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地に足をつけたい時にカネコアヤノを聴く

 カネコアヤノが好きだと公言していたら「ぶっちゃけ顔でしょ」と揶揄されたことがある。確かにそのルックスも魅力の一つであることに違いはないけれど、むしろ惹きつけられるのはその外見と歌っている時とのギャップだ。偶然YouTubeでライブ映像を初めて観た時、強面や長髪の男性たちの真ん中で、色白かつ華奢な黒髪のボブの一人の女性がエレキギターをかき鳴らしながら、時折鋭い眼光で歌っているその姿を見た時の衝撃は今でも忘れられない。だから、初めてカネコアヤノを知った時、真っ先に「超かっけぇ」と胸がザワザワしたし、それは今もずっと変わらない。しかも昨年ようやくそのバンドセットで初めてライブを観ることができてわかったのだけれど、カネコアヤノもバンドメンバーも曲と曲との合間で一切トークをしない。媚を売ることなく淡々と一曲一曲を歌い上げていくその立ち振る舞いは、ミステリアスでありながら真摯的でこれまた超かっけぇのだ。

 さらにもう一つカネコアヤノをカネコアヤノたらしめるものとして、その独特な詩世界がある。豊かな情景描写と繊細な心理描写が織り交ぜられたその歌詞は正直かつ日常的でありながらドラマティックで唯一無二。時にその言葉たちに共感し、また時にはその言葉選びに驚く。まっすぐで力強くて優しさも見え隠れするその歌声に導かれるようにして耳はどんどん楽しくなっていくけれど、決して浮世離れしていない。そして、そういった胸の奥の燃える想いや心の隅の話をいつか生のアコースティックギターの弾き語りでも聴いてみたいと切に願っている。

 時々ふと思い立って『ロマンス宣言』を聴きながら、その歌詞の意味について考える。今でも朝の通勤電車で『とがる』を聴いて自分自身を奮い立たせ、何が嫌なことがあった時には『明け方』に救いを求める。

 恋しい日々を抱きしめて私でいるために、これからも地に足をつけたいときにカネコアヤノを聴く。

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