連載餃子エッセイ 1 〜民華(愛知・蒲郡) 編〜
連載餃子エッセイ
『我、ペンネームが”ひとくちギョウザ”であるが故に。』
〜プロローグ〜
ペンネームが”ひとくちギョウザ”なのに、餃子との縁と所縁は人並みだと自負している。
今までに好きな食べ物を聞かれることがあっても、餃子と答えたことは一度もない。むしろこのペンネームに決めた当時は、後先考えず“耳が小さい”ことが火種となっただけだった。
……いや、待てよ。とうことは、そうか。そうだったのか。全ては、あの二十四の夏から急速に動き出していたということか。
「餃子が好きなんですか?」
「餃子屋さんなんですか?」
「餃子のことも書いてください」
このややこしいペンネームが引き起こしてきた、数々の勘違いと困惑。
そして、もうこうなったら辻褄を合わせてしまおうと開き直って、ようやく本家に寄せ始めている。
しかし、こうなってくると急激に餃子に対して運命みたいなものも感じ始めていて、あっという間にこの人生において特別な食べ物のように錯覚している。
とうとう後付けに後付けを重ね始めた、三十三の秋。そして、そのご都合主義の向こうで待ち合わせする、餃子へのまっすぐな想い。
ただひたすらに、美味しき餃子を求めて。
ひとくちギョウザ
餃子File 1
〜民華(愛知・蒲郡) 編〜
「ここの餃子を食べたら、初回にしてこの連載に終止符が打たれることになるぞ」
そう豪語する七歳上のD先輩は、幼少の頃からその[民華]の餃子を食べて育ってきたという。
ということは、バファリンの半分は優しさでできているように、ひょっとしてD先輩の体の幾分かは……。ともかくその[民華]の餃子は、D先輩にとってDNAレベルで彫り込まれている餃子であることに間違いなさそうである。
むしろそれならば打ってくれ、終止符を。もしも初回を最終回にしても良いと思えるほどの餃子に出会ってしまったのならば、それはそれで本望かもしれん。
それにしても、食通でもあるD先輩にそう言わせしめる[民華]の餃子とは、一体いかなる餃子なのか。現時点ではその餃子がどのような味なのか、全くもって想像もつかない。
そして、D先輩のそのハードルの上げ具合よって抱き始めている[民華]の餃子への期待と、他の餃子を圧倒するかもしれないその[民華]の餃子に相対する緊張感は、本来ならやっぱりどう考えても初回に背負うべきやつではなかった。
「いらっしゃいませー」
D先輩ファミリー(D先輩、D先輩の奥さん、D先輩の五歳の息子・I君)と一緒にやってきた[民華]は、奥まった住宅街の一角にあった。こぢんまりとした店内に入ると、両耳に金色のイヤリングをして髪を後ろでゴムで縛り、グレーのロンTにネイビーのエプロンをした若女将が笑顔で迎えてくれた。湯気が立つL字カウンターのすぐ後ろの厨房では、ご主人と若旦那が忙しそうに黙々と料理に勤しむ。ご主人は調理用の白衣に頭には白色のタオルを巻いていて、若旦那は白色の半袖の無地Tシャツに黒の短髪という、いかにも硬派な料理人という装い。
また、日曜日の夕飯時ということで座敷に三席あるテーブル席の二席分は既に八人の団体客が陣取っていて、店内は笑い声の絶えない賑やかな雰囲気に包まれていた。瓶ビールのアサヒスーパードライが保管されている冷蔵ショーケースや空になったその瓶が詰められているビールケース、高い位置に置かれたテレビ、座敷席の奥の壁に掲げられた立派な金箔の飾り扇子、人懐っこい茶トラの看板猫……など、初めて来たはずなのにその昔ながらのアットホームな雰囲気がどこか懐かしく、とても落ち着いてしまう。
そして、団体客の隣に一席だけ空いていた座敷のテーブル席に腰を下ろすやいなやD夫妻は手際よく注文する料理をいくつか決め、それを若女将に伝える。もちろん、その時に開口一番でオーダーされたのは、我々の目下の関心事でもある”餃子 ¥480”だったことは言うまでもない。
「本当にここの餃子は美味しいだよ」
聞けばD先輩の奥さんも、この[民華]の餃子の虜だという。
料理を待っている間はD先輩ご家族と談笑して過ごし、現在D先輩ご家族が最もハマっているJapanese Hip Hopの舐達麻(なめだるま)の話で盛り上がった(D夫妻の影響で、五歳のI君も舐達麻の曲を歌うことができる)。しかもその舐達麻トークの中でどうやらライブの客には半グレが多いらしいみたいな話になり、コロナが落ち着いて近郊でライブがあった際は、ギョウザが半グレに絡まれている隙を突いてD夫妻はステージの前の方に行くという、血も涙もないようなデンジャー過ぎる作戦まで浮上した。
「お待たせしました、こちら餃子が四人前ですね」
和気あいあいとした舐達麻トークから一転、遂に初めて目の当たりにする[民華]の餃子。
まだまだ餃子の「ぎょ」の字も語れない餃子ビギナーながらおこがましくも抱いたその第一印象は、「思っていたよりも一つ一つが小ぶりで、焼き過ぎる一歩手前の絶妙な焼き加減の皮の焦げ目をしている」だった。
確かに、中華皿に盛られたその見た目だけでも絶対に美味しそうなのは間違いない。
「さぁ、食べてみりん」
つい今さっきまで談笑していたはずのD先輩の顔つきが、一瞬だけ真剣になる。
「いただきます」
それにつられて、小皿のタレに餃子をつける箸使いがいつもより少し慎重になっている気がする。
「ギョウザが餃子を食べてるぅー」
そう言って目の前で笑い出す、I君。
まだまだ相変わらず混乱を招くかもしれないので、ここで念のため長嶋監督の感じで補足しておこう。
ヒューマンの方のギョウザがですねぇ、フードの方の餃子をイーティングするんですねぇ。
パクッ
モグモグモグモグ……
(心の声) ……ん?んん!?
