、また穏やかな気持ちで現実を歩けるようになります。
感情を出し切ってみると、実は本当はそこまで思い詰めていなかったことに気づいてほっとしたり、別の感情の存在に気づいて感謝の念が湧いてきたり。毎回、新しい発見がありました。
②「いいお母さん」でいようとするのを辞めた
3つ目は、“いいお母さん”であろうとする気持ちが和らいだことです。私にとって息子は、言うまでもなく大切な存在であるからこそ、子どもにとって“いいお母さん”でありたい気持ちがとても強かったです。
特にコーチングを学ぶと、母親の価値観や行動が子どもに良くも悪くも強い影響を及ぼすことを知っていたため、自分が子どもの中に影(シャドウ)をつくりだしてしまうのではないかと、怖くなっていました。
しかし、“いいお母さん”でいつづけることは、とても大変です。たとえ、子どもを心から愛していたとしても、時折自分のことを優先したくなる日もあれば、子育てがめんどくさくなる日もあります。
そんな気持ちを草さんに聴いてもらうことで、「そうだよね。めんどくさい日もあるよね」と、自分の感情をなかったことにせず、そのまま受け入れられるようになりました。以前より息子や家族に対して優しい気持ちを持てるようになり、相手の声に耳を傾けられるようになったと思います。
③視点が「わたし」から「わたしたち」に変わった
この2年半のセッションログを読み返してみると、わたしが口にしたとある言葉が記されていました。
「私や組織がいま抱えている苦しみや葛藤は、社会の縮図であって、どこか別の場所でも起きているはず。だから、私1人の話として済ませたくない」
初期の頃のログには、どんな喜びや苦しみも「わたし」の視点で語られたものが多かったのですが、だんだんと「わたしたち、社会」の視点に変わっていく様子が印象的でした。
たとえば、先ほどの“いいお母さん”であろうと無理をしてしまうことは、私個人の課題でありながら、社会全体の課題でもあると思います。子どもの可愛いところや子育ての楽しさについては社会で受け入れてもらいやすいですが、お母さんとしてのしんどさや苦しみは口に出しづらく、「そんなこと思っちゃいけない・言ってはいけない」と感情に蓋をしてしまうお母さんはたくさんいるのではないでしょうか。
視点が「わたし」から「わたしたち」へと変わっていった経緯については、次回のnoteで草さんと共に紐解いてみたいと思います。
④矛盾する自分を認められるようになった
2年半のセッションログを見返していると、驚くほど多様な自分がいることに気づきます。たとえば、コンサル時代の「成果を出さなければ自分には価値がない」という価値観が強い日の自分もいれば、反対に「人はただ存在するだけで価値がある」という価値観が強く出る日もある。
いまではTHE COACHの仲間たちの影響も受け「人の可能性を信じる」というあり方に共感する自分の割合が大きくなってはいるものの、だからといって、これまでの価値観をすべて手放せたわけではないと思っています。
ここまで自分に起きた変化を散々書いてきましたが、面白いことに人はとても頑固な生き物であることもまた、この2年半で感じてきたことです。コーチングを受けてAからBの価値観に変化するわけではなく、AもBも自分の中にあることに気づき、そのどちらの存在も認められるCの自分になる、というイメージでしょうか。
AとBという矛盾する両方の自分を受け入れられると、どちらか一方の価値観だけに飲み込まれることがなくなったように思います。
不安だった。それでも「完了」を決めた理由
2年半のセッションを完了する日は、私の心は正直まったく安定していませんでした。“心の安全基地”が失われてしまうような感覚で、草さんとのセッションがなくなっても私は本当に大丈夫だろうかと不安でいっぱいでした。
しかし、完了セッションの当日、草さんから「ひとみさんは、自分と向き合うことをあきらめませんでしたね」と言ってもらい、感慨深い気持ちになりました。それと同時に、「これを乗り切れたんだから、もう少し自分を信じてあげてもいいのかな」と自信が湧いてきました。
家庭の中でたっぷり愛情を受けることで、子どもは安心して社会に出ていけるのと同じで、私にとってこの2年半は自分がこれから外に出ていくための心の安全基地や自分への信頼を形成する期間だったのだなと感じています。
もちろん怖さはあるけれど、この2年半での気づきや学びを活かして冒険に出る時が来たのかなと思い完了することに決めました。これからもきっと、同じテーマや同じ悩みにぶつかることもあると思いますが、この2年半とはまた違った角度で世界を眺められることをとても楽しみにしています。
苦しみや葛藤の渦中にいる人へ
2年半コーチングを受けたいま、改めてどんな人に継続セッションをお勧めしたいかを答えを一つに絞ってみるとすると、私は「いま苦しみや葛藤の渦中にいる人」と答えると思います。新米の母、新米の経営者として、私がまさに葛藤しつづけていたからです。
コーチングを継続することは、いまある苦しみもすべて自分の人生に必要なプロセスであることを教えてくれます。痛みが伴う出来事の最中はとても苦しかったけれど、それも今後成長していくために必要な通過点だったのだと、いまでは思えます。
人生には苦しいこともたくさん起こりますが、それらすべての出来事や感情に意味があると私は思っています。訪れる変化に戸惑いを感じている人、自分に自信が持てない人、何らかの理由で自分の気持ちを話せる相手がいない人など、いま苦しみの渦中にいる人にとって、コーチングが少しでも役に立てることを願っています。
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次回のnoteでは、コーチ・草さんの立場から2年半を振り返ります。変化する私をどんな気持ちで見届けてくれていたのか、また、なぜ大きな感情の波が訪れる私にどんなふうに向き合おうとしていたのか、お話を聞きにいった記録をお届けします。10月23日(月)公開予定ですので、お楽しみに。
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