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戦前の女性の社会進出とは 全国初の拠点「横濱婦人会館」記録発見

2月27日 8:24

やはり「あったか…」って感じですね。

私が産まれた佐藤病院という「民間の産院」があって、南太田の山の上には「常清寺と言う横浜の鬼子母神」さん…

そしてお三の宮さんの裏の川を挟んで大岡川沿いに「横濱婦人会館(現:男女共同参画センター横浜南フォーラム南太田)」

吉野町から真金町、そして伊勢佐木町と「横浜の繁華街

女性たちも色々な形で日常生活を送る街…

堰神社には「両性の性器のイメージの石仏

亡き祖父の妹の大叔母は横浜芸者(日本橋)の三味線のお師匠さん。

ビンゴでしたか…
一部記事引用転載。

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婦人会が仏教、キリスト教などさまざまな信徒が互いの文化を尊重しながら手を結んで団結していった経緯を見ると、多文化を受け入れるおおらかな横浜の風土が当時からあったのではないかと感じる。社会が困窮し、自分が生きることで精いっぱいだった関東大震災直後はコロナ禍の今に通じる。そんな時も社会のために活動した女性たちの姿には勇気をもらえる」と話す。
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なにも書きません。

罪を憎んで人を憎まず

#お笑いマスメディア論横浜市発展歴史編

2022/2/27 12:04
11:57投稿。再掲。

私の実際に出会った「戦前戦中生まれの横浜の女性たち

社会慈善家の故平野恒先生。「幼児福祉」で生涯を支えた。

横浜女子短期大学保育科創設。

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