一つ食べただけで安直にコメントするのも何だか気が引けてしまい、立て続けにすぐさま、もう一つ餃子を頬張る。
モグモグモグモグモグモグモグ……
(心の声) ……お!?お、おーーーーーーー!!!
「どうだ!?」
「……う、美味いです。そして、優しいです」
しかし、この[民華]の餃子が真価を発揮するのはここからだった。
まず、食べる前はニンニクが凄い効いていてガツーンとした濃厚な味のはずに違いないと勝手に決めつけてしまっていたこともあり、正直、最初の一つ目の餃子を食べた時は思っていたよりも薄味でインパクトに欠けると思ってしまったけれど、それはやっぱり完全な勘違いだったということになる。
なぜなら、この[民華]の餃子は中華料理特有の油っこさをあまり感じないのに、しっかりした満足感があるからだ。ちなみにこのことは餃子のみならず、他に注文した麻婆豆腐や炒飯などにも共通することで、どの料理も決してくど過ぎない絶妙な味加減だったのだ。
D先輩はそのことについて「シンプルに素材の味が引き出されとるってことだのん」と考察していたが、本当にそう思わされるような奥深い味わいだった。はじめにその味を”優しい”と表現したことも、そこに着地することができるだろう。
つまり一つ目の餃子を食べた時は、最初に想像していた”ガツーン”とは正反対にあったその”優しさ”に良い意味で裏切られてしまい、脳が驚いてしまったということだ。そして、その驚きの正体を究明するかのようにすぐさま二個目の餃子を食べてみたことで、[民華]の餃子に秘められたその”優しさ”にようやく気づき始めることができたのである。
そういった不思議と重たくない味わいと食べやすい小ぶりなサイズも相まって、我々の箸はどんどん進んでいった。あっという間に四人前の餃子が盛られていた中華皿は空になり、二人前の餃子を追加で注文する。
そしてここで特筆すべきは、この[民華]の餃子は食べ進めれば食べ進めるほど飽きがこないどころか、むしろ旨味が増していって味そのものが濃厚になっていくことだ。
ニラ、ひき肉、ニンニクが相性良く織り成す餡のコクを食べやすい厚さのモチモチとした皮が優しく包み込み、パリッとした焼き色の焦げ目がアクセントになって嬉しい。さらには食欲を刺激してくれるタレやお酢と絡み合いながら、噛めば噛むほど口の中で広がりを魅せるシンプルながら唯一無二の味わいに、思わず胸がいっぱいになる。
追加で注文した二人前の餃子も、あっという間に完食。本当にいくつでも食べられてしまいそうな餃子だ。
「ありがとうございましたー」
終始親切だった若女将の心づかいは勿論、厨房で寡黙に料理を作り続けていたご主人と若旦那の表情がお店を出る時に少し崩れて柔らかくなったのも、とても印象的だった。
店内の雰囲気や料理の味にも、作り手たちのそういった人柄は自然と現れるものなのかもしれない。
お店を出る時にはカウンター席も埋まっていて、隣の座敷席の団体客も別の家族連れに入れ替わっていた。しかもその隣の家族連れは、D先輩の中学時代の同級生夫婦の家族連れだった。
偶然の再会に歓喜するD先輩達よりも一足先にお店の外に出て、秋の夜風と一緒にこのさっきまでの数時間の余韻に浸りながら、そうやってこの[民華]がずっと地元の人たちに愛されるのも頷けるなと思った。
「”終止符を打たれる”の意味がよくわかりました。今まで食べたどの餃子とも違って新しい感覚でした。[民華]の餃子、本当に美味しいです」
「美味しかったら!?またみんなで食べに来よう」
“終止符を打つに価する餃子”であることに異論はないけれど、まさか此の期に及んでまで本当にここで終止符を打つか打たないかにこだわるなんて、野暮なことだと思った。
お腹も心も満たされている我々の顔が、それを物語っていた。
そして、この民華の餃子に心底感動したからこそ、まだまだ奥が深そうなこの餃子の世界を、これからもっと覗いてみたいと思ったのだった。
ひとくちギョウザ
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